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平林寺の紅葉

20201214

所在地:埼玉県新座市野火止3-1-1
撮影日:2020年12月4日

カミさんと、のんびりと出かけてきました。
一般道、「狭山東京ライン」、所沢市街⇒所沢ICに乗換え、川越街道を少し走って、平林寺門前の駐車場に着きました。

総門を入り、受付を済ませる。
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境内図
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平林寺は、臨済宗妙心寺派。山号は金鳳山。修行道場として僧堂が設置されている。境内林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されている

1375年(永和元年)、現在のさいたま市岩槻区平林寺に創建。
戦火で伽藍のほとんどを焼失、1592年、徳川家康が招いた鉄山宗鈍禅師により中興。1663年(寛文3年) 川越藩主・松平信綱の遺志をうけて、子の輝綱が菩提寺として野火止に移転。
松平伊豆守信綱(は、老中を務め、「島原の乱」鎮圧、「明暦の大火」からの復興などを務めたが、玉川上水の開削という大工事の総奉行に任じられ、その功績から、自身が藩主を務める川越藩への分水を許可されます。水源に乏しかった武蔵野台地はうるおい、新田や街道などが整備されました。

私が住んでいる市でも、幕末の石高で言うとその三分の一が、松平信綱・輝綱によって新田開発された分なので、その功績は非常に大きなものです。

総門から山門への参道が既に紅葉した雑木林の中。
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山門
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扁額「凌霄閣」は石川丈山の筆。
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石川丈山については、京都の詩仙堂を訪れて関心を持ち、この平林寺を初めて訪ねたのは、石川丈山の扁額があると聞いてのことでした。
石川丈山は、徳川家康の近侍を務めていて、大坂夏の陣後致仕した人物で、致仕の理由も定かでない不思議な人物ですが、大変な文人であることは確かで、煎茶の祖ともいわれる。

仁王さんも古風な感じでなかなかよかった。
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ものすごい高野槇があった。
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仏殿
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中央の須弥壇には、南北朝時代の釈迦如来坐像と、室町時代の迦様・阿難の二尊者を安置している。
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仏殿の前が、きれいな紅葉を鑑賞できるスポットだった。
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片割れ地蔵
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名前が気になったので調べたが明確な説明は見つからず、元は一対であったが片方だけが平林寺境内にあることから、この名で呼ばれているという説明が多かった。

上皇陛下のお言葉が掲示されていた。
2009年(平成21年)11月26日、明仁天皇・皇后美智子夫妻が訪問した。なお、1977年(昭和52年)以来(皇太子時代)の再訪である。
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現在の世の中、かなり人心が荒廃しつつあると思われてならないが、天皇・上皇こそが「日本の良心」たる存在だと思う心しきりである。

今日は紅葉を愛でにやって来たのだが、緑が目に鮮やかな一角があった。
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島原・天草の一揆供養塔があった。
島原・天草の一揆(寛永14年、1637)200年遠忌に建立された、この一揆の犠牲者を弔う供養塔です。島原・天草の一揆は松平信綱によって平定されています。
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一昨年、娘が天草に住んでいるので訪問したときに地元の人から聞かされたことだが、キリシタン一揆と云われているが、実質は領主の過酷な年貢取り立てに端を発した農民一揆というのが本当のところらしい。
松平信綱は当初後方支援の役目で現地に行ったので、その辺の実情がわかり、川越藩主としては用水の開削、新田開発、川越と江戸を結ぶ水運の確立など、農民を豊かにする方策を推進した。

前田卓(つな)の墓
明治期の自由民権運動家、前田案山子(かがし)の次女で、夏目漱石『草枕』に登場する「那美」のモデルとされています。案山子も「志保田の隠居」として同作に登場しています。
卓と共に眠っているのは、卓の異母弟でのちに養子となった前田利鎌(とがま)です。
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見性院宝篋印塔
これを発見したことが、この日一番嬉しかったこと。
武田信玄の次女で、穴山梅雪の正室だった人だが、私の大好きな名君会津藩主・保科正之を養育した人である。
徳川二代将軍秀忠の乳母の侍女をしていたお静に、秀忠の手がつき子を設けるが、なにせ正室お江の方は秀忠に側室を持つことを許さず、途方に暮れたお静に頼られ、家康の庇護で江戸城に居た見性院が養育したのである。そして武田信玄の家臣だった高遠藩主の保科保科正光が養子として正之を育てた。
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松平信綱公一族の墓所
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紅葉が美しい一角に到着。
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野火止用水の跡
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半僧房感応殿まで戻ってくると、この一角にも紅葉のきれいなところがあった。
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半僧房感応殿
半僧房とは、方広寺(浜松)を縁起とする天狗の姿に似た大権現。山の鎮守として所願を叶えるそうです。
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以上で参拝を終え、近くのうどん屋さんで美味しいうどんを食べてから、帰途につきました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、12/4(金)でも、綺麗な紅葉が見られたのですね。平林寺と言うと、結構、都区内から離れていると言うイメージですが、都区内とあまり変わらない感じですね。

以前に書いたような気がしますが、私が高校生の時、高校の保養所?が平林寺の境内の中にあり、1回だけ、クラブ活動の1つで、泊まり込みで流星の観測に行ったことがあります。冬だったのですが、水道の水が凍り付く寒さでした。後、高校の運動会もそばのグラウンドで行いましたし(もしかして、平林寺の土地だったのかもしれません)。と言う訳で、平林寺と聞くと、つい、懐かしくなってしまいます。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私のような、長野県の田舎の高校を出た人間に
言わせれば、なんちゅう贅沢な高校や!
となりますね(笑)
平林寺は、実に良いところです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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