FC2ブログ

里見八犬伝を読み込む/第一集・巻の二・第四回

20210206

第四回:小湊に義実義を集む 笠のうちに孝吉讐(あだ)を遂(お)う

時:室町時代 嘉吉元年(1441)の4月
登場人物:里見義実、義実に従う郎党(杉倉木曽介氏元、堀内蔵人貞行)、金碗八郎孝吉(かなまりはちろうたかよし)、萎毛酷六(しえたげこくろく)
舞台:P05安房小湊、P06東条城
210205komina01a.jpg



210205komina02.jpg


要略:
・義実主従が鯉を釣れずに苦しんで三日目、長狭(郡)の白箸川で金碗八郎孝吉と出会う。
・金碗八郎孝吉は義実に、朴平と無垢三の仇を討ちたいと訴える。
・義実主従と孝吉は、小湊におもむいて旗揚げを企てる。
・土地の若者百五十人ばかり集まり長老の献策で、して、定包の家来萎毛酷六の籠る東条城を奪う。

里見治部大輔義実
210205komina03.jpg


金碗八郎孝吉
210205komina04.jpg


【ものがたりのあらまし】
 義実主従は毎日いろいろな場所で苦心したが、鯉はまったく釣れず、約束の三日目、長狭の自箸川の岸辺に来て釣ったが、やっぱり駄目だった。
 このとき、誰か何か歌いながらやってくる者があった。
里見えて、里見えて
白帆走らせ、風もよし
安房の水門に寄る船は
浪にくだけず潮にも朽ちず
人もこそ引け、われも引かなん
やってきたのは乞食風態の者だった。義実が鯉を釣りたくて苦しんでいると話すと、乞食は無遠慮に笑い出してしまった。
「なに、鯉を釣るのだと。この土地で鯉を求むるのは、ちょうど佐渡で狐を捕えようとし、伊豆の大島で馬をさがすに似ておる。労して功なきことだ、おやめなさい。安房一国には土地柄で鯉は生ぜぬわ、それを知らぬとは迂潤千万の仁じゃ。また、鯉は魚の王で、一国十部に満たぬ所には住まぬとさえ、昔から言い伝えられておるほどじゃ」
義実はそれを聞いて、麻呂、安西の魂胆が読めた。
乞食はここに至ってはじめて里見義実と見こんでこれへ来たと明かした。
彼は神余長狭介光弘の臣金碗八郎孝吉と申し、主君の行状が乱れ、淫婦玉梓の色香に溺れて、酒池肉林、ついに侫人山下定包を重用して、政務は手のつけられぬ乱麻の有様となったので、諌言したところ、身の危険を感じて逐電した次第だと。
五年の月日が経ち、侫臣定包と誤って主君を射たる朴平、無垢三の両人も、父の代には若党として我が家に召し使ったことのある者であり、両人の無念を晴らしたいが、顔を見知られているので全身に漆の汁を塗って姿を醜くやつし、ひそかに機を狙っていたところ、義実が当地に入国の噂を聞き喜んで参上したと語った。
「里見義実公、かかる名君を擁して義兵を起こしたなら、悪政になやむ民たちはたちどころにみな、君を慕い寄るは火を見るより、仁徳に国中あげてなびくは必定と信じます。なにとぞ御決意のほどを」
やや長い沈思黙考のすえに、「わかった、やろう」義実はきっぱりと答えた。
 義実主従は旗挙げのため、八郎孝吉とともに小湊におもむいた。
 孝吉が最初歌っていた歌は、「白帆走らせ、風もよし」は、白帆は源家の旗になぞらえたもので、「安房の水門による船は」の船は、荀子に「君は船なり」という言葉があるので、それをもじったと道々解説した。
小湊に着いたときには、その時ひびく誕生寺の鐘をかぞえて見て亥の刻(午後10時)だとわかった。
 孝吉の提言で、竹薮に火を放って、とにかく里人を集めることにした。
 月の出しおの一瞬の闇にばっとあがる渦炎火柱、誕生寺の鐘は火災を知らせるため、がんがんと早つきに鳴りはためいた。里人は、皆戸外にかけ出したが、中にも土地の若者たちおよそ百五十余人、火のあがる場所を日がけてまっしぐらに駆け集まって来た。
金碗八郎孝吉が皆を手で制しておいて、おだやかな口調で言った。
「わしは領内の衰亡を救うには暴君、定包を討つより法はないと思ったが、一人ではどうすることもできなかった。しかし天から降った幸せというか、またとない吉兆にめぐり会ったので人騒がせながら火を放って集まってもらった次第、一同この心をくんで、わが願いを聞いてくれ」
 それから、そばに立つ義実を引き合わせ、破邪顕正の力を示して、一国の平和をもたらし、民々の苦しみを救うてくださる決心を固められたので、そなた方一同の力を借りねばならぬと、熱弁をふるつた。
 義美もこの時、一歩前に進み出て、あいさつをした。
「まことに重大事ゆえ、よく考えて子々孫々のため、できることなら助力を頼みたい。さすればわれもまた奮起して必ず一同のために尽くすであろう」
 こう言われて土地の者どもが顔見合わせて相談したあげく、村長らしい老人が腰をかがめて前に出で答えた。
この長狭の郡は定包の股肱(腹心)の老党、萎毛酷六(しえたげこくろく)と申す者の勢力範囲であって、この酷六は東条城というのに立龍っている。定包を討つには手近の東条城を攻めてかかるのが肝心で、この城さえ手に入れば、物具も兵糧も思いのままで、挙兵にはまずこれが万全の策だと言うのだった。
 義実は、武将の軍略とも合致する。血祭はその策で行くことにしようとすぐに裁決した。
若者ども百五十余人に武装させ、三隊に分け、その中の一隊は、わざと金碗孝吉に縄をかけて先頭に歩ませ、謀反人を捕えたと欺いて東条の城門をひらかせ、その機に乗じてドッと攻めこむという作戦だった。
時のはずみというのか、これが、まんまと図に当たり、作戦どおり城門をひらかせて中に入ると、孝吉が自分ではらりと縄を解き、いきなり城兵をハタと切り倒した。どっと上がる歓声とともに義実の老党氏元も貞行も、寄せ手にまぎれこんで、一緒になって切りまくった。
だが義実が何よりも気にかかったのは、敵将萎毛酷六のこと。彼を逃しては滝田の本城の定包に戦いの用意をさせてしまう。こっちは寡兵だから不利に陥る道理と思って、城内隈なく捜しまわったが、酷六の姿が見当たらなかった。
「きてはすでに逃走したか、しくじった」
と思ったとき、金碗孝吉が、城の外から馳せ戻って来て、そこへ差し出したのを見ると、酷六の首であった。
「逃ぐるを追うて討ち取ってまいりました」
「おお、でかした。これで滝田の城も味方にとって一段と攻めやすくなった」
 義実の喜びに孝吉は陣中大いに面目をほどこした。かくて東条の城もなんなく落ち、おとなしく降服する者は助けてやり、従う意志のある者は選んで家来とした。味方にはまた手落ちなく恩賞の約束をし、とっさの場合だが義実のやり口は機敏でさすがに名将の器というにふさわしかった。
一同気をよくして万歳をとなえ、歓喜のうちにいよいよ滝田の城にむかって進軍することになった。
東条の城には氏元をのこして守らせ、義実は孝吉、貞行たちと二百騎ばかりをひきいて出かけた。その夜、前原浦と浜荻の間にある堺橋のところまで来ると、里見の勢と聞いて野武士や郷士が、百騎二百騎と団を組んではせ加わり、とうとう千騎あまりの軍勢となった。それゆえ、後々までここは名も千騎橋と呼ばれて里見家ゆかりの名勝の一つとなったのである。


【注釈】
荀子(じゅんし):紀元前3世紀、中国戦国時代末の思想家・儒学者。正しい礼を身に着けることを徹底した「性悪説」で知られる。「青は藍より出て藍より青し」の成語で有名。
誕生寺:日蓮聖人生誕の地に建治2年(1276)に建立された寺
破邪顕正:不正を破って正義を明らかにすること)


里見八犬伝推移まとめのページに飛ぶ


スポンサーサイト



コメント

非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop