秩父御嶽(ちちぶおんたけ)神社・東郷公園の紅葉
20201210
所在地:埼玉県飯能市坂石550-2
撮影日:2020年11月23日
この日は、所属する歴史クラブの「伝統芸能・祭り探訪」グループの企画で訪れました。
ここで開催される「もみじ祭り」参加を企画していたのですが、コロナ禍のため「もみじ祭り」は中止となりました。
しかし、当然ながらもみじは紅葉しているので、それを鑑賞しようと訪問した次第です。
ここには、個人的に2014年に参拝しています。基本的なことはこちらの記事を参照していただき、今回は紅葉を中心にした記事とします。
その時の記事を見る
この日は、吾野駅から送迎バスで奥武蔵休暇村の「あじさいラウンジ」でランチし、そこから歩いて秩父御嶽(ちちぶおんたけ)神社・東郷公園に着きました。

案内図
とにかくここは、日露海戦で有名な東郷平八郎元帥ゆかりの物が多い。

入口の辺は、紅葉がはじまった感じのもの。

秩父御嶽神社を創設した「清貫一誠霊神」の像の近くに、ちょっと紅葉が。

中央の石段を避けて、女坂をのんびり上がります。



布設水雷と砲弾が石段の左右に置いてあるところまで上がった。
日露戦争日本海海戦後、日本軍が掃海し、引き揚げたものが海軍省より下賜されたもの。
布設水雷はロシア軍が旅順港に多数布設され、日本海軍の入港を阻止しました。
砲弾はロシア軍バルチック艦隊より発射された主砲の巨弾で、日本海軍はこのために苦戦をしいられた。

この辺まで上がると、紅葉が鮮やかになっていた。

一段上がって東郷元帥の銅像だが、石段の上左右に、日本海海戦時の元帥の有名な言葉が、東郷元帥の字で刻まれている。
右に「皇国興廃在此一戦」、左に「各員一層奮励努力」。

東郷元帥のまわりが紅葉の錦で飾られていて、とてもいい感じになっていた。
ここの元帥像は、世界で唯一、東郷元帥の許可を得て建立された銅像にて、大正十四年四月十七日、元帥自らの臨席を仰ぎ序幕式が挙行された。
当時、元帥の徳を慕い銅像建立の許しを願う者は後を絶ちませんでしたが、元帥は断じてこれを許すことはしませんでした。
開祖の鴨下清八氏は、東郷元帥邸をおとずれること八十余回。元帥はその誠意に打たれ、ついに承諾された。


下の写真は、序幕式当時の貴重な一枚です。

見上げると、青空と紅葉の取り合わせがよかった。

日光に照らされた紅葉。

紅葉の手前に、純白の山茶花の花が。


三笠の被弾甲板です。
東郷長官(当時)の乗る旗艦三笠は、ロシア軍の集中砲火をあび、甲板は蜂の巣状になった。
間近で実物を見ると砲弾の破壊力がよく分かります。甲板の装甲なので厚さは2~3センチ程度ですが、固い鉄板が障子が破れたような形になって捲れている。

この時の、参謀秋山真之の「敵艦見ゆとの報に接し、連合艦隊は直ちに出動。之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し」は実に名文です。
あとは、紅葉の素晴らしさを探して撮りました。









この日は天気も良く、素晴らしい紅葉を楽しめて大満足でした。
集合時間まで、皆さん思い思いに紅葉を楽しみ、満足して吾野駅まで戻り、帰途につきました。
(了)
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撮影日:2020年11月23日
この日は、所属する歴史クラブの「伝統芸能・祭り探訪」グループの企画で訪れました。
ここで開催される「もみじ祭り」参加を企画していたのですが、コロナ禍のため「もみじ祭り」は中止となりました。
しかし、当然ながらもみじは紅葉しているので、それを鑑賞しようと訪問した次第です。
ここには、個人的に2014年に参拝しています。基本的なことはこちらの記事を参照していただき、今回は紅葉を中心にした記事とします。
その時の記事を見る
この日は、吾野駅から送迎バスで奥武蔵休暇村の「あじさいラウンジ」でランチし、そこから歩いて秩父御嶽(ちちぶおんたけ)神社・東郷公園に着きました。

案内図
とにかくここは、日露海戦で有名な東郷平八郎元帥ゆかりの物が多い。

入口の辺は、紅葉がはじまった感じのもの。

秩父御嶽神社を創設した「清貫一誠霊神」の像の近くに、ちょっと紅葉が。

中央の石段を避けて、女坂をのんびり上がります。



布設水雷と砲弾が石段の左右に置いてあるところまで上がった。
日露戦争日本海海戦後、日本軍が掃海し、引き揚げたものが海軍省より下賜されたもの。
布設水雷はロシア軍が旅順港に多数布設され、日本海軍の入港を阻止しました。
砲弾はロシア軍バルチック艦隊より発射された主砲の巨弾で、日本海軍はこのために苦戦をしいられた。

この辺まで上がると、紅葉が鮮やかになっていた。

一段上がって東郷元帥の銅像だが、石段の上左右に、日本海海戦時の元帥の有名な言葉が、東郷元帥の字で刻まれている。
右に「皇国興廃在此一戦」、左に「各員一層奮励努力」。

東郷元帥のまわりが紅葉の錦で飾られていて、とてもいい感じになっていた。
ここの元帥像は、世界で唯一、東郷元帥の許可を得て建立された銅像にて、大正十四年四月十七日、元帥自らの臨席を仰ぎ序幕式が挙行された。
当時、元帥の徳を慕い銅像建立の許しを願う者は後を絶ちませんでしたが、元帥は断じてこれを許すことはしませんでした。
開祖の鴨下清八氏は、東郷元帥邸をおとずれること八十余回。元帥はその誠意に打たれ、ついに承諾された。


下の写真は、序幕式当時の貴重な一枚です。

見上げると、青空と紅葉の取り合わせがよかった。

日光に照らされた紅葉。

紅葉の手前に、純白の山茶花の花が。


三笠の被弾甲板です。
東郷長官(当時)の乗る旗艦三笠は、ロシア軍の集中砲火をあび、甲板は蜂の巣状になった。
間近で実物を見ると砲弾の破壊力がよく分かります。甲板の装甲なので厚さは2~3センチ程度ですが、固い鉄板が障子が破れたような形になって捲れている。

この時の、参謀秋山真之の「敵艦見ゆとの報に接し、連合艦隊は直ちに出動。之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し」は実に名文です。
あとは、紅葉の素晴らしさを探して撮りました。









この日は天気も良く、素晴らしい紅葉を楽しめて大満足でした。
集合時間まで、皆さん思い思いに紅葉を楽しみ、満足して吾野駅まで戻り、帰途につきました。
(了)
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コメント
No title
四季歩さん、こんにちは
おお、ちょうど良い時に行かれたようですね。それも青空の下に。11/23(月)にこの状態でしたら、11/25(水)に旅行から帰ってから行っても大丈夫だったようですね。この辺り、都区内よりかなり高いので、もうとっくに終わっていると思っていました。
カルピスが配布したソノシートの中で、偉人の演説等を収めたものがあるのですが、そこに東郷平八郎が後日、読み上げた「皇国興廃在此一戦、・・・」が収録されています。
おお、ちょうど良い時に行かれたようですね。それも青空の下に。11/23(月)にこの状態でしたら、11/25(水)に旅行から帰ってから行っても大丈夫だったようですね。この辺り、都区内よりかなり高いので、もうとっくに終わっていると思っていました。
カルピスが配布したソノシートの中で、偉人の演説等を収めたものがあるのですが、そこに東郷平八郎が後日、読み上げた「皇国興廃在此一戦、・・・」が収録されています。
matsumoさん
コメントありがとうございます。
今年は、比較的どこでも良い紅葉なみたいですね。
matsumoさんは、たっぷりと京都の紅葉を
堪能してこられましたからね、うらやましいですね。
ソノシートの音源を収集しておられますよね。
その中には、貴重な音源多いんでしょうね。
今年は、比較的どこでも良い紅葉なみたいですね。
matsumoさんは、たっぷりと京都の紅葉を
堪能してこられましたからね、うらやましいですね。
ソノシートの音源を収集しておられますよね。
その中には、貴重な音源多いんでしょうね。