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武蔵国分寺跡周辺史跡探索(前半)

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所在地:東京都国分寺市
訪問日:2020年11月22日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で出かけました。
この日のコースは:
JR西国分寺(9時ちょっと過ぎ)⇒東山道武蔵路遺構再生展示施設⇒国分寺薬師堂⇒国分寺⇒国分寺楼門⇒旧本多家住宅長屋門⇒武蔵国分寺資料館⇒お鷹の道⇒真姿の池湧水群⇒武蔵国分寺跡(金堂跡・講堂跡・鐘楼跡・中門跡・七重塔跡他)⇒文化財展示資料室⇒武蔵国分尼寺跡⇒伝鎌倉街道⇒JR西国分寺(13時ころ)
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【東山道武蔵路遺構再生展示施設】
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7世紀に律令制が確立されるとそれに伴って、いわゆる「五畿七道」が設置された。
この際、武蔵国は相模国の東に接する海沿いの国ではあったが、近江国を起点に美濃国・飛騨国・信濃国・上野国・下野国・陸奥国(当時はまだ出羽国はなかった)と本州の内陸国が属する東山道に属することになった。このため、道としての東山道にもこれらの国々から大きく外れたところにある武蔵国の国府を結ぶ必要が生じた。
その結果、上野国府 - 新田駅(上野国) - 武蔵国府 - 足利駅(下野国) - 下野国府というルートが採用されることになり、新田駅 - 足利駅間は直進ではなく南北にわたってY字形に突き出る格好となった。この突き出した部分が東山道武蔵路である。
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国分寺市による東山道武蔵路発掘調査の航空写真
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ここに再生展示してあるのは、武蔵野段丘面から北方の恋ヶ窪谷に向かって下りながら、しだいに路面の中央がえぐれて切り通し状になる道路構造。
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東山道武蔵路跡200mほどがアスファルトで描かれ、歩道となっている。
幅12mもある、なんとも贅沢な歩道だ。
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途中に東山道武蔵路の説明がある。
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発掘された国分寺瓦で装飾されている。
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終端には、大きな樹が保存されていた。
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【国分寺薬師堂】
医王山縁起によれば、国分寺境内の薬師堂は、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。

単層寄棟造の建物で、昔は萱葺屋根でしたが、昭和60年に銅板葺の屋根になりました。正面厨子内には 国指定重要文化財の『木造薬師如来坐像』が安置されている。

正面から
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横から
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参拝
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立派な石灯篭があり。
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仁王門に向かって下る。
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仁王門
金網が二重に細かくて、仁王さんは残念ながら撮れず。
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参道に庚申塔などの石仏あり。
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国分寺本堂に到着。
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【国分寺本堂】
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医王山最勝院国分寺は、真言宗豊山派の寺院です。伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国分寺は新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝わっています。江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護しました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元年(1648)に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下付されました。以後、十四代家茂までの朱印状が残っています。享保10年(1725)に本堂が再建されたと考えられます。現在の本堂は昭和60年に改築されたものです。

【国分寺楼門】
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【お鷹の道】
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気持ちのいい道を行きます。
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【旧本多家住宅長屋門】
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代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷の入り口に、表門と先代の隠居所として設けられた。

表からの全景を撮らなかったので、庭からの全景を載せておきます。
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先代の隠居所部門
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本多雖軒
幕末期名主の4男として生まれ、医者、教育者として郷土に尽くした。
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2階に展示してある、織物とかの当時の産業。
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薬箱
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今の雨戸と同じような、錠としての機能「猿」。
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庭にあった「武蔵国分寺七重塔推定復元模型」
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庭には、植栽が多くてしばらく癒された。
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この奥に、武蔵国分寺跡資料館があるのだが、そこから次回の記事にします。



続いて後編の記事を見る



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

国分寺とかお鷹の道とか、行ってみたいとは思っているのですが、未だに果たせない所です。なるほど、こう言う感じのところでしたか。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
matsumoがいらしても、かなり自然のなかなので
気に入られると思います。
途中下車して歩いてみてはいかがでしょうか。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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