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ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)

20200915

所在地:埼玉県ふじみ野市福岡3丁目4番2号
訪問日:2020年8月28日

ここには、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で参加しました。
川越と江戸を結んでいた「新河岸川舟運」についての探索です。
この日の企画は、まずこの「ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)」を見た後、「権現堂古墳群史跡の森」を経て、「ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館」を見る、というものでした。

新河岸川舟運は、川越藩主・松平信綱が開いて以来昭和初期まで続き、川越周辺の江戸との物資流通に大きく貢献しましたが、そのきっかけは川越大火で焼失した仙波東照宮(川越)と、天海僧正が住職だった喜多院の再建資材を江戸から新河岸川で運んだのが始まりといいます。

新河岸川から荒川に入り、川越から千住、浅草花川戸までを結んでいた。
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明治15年(1882)頃の福岡河岸並びに問屋三軒(吉野家、福田屋、江戸屋)の絵図
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明治40年(1907)頃の福岡河岸
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福岡河岸福田屋の船荷取引エリア(文久元年(1861)、文久4年(1864))
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明治中頃の河岸図
現在は、右端の河岸道が真っ直ぐ下に降りて養老橋がある。
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バス停から歩いてきて、養老橋の手前で右折、すぐに福岡河岸の船着き場に出る。
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その向かいが、吉野屋があった場所だが、現在は土蔵だけが残っている。
国登録文化財「吉野屋土蔵」
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その先の道を右折してすぐに、福田屋の塀が続いている。
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【ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧回漕問屋福田屋跡)】
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入口
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「埼玉県指定第1号 景観重要建造物」の表示
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右から主屋、離れ、文庫蔵。
手前の一番左が、案内してくださったボランティアガイドさん。
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現在は、主屋、離れ、文庫蔵のみ残っている。
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◎主屋
ガイドさんの案内で、土間から入る。
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船問屋について
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・オカジ
曲がりが多く、水深の浅い新河岸川では、熟練した船頭が、サオをさし、オカジで方向を定め、船をあやつった。
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・帳場
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・箱階段
引き出しをたくさんつけて、スペースを有効に使っている。
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回漕問屋の仕事を物語る物としては、最後に出てくる帆柱を合わせて、ここまでの物である。
大半は、別記事で後で出てくる、「上福岡歴史民俗資料館」に置かれていた。

あとは、回漕問屋として繁栄を誇った暮らしぶりを見ていくことになる。

・奥座敷
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床の間と書院棚
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床脇天袋襖絵には、桃太郎の絵が描かれていた。
ガラス窓の意匠も、ユニーク。
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書院窓の桟の意匠は素晴らしい。
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長い「神道無念流道場壁書」が掛かっている。
神道無念流の門弟にて、幕末の志士として名高い、水戸学派儒者・藤田東湖が写した額といわれている。
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この解説シートがあった。
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(27)


これで半分くらいまで、後は省略。

◎離れ
右側の三階建ての建物。左は文庫蔵。
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衆議院議員や剣道家としても活躍した福田屋十代当主・星野仙蔵が、接客用に明治33年(1900)頃に建設したと云われている。
三階まで達する通し柱は、四隅と室内2本の6本で構成され、大正12年の関東大震災の激しい揺れにもびくともしなかったといわれている。

文庫蔵に展示してあった模型
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見学は一階のみ。

和室の床の間
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床脇天袋襖絵は、尾形月耕の「月の海図」
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ガラス戸の意匠が素晴らしい。
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トイレもかくのごとし。
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◎文庫蔵
黒漆喰に塗り固められられた、切り妻造り瓦葺の木造二階建て。
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箱階段には、「慶応四戊辰正月吉日 福田屋仙蔵」の墨書が残り、平屋から二階建てに建て替える際に、別の建物の箱階段を再利用したとみられる。
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庭に屋敷神が祀られているが、稲荷社である。
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塀の内側に、帆柱が保存されている。
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これで、旧福田屋の見学を終え、新河岸川福岡河岸の船着き場に回った。
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上流方向。現在の養老橋。
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下流方向。
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しばらく新河岸川沿いに歩き、次の目的地「権現山古墳群」に向かった。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

確か、佐伯泰英著「吉原裏同心」シリーズの中に江戸から船で川越に行く話があって、行きは人夫達が陸地から引いて上流に向かう話だったと思います。また、池波正太郎著「鬼平犯科帳」シリーズ中に川越に船頭が歌いながら大川を下っていくのが描写されていた記憶があります。

それにしても、行かれた記念館を見ると、江戸時代や明治初期にあっては、大量輸送には船だったことがよくわかりますね。また、その地域の繁栄も。

それにしても、残っている家、立派ですね!

matsumoさん

コメントありがとうございます。
川越が江戸時代栄えたのは、舟運による
江戸との物資流通のおかげだと思います。
これは川越だけでなく、栃木、佐原など
近郊の都市はみな、そうですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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