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飯能市立博物館

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所在地:埼玉県飯能市大字飯能258-1
訪問日:2020年7月31日

所属している歴史クラブの「博物館に行こう」グループの行事で行きました。
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2018年4月、旧飯能市郷土館からリニューアルオープンしました。
林業のまちを象徴する、西川材に関する展示や、飯能市の歴史をわかりやすく展示。
ビデオコーナー、図書室があります。

入口から入ると、ロビーには「西川材」の展示がある。
※西川材とは
埼玉県の南西部、荒川支流の入間川・高麗川・越辺川の流域を西川林業地と呼んでいます。この付近には「西川」という地名はありませんが、江戸時代、この地方から木材を筏により江戸へ流送していたので、「江戸の西の方の川から来る材」という意味から、この地方の材を「西川材」、また、その生産地であるこの地方が「西川地方(西川林業地)」と呼ばれるようになりました。
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床に筏のイメージの敷物と、家具類などを展示。
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企画展示は「木、喜々として/食べて、着て、一緒に暮らす」
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市内の土地面積の約75%が森林に覆われる飯能市。国産の材木の需要が落ち込んでいる今日、飯能市に最先端研究が集結していると、様々な観点から西川材の良さ再発見するという、駿河台大学メディア情報部野村ゼミナールの企画展示です。
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木材から得られる、「CNF(セルロースナノファイバー)」が補強用繊維としてすごいんですね。
鋼鉄の1/5の軽さで、鋼鉄の5倍の強度、熱による変形が少ない等の特性を持ちます。
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宇宙ステーション補給機「こうのとり」の内部構造材と提案されているそうです。
それから自動車のボンネット・ドアなどに使用されている。
また、靴底のミッドソールにも使用されている。

CNFは、消臭効果、消毒作用などから、化粧品、消臭剤、ボディソープなどにも使われているそうです。
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「森のサイダー」とボディソープ
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西川材から作られた糸と布の製品。
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【歴史展示室】
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およそ2万年前の氷河期、槍を持った石器人が飯能にやってきた。
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奈良時代の初めに「高麗郡」を置かれた。
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中世、この地で活躍した、武蔵七党の一つ丹党「加治氏」。
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加治氏の板石塔婆
智観寺板石塔婆(複製) 仁治3年(1242)
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戦国の世を生き抜いた中山氏
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江戸時代の領主は、飯能市の場合もやはりかなりの細切れ状態で、天領、御三卿、大名、旗本の領地。
一番多いのが大名の黒田氏。黒田氏は、中山家出身で5代将軍綱吉の側近として仕え、大名となった黒田直邦以来の家。
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◎飯能戦争
昨年、歴史クラブの定例見学会で「渋沢栄一記念館」を訪ねましたが、渋沢栄一についての説明資料を担当した際に、それまで実業家としての渋沢栄一のイメージしか抱いていなかったので、幕末の志士としての渋沢栄一に非常に驚いたことがありました。
それで、ここでは渋沢栄一縁故の者たちの飯能戦争を書いておきます。
渋沢栄一は子供の頃は従兄・尾高惇忠(富岡製糸場の初代場長)の許に通い、学問をした。
尊皇攘夷の思想に目覚め、高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ちを計画しますが、行動を共にしたのが、尾高惇忠、渋沢成一郎(従弟)、渋沢平九郎(尾高惇忠の弟、栄一の養子)、尾高長七郎(惇忠の弟)という従弟たち。
計画は、状況偵察に京都に派遣していた尾高長七郎が帰着、京都の激動政情(公武合体派が尊王攘夷派を駆逐、大和の天誅組事件)を説明、説得により中止しますが、既に計画が漏れており、故郷を脱出します。
その後縁あって、渋沢栄一と渋沢成一郎(従弟)は共に一橋慶喜に仕えます。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争が起こります。
渋沢栄一は、パリ万国博覧会に将軍名代の随員として前年から渡航していて不在。
渋沢成一郎は鳥羽・伏見の戦いに参戦、江戸帰還後、将軍警護を主張し、自分と志を同じくする幕臣らを集め、彰義隊を結成し、頭取に就任します。尾高惇忠も共に行動。
4月、徳川慶喜が謹慎場所を江戸から水戸へ移すと、上野からの撤退を主張するが、武闘派の副頭取・天野八郎との対立が発生し、彰義隊を脱退した。
天野八郎と合わず上野の彰義隊を離れた渋沢成一郎を首領とし、彰義隊脱退者で結成した振武隊は、青梅街道の田無(現西東京市)の総持寺を本営とする。ここで成一郎は尾高惇忠らと隊士を集める。5月15日、彰義隊と新政府軍の間で上野戦争が起こる。その前日に箱根ケ崎(現東京都西多摩郡瑞穂町)に入っていた振武隊も行動を開始し上野に向う。しかし、彰義隊敗戦の報を受け、田無に戻り、彰義隊の生き残りを吸収して1,500名に膨れ上がった振武隊は5月18日、能仁寺に入り陣営を構築する。5月23日、3,500名の官軍は早朝から攻撃を開始、わずか数時間で勝敗は決し、寺はほとんど焼失。成一郎は被弾して負傷するも惇忠に抱えられて伊香保(現群馬県渋川市)に逃れた。参謀の渋沢平九郎(尾高惇忠の弟で渋沢栄一の養子)は変装して顔振峠を越えて敗走、黒山村(現埼玉県入間郡越生町)で官軍に捕捉され負傷、平九郎は割腹して自害した。22歳。成一郎と惇忠はなおも徹底抗戦の主旨を貫き、密かに江戸に戻り榎本武揚の艦隊に合流し、最後は箱館まで転戦するが、成一郎と惇忠は生き残り、維新後は渋沢栄一と共に生産・経済界で活躍します。
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振武軍旗(複製)
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四斤山砲榴弾(しきんさんぽうりゅうだん)
大砲玉箱
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◎地域の遺産
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宮沢湖の完成
昭和13年と、意外に新しかった。
現在は、ムーミンパークで大人気の場所となっている。
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西武秩父線の開通
昭和44年というので吃驚した。私が大学卒業した年である。
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郷土館(現博物館)建設の始まり(昭和57年)
㈱丸広百貨店から現金2億円が寄付された。
現金の山に圧倒されました。
私の家族は、川越のマルヒロが好きでいつも通っていますが、県西部各地にある丸広百貨店の創業者は飯能出身なんですね。
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◎山の霊場
飯能には、高山不動(常楽院)、子ノ権現、竹寺、岩殿観音、秩父御嶽神社など、「山の霊場」と表現される霊場がたくさんある。
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木造軍荼利明王立像(複製)
平安時代 常楽院蔵
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護符(高山不動)
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紹介したのは展示のほんの一部ですが、図書室でも中世武士についての本とか300藩主要藩士名簿とか歴史の本を楽しんで、集合時間になったのでここの観覧は終了。
近くの公園で、3密に気を付けながら持参の弁当で昼食。
午後は能仁寺、諏訪八幡神社、観音寺を参拝しました。
それは次回記事で。



能仁寺・諏訪八幡神社・観音寺の記事を見る


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

あれ、郷土資料館ではなくて博物館? と思ったのですが、前者が発展的解消して博物館になったようですね。それにしても、丸広百貨店の社長、1970年代に2億円寄付とはすごいですね。丸広百貨店って、確か、飯能駅から近いところにありましたよね。

それにしても、合併のためだと思いますが、飯能市って、ものすごい広さですね。私は飯能駅周辺だけと言う意識ですので。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
マルヒロは、飯能、川越、入間市、東松山に
大きい店舗を構えてますね。
飯能は広いですね。
matsumoさんはトレッキングが好きなので、
飯能の山にも随分と上がっているのでないかと、
思います。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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