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今治城

20200603

所在地:愛媛県今治市通町三丁目
訪問日:2020年3月24日

「青春18キッブの旅2020春」の3日目、今治駅前のホテルを出発、レンタカーで「しまなみ海道」を北上、大三島の伊予国一之宮・大山祇神社に参拝。そこから道の駅二つで土産物購入と昼食を済ませ、今治に戻る途中で大島にある村上水軍博物館に寄り、それからここに到着した。
「青春18キッブの旅2020春」の最後の訪問地である。

今治城の位置
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大手筋の駐車場に車を停めると、堀を挟んで天守閣が見えた。
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まずは、武具櫓側まで行って、堀の向こうに武具櫓、鉄御門、東多聞櫓、御金櫓が全て見える景観を楽しんだ。
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大きな自然石の標石がある入り口から、大手筋を通って鉄御門に向かう。
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大手筋から武具櫓を見る。
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突き当たりが枡形虎口で、右に鉄御門がある。
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今治城の案内
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今治城は、別称「吹揚城(吹上城)」とも云う。
今治城は高松城(香川県)、中津城(大分県)とともに日本三大水城の一つ。藤堂高虎築城当時の今治城は内堀、中堀、外堀と堀が三重にめぐらされ、すべての堀が瀬戸内海の海水とつながっていて、潮の干満で堀の水位も変わったという。
今に残る堀にも鯛やヒラメなどの海水魚が泳ぎ、釣り人の姿も見受けられる。海から吹き揚げた砂地の上に築城したので別名「吹揚城」とも呼ばれている。
慶長7年(1602年)、藤堂高虎[1]によって築城開始され、慶長9年(1604年)に完成した。普請奉行として渡辺了の名が知られている。今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山山頂にあった国府城であったが、より能率的な都市経営を目指すため築城された。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられている。

二之丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、外堀以内に侍屋敷、城門が9ヶ所、櫓が20ヶ所と非常に広大な造りだった。慶長14年(1609年)、高虎が伊勢国津城に移封となり、同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わる。高虎自身は移封されたが今治領2万石は飛び地として残り養子の高吉が居城した。

寛永12年(1635年)、高吉は伊賀国名張に移り、代わって伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城し、以後、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となった。広大な城郭は江戸260年間保たれたが、明治維新以後、廃城令施行前の明治2年(1869年)に廃城され、ほとんどの建築物が破却された。このとき二の丸北隅の武具櫓は収蔵物とともに残されたが、明治4年(1871年)に火災が発生した際、内部の火薬に引火して爆発炎上し破壊された。

石垣と内堀がほぼ江戸時代の姿を残している。
昭和55年(1980年)に5層6階の天守が鉄筋コンクリートで建てられた。
昭和60年(1985年)に東隅櫓が御金櫓として再建された。外観は今治藩医の半井梧庵が残した写真をもとに復元されている。名称は今治城の古絵図において東隅櫓に御金蔵という蔵が併設されていたことに因る。
平成2年(1990年)に二の丸西隅に山里櫓が再建された。

平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(79番)に選定された。
平成19年(2007年)9月、可能な限り江戸時代の史実に基づき、鉄御門(くろがねごもん)が石垣や多聞櫓5棟ともに復元された。また、二の丸に藤堂高虎の像が建立された。

守りの堅い枡形虎口が鉄御門の前にあり。
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鉄御門の左側に「勘兵衛石」がある。
幅4.5m、高さ2.3m、重量16tもの堂々たる鏡石。
鏡石というのは、城の権力の象徴とも言われている。
この鏡石は築城奉行の功績を称えて「勘兵衛石」と呼ばれている。
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勘兵衛には、石調達の達人として、こんな話が伝承されている。
石の調達に苦難していた折に、「船一杯の石材をもってきたら、同等の米を与える」と周囲一帯に告知した。
その米がなくなってしまうと、「石はもういらん!持って帰れ!ただし海に捨ててはならん!」と告げた。
しかし、石を運んできた者たちも重い石を持って帰っても何の利にもならないので、次々と近くの海岸に石を捨てて帰った。
そして、落ち着いた頃にその捨てられた石を拾って今治城の石垣を完成させたといわれている。

〇鉄御門
門扉に短冊状の鉄板を打ち付けている。
このような鉄御門は、格式の高い城にしかない特別な城門であり、藤堂高虎が徳川幕府から、いかに高い信頼を受けていたかということ。
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鉄御門をくぐると左に折れるが、そこに、かっての三の丸の表門だった鉄御門の礎石が置かれていた。
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山里櫓へと続く内側の石垣も、野面積でなかなか面白い石がある。
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最近は、こういう刻印石を見つけるのが楽しみ(笑)
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〇山里櫓
時間が無くて、御金櫓、山里櫓、武具櫓・多聞櫓の各櫓にも入れるようになっていたが、寄らなかった。
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〇藤堂高虎像
天守閣前の広場には、藤堂高虎の馬上姿の銅像が立っている。
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〇蒼吹の井
石垣の下まで届かせるために、かなり深い井戸になっているようです。砂浜に造られているのに真水が得られたのは、この地域に蒼社川の伏流水が多いためとか。
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天守閣を見上げる。
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〇吹揚神社
現在の吹揚神社がある辺りが本丸だったようです。
廃藩にあたり、往古より今治市内に御鎮座をしていた“神明宮”、“蔵敷八幡宮”、“厳島神社”、“夷宮”の4社を、旧社地の故をもって今治城内に合祀社殿として造営。明治5年11月19日に遷座し、今治城の旧城名から“吹揚神社”と称しました。
御祭神は、天照大神・八幡大神・事代主神(えびすさん)・大己貴大神(だいこくさん)・厳島大神・猿田彦大神・宇迦之御魂神(お稲荷さん)・菅原道真・藤堂高虎・久松定房。
鳥居前からの参拝のみとしました。
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〇天守閣
天守閣に登ります。
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入口に、今治城沿革の説明があり。
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門から入る。
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天守内は博物館のようになっていて、展望台を除いて写真撮影は禁止。
最上階からは、しまなみ海道の来島海峡大橋が見えるなど、瀬戸内海を眺望することができる。

まずは大手筋から鉄御門、東多聞櫓。
目を上げるとしまなみ海道の島々が左手に見える。
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鉄御門を入って左に折れると藤堂高虎像である。
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目を上げると、しまなみ海道に通じる来島海峡大橋が見える。
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来島海峡大橋を左から右へ、つまり今治から大島の方向にたどる。
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とおーーんと、大島がある。
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大島の向こうには、伯方島、弓削島などが見えている。
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これは四阪島あたりだ。
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瀬戸内海がとぎれるまでくるっと。
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足元の今治城をぐるっと。
これは御金櫓。
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猿田彦神社と吹揚神社入口。
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吹揚神社社殿の屋根。
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高麗門と山里櫓
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今治市街、高い建物は今治国際ホテル。
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天守閣からの海の眺めは素晴らしかった。
それに大手筋方面からの今治城全景と、天守閣前広場の360度眺めを動画で撮ってきたので、それをユーチューブにアッフしてあります。
よかったら見てください。

動画「今治城全景・天守閣からの眺め」を見る


天守閣を出る時に、特別展資料「今治藩主 久松松平氏の世界」を購入。
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今治城を築城した藤堂高虎と高吉の父子の後、将軍徳川家の一門である久松松平家直系の松平定房が入城、以後明治維新まで久松松平家が今治を納めた。

徳川家康の母親、「於大」が再婚したのが、尾張国知多郡の国人「久松俊勝」である。
そのため、二人の間に生まれた子は、家康の異父弟として厚遇され、松平姓を与えられた。

久松俊勝の子松平定勝は、東海道の要衝・掛川や伊勢国桑名を拝領、伏見城代などを務めたが、その五男が定房で今治藩主となる。
その他次男定行が伊予国松山藩主、三男定綱が伊勢国桑名藩主として、徳川家の御家門として幕府を支えた。

なお、久松家は菅原氏から分かれた一族ということで、葵の紋ではなく北野天満宮の神紋である「星梅鉢」を江戸時代を通じて使用している。

満足して、今治駅近くでレンタカーを返した。
電車に乗る時間の30分くらい前に今治駅に到着。早目の夕食を電車の中でお弁当を食べようと、駅のお弁当の売店に行ったら、売り切れたからとちょうどお店を閉めているところだった。
私がしょげた顔をしていたのだろう、お店の人が本店に電話して確認してくれて、100mくらいのところにある本店に案内してくれた。
そこで買った「鯛めし弁当」が本当に美味しかった。

今治駅16:30発の電車に乗って、観音寺で乗換え、坂出で乗換えて、瀬戸大橋を渡り(真っ暗で何もわからなかった)、岡山に到着。
ここでちょっとズルをして、岡山から新幹線で名古屋まで。
名古屋23:20の普通快速夜行「ムーンライトながら」に乗り、東京駅に5:05に到着。
今回の「青春18キップ2020春」の旅が終わりました。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

今治ですか、大昔、弟と四国旅行を行ったのですが、その時でも今治には寄っていなかったと思います。その後、四国は何回か行きましたが、高松が中心でした。

今治城、地図を見た限りでは、江戸時代は海に面していたのでしょうね。船からは偉容であったと思います。

それにしても、これだけ海に近ければ、潮風が大変でしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
今治で、どこかということで、寄りましたが
満足しました。
情報では、堀が海とつながっているので、
運が良ければ、海の魚を見ることが出来ると、
けっこう写真が出ています。
時間が無くて、じっくり海の魚を探せなかった
のが残念でした。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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