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天神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡上里町

20200718

鎮座地:埼玉県児玉郡上里町五明871
参拝日:2020年6月29日
主祭神:稚産霊神(わくむすびのかみ)、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初に訪ねたのは、上里SA(下り)からスマートETCで外に出て3分ほどで到着の天神社。
五明集会所の駐車場が一の鳥居と社殿の間にある。
参道の途中に五明集会所と駐車場が出来ちゃったということなんだろう。

行くのは面倒なので、とりあえず一の鳥居は望遠で写真を撮った。
一の鳥居(神明鳥居)
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一の鳥居からの参道から駐車場を介して社叢を見る。
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神社入口、二の鳥居のところに、二つの説明板があった。
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武蔵国賀美郡の延喜式内「今城青八坂稲實神社」の論社で、旧社格は村社。旧五明村の鎮守。
由緒:
創祀年代は不詳。 社名の起源は、稲作信仰によるもので、渡来系氏族が高度な稲作技術を導入し、稲霊を祀ったことと伝えられている。なお、渡来系氏族とは、5世紀末から6世紀初めにかけて朝鮮半島の百済から渡来してきた今来漢人(いまきかんじん)のことで、当初の居住地「大和国今来郡」から移住してきたため、社名「今城」(いまき)の起源とされている。
渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し、「稲魂」を祀る神社を建立したのが、「稲実」だとされる。

現在の社殿は、江戸時代中期の享保7年(1722年)の再建で、江戸時代後期の天保年間(1830年-1844年)に書かれた中岩満次郎道純の祈願書が残されている。
中岩道純は江戸時代後期の交代寄合旗本。家紋である中黒紋の付いた幕と高張提灯を当社に寄進している。
江戸期から現社号で呼ばれてきた。
天正10年(1582年)6月、神流川の戦いにおいて、滝川一益が当地に陣を転じ、大いに勝利したと伝えられ、転陣林との名称が生まれた。ここから「天神さま」に。
村の鎮守として、別当寺は大輻寺。明治になり、寺の管理から離れた。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治10年(1877年)に白山神社を、明治42年(1909年)に丹生神社を若宮より遷し、合祀した。
大正8年(1919年)2月3日、神饌幣畠料供進社に指定された。
例祭は10月19日で秋祭り。当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。
境内社に、諏訪神社・稲荷神社・八坂神社・市杵島神社がある。

昭和42年に、境内から 「えむぎしきない」 「いまきあおやさかのかみ」 と刻まれた神代石の石棒が発見された。このことが根拠となり、式内社名の論社とされている。現在は、この石棒が御神体として祀られている。
つまり、「延喜式内」「今城青坂神」。これが式内社としての大きな根拠となっている。境内は古くから「今城林」と呼ばれていた。

二の鳥居(両部鳥居)
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神橋
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神橋のところには、かっては小川が流れていたと思う。
現在は、橋の桁柱が地中に深く埋まってしまっている。洪水の痕跡だろう。
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手水舎
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神仏ごっちゃになった石碑群がありました。
江戸時代の神仏習合のなごり。
石碑は一つ一つ撮ってきたが、神仏名だけ記載しておく。
薬師如来、素戔嗚尊、大巳貴命、国常立尊、中央大日不動明王、普賢大菩薩、貴船大明神、普嶽霊神、猿田彦大神、國嶽霊神、御岳山坐王大権現、御岳山大神、八海山大神、三笠山大神、千代松霊神
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神楽殿
当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。
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拝殿の前には、昭和2年(1927奉納の狛犬が居ます。
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拝殿
入母屋造り、瓦葺き。
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向拝部は、すっきりしたもの。
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拝殿内部は、このように不透明な厚いビニールで格子を覆われているため、覗くこともかなわず。
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本殿覆い屋はまったく隙間なく、本殿も拝むことはかなわず。
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主祭神:
稚産霊神(わくむすびのかみ)
豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)

「天神さま」というと菅原道真を祀ってあるのが普通だが、五穀・養蚕の神である祭神をみると、渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し、「稲魂」を祀る神社を建立した。その後、天正10年(1582年)6月、神流川の戦いにおいて、滝川一益が当地に陣を転じ、大いに勝利したと伝えられ、転陣林との名称が生まれた。ここから「天神さま」になったという話がうなずける。

本殿のすぐ後ろに、石祠がある。
これは、若宮・丹生社
ご祭神:月読命
明治42年(1909年)に合祀。社殿裏に鎮座。
『風土記稿』五明村の項には「丹生社・天神社以上二社を村の鎮守とす、大福寺持なり」とある。丹生社は、用水を隔てて当社の東、現在の集会所の建つ場所に鎮座していた。
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若宮・白山社
ご祭神:白山比咩大神(菊理媛尊)
本殿右側に接して鎮座
明治10年(1877年)に合祀。
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拝殿の正面に向かって右側の石祠群
諏訪神社(建御名方神)
稲荷神社(宇迦之御魂大神)
八坂神社(素戔嗚尊)
市杵島神社(市杵島姫神)
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拝殿の左に、「神宮 山稜 遥拝所」の石柱が置かれていた。
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南には田んぼがひろがり、その先に上越新幹線の線路が見渡せた。
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参拝が終わって駐車場に戻ると、この日は天気が良くて、空には白雲が広がって気持ちが良かったので、つい写真に収めた。
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続いて、長幡部神社に向かった。


「神社巡拝」に飛ぶ



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは


この日、私は「古代蓮の里」に撮影に行っていたのですが、そちらより四季歩さんが行かれた場所の方が圧倒的に天気が良かったようですね。古代蓮の里の方も、この位の天気になって欲しかったです。

「天神社」なのに菅原道真が御祭神ではない??と思ったのですが、考えてみると、先日、行った調布市の布多天神社も祭ってあるのは菅原道真ではなかったですね。

それにしても、駒犬、顔と頭の一部が剥がれ落ちそうですね。接着剤で止めて、隙間をコンクリで埋めるとか、少し修理をすればと思いますが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
神社も、江戸時代の神仏習合を経ていて、
祭神は変化しているところが多いですね。
その土地の守り神を祀ったところが
多いですが、そこに古事記の神などを
後世あてはめたところも多いですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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