熊野神社(延喜式内論社)/埼玉児玉郡神川町
20210208
所在地:埼玉県児玉郡神川町八日市527
参拝日:2020年12月16日
御祭神:家都御子神・御子速玉神・熊野夫須美神(俗にいう熊野三神)
この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。
最初に訪れたのが、ここ熊野神社である。
武蔵国の延喜式内社44坐のうち「賀美郡・四坐」は長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社である。

ところが、神流川(かんながわ)、烏川(からすがわ)、利根川の度重なる氾濫による流失と、戦国時代織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となり、兵火により社殿や古文書が焼失した。
そのため、上記4座の式内社に比定される神社が、上里町に6社、神川町に3社となっている。
既に上里町の6社は済んで、この日神川町の3社に巡拝することにして、最初がこの熊野神社である。
入り口には、明神式鳥居と社号標が立つ。

社号標
社挌:式内社今城青八坂稲實神社論社、旧指定村社

御由緒書

熊野神社が鎮座する神川町八日市地区は室町時代末期に、八日毎に交換市が開かれた事が地名の由来だそうだ。熊野神社はこの地区の総鎮守である。
当社は村内字今城から今の鎮座地である森下の地に遷座されたと伝えられており、かつては今城青八坂稲実神社を称していたという。
本社は往古より村中の氏神と称し、延喜式當國四十四座の一にして今城青八坂稲實神社なりと云ひ傳ふ。神階は往古は知れざるも、正徳3年(1713)7月正一位の神階を授けられ今其の宣旨現存す。神領は上古は明らかならざるも、徳川幕府の時代に地頭より除地四反五畝歩を寄附せらる。
現在建物の本社は享保14年(1729)9月の再建にして、棟札を現存せり。又旧社地の村内字今城に鎭座ありしを、後に今の森下の地に奉遷したりと口碑に在り。
(神社明細帳)
手水舎

境内の様子

入母屋造り瓦葺きの拝殿

向拝部は、特に彫刻もなくシンプルなもの。

社額には「正一位熊野大権現」とあり。

拝殿内部
本殿まで橋がかかっている。

拝殿の後ろに、大きなガラスの覆屋で本殿を守っている。


本殿は春日造りで、色彩も豪華で、壁面には精緻な彫刻が施されていると、由緒書きにあったので期待した。覆屋もガラスであるし。
しかし、太陽の光線のため内部がよくわからない(泣)
やっと撮れたのがこのくらいの写真であった。



ご祭神であるが、ここのご祭神は紀州熊野三山のご祭神であった。
同じ式内論社で上里町の熊野神社のほうは島根県の出雲一之宮熊野大社のご祭神だったのと、対照的である。
神紋は「五三の桐」であった。

境内社として、資料では八坂神社・山神社・諏訪神社・金鑚神社・社宮司社・天神社・稲荷神社があるとされているが、確認できたのは三つの石祠だけであった。

これで当社の参拝を終え、続いて今城青坂稲實池上神社に向かった。
「神社巡拝」に飛ぶ
参拝日:2020年12月16日
御祭神:家都御子神・御子速玉神・熊野夫須美神(俗にいう熊野三神)
この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。
最初に訪れたのが、ここ熊野神社である。
武蔵国の延喜式内社44坐のうち「賀美郡・四坐」は長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社である。

ところが、神流川(かんながわ)、烏川(からすがわ)、利根川の度重なる氾濫による流失と、戦国時代織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となり、兵火により社殿や古文書が焼失した。
そのため、上記4座の式内社に比定される神社が、上里町に6社、神川町に3社となっている。
既に上里町の6社は済んで、この日神川町の3社に巡拝することにして、最初がこの熊野神社である。
入り口には、明神式鳥居と社号標が立つ。

社号標
社挌:式内社今城青八坂稲實神社論社、旧指定村社

御由緒書

熊野神社が鎮座する神川町八日市地区は室町時代末期に、八日毎に交換市が開かれた事が地名の由来だそうだ。熊野神社はこの地区の総鎮守である。
当社は村内字今城から今の鎮座地である森下の地に遷座されたと伝えられており、かつては今城青八坂稲実神社を称していたという。
本社は往古より村中の氏神と称し、延喜式當國四十四座の一にして今城青八坂稲實神社なりと云ひ傳ふ。神階は往古は知れざるも、正徳3年(1713)7月正一位の神階を授けられ今其の宣旨現存す。神領は上古は明らかならざるも、徳川幕府の時代に地頭より除地四反五畝歩を寄附せらる。
現在建物の本社は享保14年(1729)9月の再建にして、棟札を現存せり。又旧社地の村内字今城に鎭座ありしを、後に今の森下の地に奉遷したりと口碑に在り。
(神社明細帳)
手水舎

境内の様子

入母屋造り瓦葺きの拝殿

向拝部は、特に彫刻もなくシンプルなもの。

社額には「正一位熊野大権現」とあり。

拝殿内部
本殿まで橋がかかっている。

拝殿の後ろに、大きなガラスの覆屋で本殿を守っている。


本殿は春日造りで、色彩も豪華で、壁面には精緻な彫刻が施されていると、由緒書きにあったので期待した。覆屋もガラスであるし。
しかし、太陽の光線のため内部がよくわからない(泣)
やっと撮れたのがこのくらいの写真であった。



ご祭神であるが、ここのご祭神は紀州熊野三山のご祭神であった。
同じ式内論社で上里町の熊野神社のほうは島根県の出雲一之宮熊野大社のご祭神だったのと、対照的である。
神紋は「五三の桐」であった。

境内社として、資料では八坂神社・山神社・諏訪神社・金鑚神社・社宮司社・天神社・稲荷神社があるとされているが、確認できたのは三つの石祠だけであった。

これで当社の参拝を終え、続いて今城青坂稲實池上神社に向かった。
「神社巡拝」に飛ぶ
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コメント
No title
四季歩さん、こんにちは
石仏等を撮る者にとっては、細い桟とか、ガラス窓とか、鬼門ですよね。また、私は電車やバスの車内から映像を撮ることがありますが、その場合、ガラスの反射で車内が映ったりしますし。ガラスの場合、レンズの前に付けるゴム製の大きなフードみたいなものがありますが、そこまでは買う気がしませんし。
石仏等を撮る者にとっては、細い桟とか、ガラス窓とか、鬼門ですよね。また、私は電車やバスの車内から映像を撮ることがありますが、その場合、ガラスの反射で車内が映ったりしますし。ガラスの場合、レンズの前に付けるゴム製の大きなフードみたいなものがありますが、そこまでは買う気がしませんし。
matsumoさん
コメントありがとうございます。
自分とガラスと被写体の位置関係ですよね。
一番泣くのは、自分がガラス面に近づけないときですね、
ガラスに風景が映ってしまってどうしようもありません。
ガラスにレンズをくっつけても、今度はガラスと
被写体が近いと、全体が入らなくて泣きますね。
自分とガラスと被写体の位置関係ですよね。
一番泣くのは、自分がガラス面に近づけないときですね、
ガラスに風景が映ってしまってどうしようもありません。
ガラスにレンズをくっつけても、今度はガラスと
被写体が近いと、全体が入らなくて泣きますね。