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今城青坂稲實池上神社(延喜式内社)/埼玉県児玉郡神川町

20210218

所在地:埼玉県児玉郡神川町関口38
参拝日:2020年12月16日
御祭神: 淤迦美神、豊受毘賣命、罔象女神・埴安姫命

この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。

武蔵国の延喜式内社44坐のうち「賀美郡・四坐」は長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社である。
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ところが、神流川(かんながわ)、烏川(からすがわ)、利根川の度重なる氾濫による流失と、戦国時代織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となり、兵火により社殿や古文書が焼失した。
そのため、上記4座の式内社に比定される神社が、上里町に6社、神川町に3社となっている。
既に上里町の6社は済んで、この日神川町の3社に巡拝することにして、熊野神社に次いで当社に参拝。

全景
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社号標
延喜式内論社 武蔵国賀美郡「今城青八坂稲実池上神社」、旧社格は村社。
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由緒(社前の由緒書きより)
神亀元年(724年)[1]に、武蔵七党の丹党の安保氏の祖が大和国丹生川上神社を勧請、社名を「丹生社」とした。
一方『群村誌』によれば、延喜式内小社の今城青坂稲実池上神社と言い伝え、勧請は神亀元年(724)二月のことであるという。
天正5年(1577年)3月には、阿保村字関口が阿保村から分村し、関口村とした。その際に、当社は関口村字池上に遷座し、関口村の鎮守とした。
「関口」の起源は、安保領13村の安保用水の堰口にあたることからと伝えられている。
明治時代に、社名を「丹生明神社」から現在の「今城青八坂稲実池上神社」へ変更した。

鳥居は明神型
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手水舎
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参道をしばらく進み、右折して社殿となる。
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右折して社殿。
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拝殿前の由緒書き
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拝殿は、入母屋造り瓦葺き。
入母屋側に向拝部を設けている。
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破風に狐格子
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向拝柱の木鼻は、飾り彫刻なしの、江戸時代のシンプルな木鼻。
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海老虹梁もシンプル。
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社額には「延喜式内 今城青八坂稲実池上神社」とあり。
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拝殿をのぞき込むと、奥の本殿を望むことが出来た。
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本殿の覆屋はまったく隙間がなく、本殿は見えない。
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境内社

右側4社の石祠群
左から疱瘡社、稲荷社、八幡宮、天満宮。
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左側5社の石祠群
左から蚕影社、愛宕社、諏訪社、八坂社。
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以上で参拝を終え、続いて阿保神社に向かった。


「神社巡拝」に飛ぶ



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Author:四季歩
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