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八坂刀売神(やさかとめのかみ)/日本の神々の話

20201108

八坂刀売命(やさかとめのみこと)、八坂斗女命とも表記される。文献には前八坂刀売神、八坂刀自神、八坂比売命、八坂姫、姫大明神等という呼称も見られる。

名義は不詳であるが、「八坂」は一説に「弥栄(いやさか)」に通じるとされ、神名は「ますます栄える女性(トメ)」の意味とも考えられる。

諏訪大社の祭神である建御名方神(諏訪大明神)の妃神とされ、諏訪大社下社ほか、各地の諏訪神社などに祀られている。記紀神話には見られない神であり、諏訪固有の神とも考えられる。

諏訪大社は諏訪湖を挟んで上社と下社が存在するが、上社の祭神が建御名方神、下社の祭神が八坂刀売神であり、諏訪湖の御神渡は、上社に祀られている建御名方神が下社の八坂刀売神の下を訪れる際にできたものであるという伝説がある。

『古事記』で、建御名方神は出雲の国譲りの場面で建御雷神と戦って敗れ、追われて諏訪に逃げ込んだと記されているが、一方で諏訪地方は洩矢神を奉じる部族を出雲族が制圧したという事実があるので、中央を制したヤマト王権に対して諏訪の出雲族が服従したことがこの話になったと考えられる。

八坂刀売神はどういう神か情報を並べておく。
1)一説では海人族(安曇氏)出身とされる。北安曇郡にある川合神社の社伝では、綿津見命の娘で穂高見命の妹とされている。

2)『諏方大明神画詞』によれば、神功皇后の三韓征伐の時に諏訪と住吉の神々が現れた。皇后は大変喜び、二神をもてなした。また、戦いに赴くことを海底の龍宮に知らせるために「高知尾の豊姫」を遣わし、海神から「満干の両珠」を借り受けたという。
延宝2年(1674年)の『諏方講之式』では「下宮亦八坂姫之云豊姫神」とあり、豊姫は八坂刀売神と比定されている。『高島藩書上帳』にも、下社の女神に関して「又名高知尾豊姫命」とある。

3)諏訪上社が主祭神を男神とし、そして後裔の大祝に男性を即位させたのに対して、下社側が祭神を女性として神話を持たせたと推測される。宮坂光昭(1987年)は、「ヤサカトメ」という神名が元々水稲農耕における豊作呪術をよくする巫女(かんなぎ)の名称であり、これが後に下社の女神に当てられたという説を提唱した。実際には下社の神事は農耕関係のものが多い。

4)平安時代の初め頃には既に下社に女神が祀られていることは平城天皇より下賜されたといわれる「売神祝(めがみほうり)印」の存在から窺える。なお、中世以降には混乱が生じ、下社の祭神に建御名方神、片倉辺命、事代主神、沼河姫、もしくは下照姫をあてる文書はいくつかある。現在は八坂刀売神とともに建御名方神が主祭神となっており、事代主神が配祀されている。

5)『古代豪族系図集覧』の系譜によれば、忌部氏の祖先とされる天日鷲命の孫・天八坂彦命の娘として八坂刀売命が記されている。
『先代旧事本紀』によれば、饒速日尊と共に下った32神のなかに、八坂彦命の名がある。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

「八坂」と言うことで、もしかして、京都の「八坂神社」と関係があるのではと思ったのですが、八坂神社って江戸時代の末期に改名された名前なのですね。明治時代にもそうですが、お寺はどうなっているかわかりませんが、神社って名前を変えているのがかなりある気がします。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
神社名の変化は、明治時代が著しいです。
江戸時代、幕府の方針で神社はお寺に管理されました。
別当寺というのがそうです。なので神仏習合が盛んでした。
それが明治になり、「神仏分離政策」となり、
神社とお寺が分かれ、名前が変わった神社があります。
そして、今度は一つの地域に神社は一つにしろと言われ、
色々な神社をまとめたら名前に困って、地域名を
つけた神社がずいぶんとあります。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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