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長幡部(ながはたべ)神社(延喜式内社)/埼玉県児玉郡上里町

20200727

鎮座地:埼玉県児玉郡上里町長浜1370
参拝日:2020年6月29日
主祭神:天羽槌雄命、埴山姫命

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初に天神社に参拝し、その後にこの神社に来ました。
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社号標
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入口に当神社の由緒書きがある。
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(Wikipedia)
創祀年代は不詳。
高度な機織り技術を持った渡来系氏族が、神流川南岸の字宮の西的場西に機織りの神「天羽槌雄命」を守護神として祀ったことが起源とされている。「長幡」とは絹織物の一種「絁」(あしぎぬ)、社名の「長幡部」はそれを織る技術者集団「長幡部氏」を示す。 なお、「長幡部氏」の祖は、延暦4年(785年)6月に戦乱を避けるために朝鮮半島の帯方郡から阿智王と共に渡来してきた「七姓漢人」のうち皀(こう)姓とされている。
天永元年(1110年)に神流川の氾濫により社地が流されたため、字宮の西的場から現在の大字長浜に遷座した。
天正10年(1582年)6月には、武蔵国賀美郡が織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となった。兵火により社殿や古文書が焼失した。
江戸時代には、丹生神(埴山姫命)を土神・水神・火神・金神・木神に見立てたことから、「五所宮」と呼ばれていた。
明治5年には、社名を「長幡五社宮」から現在の「長幡部神社」へ復称した。

私の「武蔵国式内社めぐり」は、先輩がまとめてくれた式内社・式内論社のリストに基づき巡拝しているが、それによると当神社は式内社「今城青八坂稲実神社」「今城青坂稲実池上神社」「今城青坂稲実荒御魂神社」のすべての論社ともされている。
当神社の由緒書きにも、Wikipediaの説明にも、その説明は見えないが、調べて得られる情報のなかではすべての論社としている意見が多いので、記載をしておく。

入口の鳥居は両部鳥居。
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手水舎
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手水舎を過ぎると広場の奥まったところに、一対の石灯篭と社殿がある。
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社殿は、ずいぶんと高さを持った大きな覆殿一つである。
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覆殿正面の梁には彩色彫刻が施され、中央に注連縄が張られて、参拝出来るようになっている。
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中を覗くと中央に、長幡部神社の朱塗りの立派な本殿が鎮座している。
その左右に三つの社殿が配祀されている。
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長幡部神社の朱塗りの立派な本殿は、二間社平入り。
脇障子や彫刻などの装飾がほとんど無いことから、古い時代の形式のものである。
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この本殿は、それぞれ扉を設けた二つの部屋を備えている。
ということは、二柱の神が祀られていることになる。
当神社の由緒書きやWikipediaでは、ご祭神は天羽槌雄命となっているが、
Wikipediaには、「江戸時代には、丹生神を土神・水神・火神・金神・木神に見立てたことから、「五所宮」と呼ばれていた。」とある。
また、「内陣には男神と女神の二神像が祀られている」との記事も見受けられる。

よって、そうしている記事にならって、ここでは
ご祭神は、天羽槌雄命、埴山姫命としておく。

同じ覆殿のなかに、三社祀られている。
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まず考えられるのは、三つの式内社「今城青八坂稲実神社」「今城青坂稲実池上神社」「今城青坂稲実荒御魂神社」ではないかということ。
それから祀られている祭神としては、『巡礼旧神祠記』岡象女命、『武藏国式内四十四座神社命附』姫大神、『神社覈録』比咩大神、『地理志料』大根王の名前を挙げている記事があり、他にも、綺日女命(かむはたひめのみこと)・多弖命(たてのみこと)の名が挙がっている。
大根王は、『古事記』において、豪族として登場するが、関連ある人物として神大根王もいる。
神大根王は、第9代開化天皇の皇子である日子坐王の子で、長幡部連などの祖とされている。
綺日女命・多弖命は、茨城県常陸太田市にあり、常陸国久慈郡の式内社である当社と同名の神社でも祀られていることから、うなずける節もある。

境内社に参拝した。
稲荷社の覆殿と石祠が二つである。
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覆殿の中の稲荷社
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石祠は、久保・皇大神社(祭神:大日孁貴命)と、字宮・丹生社
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社殿の後ろは、遊園地となっていた。
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参拝を終え入り口に戻ると、目の前に田んぼと山なみ、それから気持ちのいい雲が広がっていた。
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続いて、七本木神社に向かった。

七本木神社の記事を見る


「神社巡拝」に飛ぶ



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

写真を見せていただき、この拝殿、何か、おかしな形だなあと思ったのですが、文章の方を読ませていただくと、要するに、昔は小さな神社があったが、それを集めて、家の形をした覆屋に入れたと言うことのようですね。

おそらく、昔の村の人達が管理しているのだと思いますが、よく整備されていますね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
地域の人にとって、お宮さんは地域の守り神であり、
そのお宮のお祭りを通して、地域の絆が深まる
んですよね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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