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田中神社(延喜式内論社)/埼玉県熊谷市

20200613

鎮座地:埼玉県熊谷市三ヶ尻671
参拝日:2020年2月7日

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で熊谷市、深谷市などに存在する式内社三社(田中神社、知形神社、楡山神社)を巡拝しました。
最初に訪れたのが当社です。

国道140号線と県道47号線の交差する「武体西交差点」のすぐそばに田中神社は鎮座している。
駐車できるスペースはなく、交通量の多い県道に面しているため路上駐車もできず、近くのコンビニの駐車場に停めさせてもらって参拝した。

四方を水田に囲まれている。
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社号標
社格: 延喜式神名帳 武蔵国幡羅郡田中神社、 旧村社
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主祭神:武甕槌命
(配祀)少彦名命 天穗日命

当社のあと訪ねた知形神社と共に、延喜式神名帳に記載される「武蔵国幡羅郡田中神社」に比定されている。つまり「延喜式内論社」ということになります。

「埼玉の神社」による田中神社の由緒:
古代の三ヶ尻は、荒川の川筋に当たっていたため、上流からの土砂の流入による肥沃な土地であった。このため、早い時期から稲作が行われていたと思われ、地名の三ヶ尻もこれに関係し、古くは甕尻と書いていた。これは、地内にある狭山と呼ぶ山が、春と秋に田の神を祀るための酒を醸す大甕を伏せた形に似ているところからきたものという。また、当地には三ヶ尻古墳群があり、ここから有力な地方豪族の存在をうかがわせる銀象嵌の施された太刀が出土している。
当社は式内社であると伝え、『風土記稿』は水田の中にあるところから田中天神と称し、『延喜式』神名帳に、武蔵国幡羅郡田中神社とあるのは当社のことである。祭神は少彦名命と天穂日命であり、別当は新義真言宗の延命寺である、と載せている。
当社の境内に要石と呼ぶ石があり、地震を鎮めるという。この石は神の宿る石、すなわち磐座であろう。古代には、今日のように社殿に神を不断に祀るのではなく、祭りの時のみ岩や木に神の降臨を仰ぐものであった。当社の古い姿は、この要石にあると考えられる。また、天神の呼称も天つ神の天神で、菅公信仰よりも古いものである。
当社は、現在は小さな社であるが、渡辺崋山の『訪𤭖録』にも「古代ハ大社ナルヨシ」とあるように、昔は大きな社で参道も八〇〇メートルほど離れた庚申塚付近まであったという。

『新編武蔵風土記稿』による田中神社の由緒:
(三ヶ尻村)天神社
水田の中間にあるをもて田中天神といへり、【延喜式】神名帳に、武蔵國幡羅郡田中神社は別當社のことにて祭神は少彦名命・天穂日命を祭れりと、別當傳へり、外に正しき證據を知らず。

入口の鳥居には、「延喜式内 田中神社」と社額がかかる。
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両側田んぼの中、参道は真っ直ぐ。
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石灯篭は、平成15年(2003)奉納と新しい。
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二の鳥居
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狛犬は、岡崎型で新しい。
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拝殿
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向拝中央には龍の彫刻
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向拝柱の木鼻には獅子の彫刻。
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社額
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拝殿背後の本殿覆屋には、まったく開いたところがなく、本殿は拝めない。
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神紋は「左三つ巴」
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境内社
祭神は不明
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社殿のうしろにも田んぼが広がる。
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ちょっと離れたところから、境内を一望。
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境内石碑による田中神社の由緒
抑々武蔵國四十四座の一社とたたえ奉る延喜式内田中神社の御祭神は武甕槌命少名彦名命天穂日命を奉斎し土人の古き伝説には田中天神と呼び菅原道真公併祀の鎮守にて家内安全交通安全学問高揚の神として氏子の崇敬今に荘んなり。
茲に御影石の大鳥居を御奉献し大神の御安泰と氏子の守護と繁栄を御祈念申し奉る。
右側に埋存せる天然石は常陸国鹿島の要石(かなめいし)と同様の伝説を存す又武蔵国幡羅大里榛澤の三郡の櫃儀域を示す境界石として永遠に伝えん。
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要石のことであるが、鹿嶋神宮、香取神宮が有名である。埼玉県では、ここだけではないかと思われる。
鹿嶋神宮、香取神宮と同様の伝説を残すと、碑文にあるので、やはり地震を鎮めるのだろう。

鹿嶋神宮と香取神宮では見ることができて参拝したのだが、ここのは井戸のように囲ってあるのだが、石は全然見えないのが残念。
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これで当社の参拝を終え、続いて知形神社に向かった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この神社は彫刻が立派ですね。

さて、「要石」って、どこかで見たと思って考えてみたら、神田明神の神幸祭の行列の中に「鯰と要石」があったのを思い出しました。鯰と要石ですから、こちらも地震避けですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
そうですね、思い出しました。
たしかにありました。
神田明神は、江戸の総鎮守でしたから、
地震も防がないといけませんね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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