FC2ブログ

里見八犬伝を読み込む/第一集・巻の四・第七回

20210220

第七回: 景連奸計信時を売る 孝吉節義義実に辞す

時:室町時代 嘉吉元年(1441)の4月から7月
登場人物: 里見義実、堀内貞行、金碗孝吉、蜑崎十郎輝武、一作、濃萩、金碗大輔孝徳(孝吉の子)、安西景連、麻呂信時、玉梓(怨霊)
舞台:P06東条城、P03滝田城
210220takita01.jpg


210220takita02.jpg


【要略】
・東条の城を守っていた郎党杉倉氏元から滝田城に使者が届き、麻呂信時の首を持参した。
・安西景連は謀って、麻呂信時を東条城とはさみ討ちにして滅ぼし、朝夷一郡を手に入れ二郡の主となる。
・七月の星祭の夜、義実は論功褒章として金碗孝吉に長狭半郡を与えると感状を出す。
・金碗孝吉は、ただ故主のため逆臣を誅したのみ、辞退すれば恩義を無にすると、刀を腹に突き立てて死ぬ。
・百姓上総の一作が子供を連れて現れ、娘濃萩と孝吉の子で、対面させようと連れてきたと述べる。
・義実はその子に「金碗大輔孝徳」と名乗らせ、成人ののちは東条の城主とすることを約束する。
・義実は、孝吉が死んだのは玉梓の祟りかと恐れる。

杉倉氏元、麻呂信時を討つ
210220takita03.jpg


金碗孝吉の腹切り
里見義実、杉倉氏元の前で金碗孝吉が切腹。庭先に一作と孝吉の子供
左上に玉梓の怨霊が
210220takita04.jpg


【ものがたりのあらまし】
東条の城を守らせてあった老党杉倉木曽介氏元から滝田の城に使者がとどいた。この使者は蜑崎(あまさき)十郎輝武という者で、麻呂信時の首を持参したのであった。
その首級を挙げるに至った実情は、ある日安西より東条の城に、麻呂信時を挟み討ちにする提案があり、最初は敵の謀かと警戒したが、偽りなく麻呂の首を討ち取った次第だという。
 使者の言葉をじっと聞いていた義実が当の安西の動向を訪ねると、その日のうちに前原の柵を越えて、どこへともなく退去したとの説明。
そこに引き続き、東条の城から知らせが来て、景連はその足で麻呂の本拠平館を攻め落とし、またたくまに領地朝夷一郡を自分の手におさめ、今はまんまと二郡の主と成りすましましたとのことであった。
 この注進には一座の家来たちも、思わずあっと驚いた。義実の予告どおりだったからである。
 金碗八郎も堀内貞行もしきりと出軍を勧めたが、義実はこの進言をきかなかった。
「わしが定包を滅ぼしたのは、なにも自分の栄利を願ったからではない、民の塗炭(注1)を救わんがための義軍であったはずである。こうして士民(しみん)の力によって長狭、平群の主となっただけでも、思わぬ幸せと言わなければならぬ。今このうえ戦さをおこして土地を荒らしては、民がどんなに落胆するかしれぬ。それに安西はたとえ梟雄(注2)であっても、定包ほどの悪人ではあるまい。彼が二郡を領したからとて、軍をおくれば領地争いも同然、向こうが攻めてくればその時こそ迎えて雌雄を決すればよいではないか。ゆめゆめ手出しは無用、これがわしの主旨である、今後とも皆忘るな」
 そう言い聞かされて、近習一同は感動した。
 これで安房四郡はその後まったく平穏に帰し、世はのどかな明け暮れとなった。
 さて、やがて七月にはいって星祭の夜に義実は杉倉氏元、堀内貞行、金碗孝吉などの功臣のみを召して里見家の家例である点茶(抹茶をたてる) の会を催した。主従が語らううち、話は論功行賞のことにおよんで義実は感慨深げにつくづくと言った。
「さて、わしは二郡を領したとはいえ、まだそちたち功臣にもなんの賞することもない。氏元、貞行は、父の遺命をうけて、わしに従って艱難をともにし(注3)、その忠節は今さら申すまでもない。また白箸川のほとりで金碗孝吉に会わねば、この功業はとても果たし得なかったであろう。
今宵は二星が逢う日とか、そこでわしは天に誓おうと思う。まず当城の八隅(やすみ)に八幡宮を建立して、例年秋ごとにまつると、それからわが領内で鳩を殺すことを禁じたい。このくらいの布令はよかろうな」
「はい」
「ではあとは功臣の論賞だ。まず、金碗八郎孝吉には長狭半郡をあたえ、改めて東条の城主となってもらおう。氏元、貞行には、所領おのおの五千貫を授けたい。こころよく受けてくれ」
 義実はかねてしたためてあったと見えて、一通の感状(注4)を取り出して手ずから孝吉にわたした。孝吉はそれを受け取って三たびおしいただいたが、そのままそれを再び義実の手にもどし、
「この私を相伝補佐(注5)の老臣にさきだって恩賞賜わる深い御心を辞退いたしては非礼にあたりますが、某は始めより露ばかりも名利の心なく、ただ故主のために逆臣を誅せんと念じたまでにございます。いま君が威徳によって宿願を果たしたうえからは、はや他になんの望みもありません、」
「ああ、立派な志だ」
 義実は感動したが、どうしても金碗に恩賞をやりたかったので、さらに頼んだ。
 金碗八郎は義実の差し出す感状を、やむなく手にうけとりはしたものの、顔は当惑の色にかきくもった。
「あくまで辞退せば恩義を無にする仕儀となり、受くれば私の無欲の素志がくだかれます。この世あの世の二人の君がため、ええ、今はそれまでにございます」
と言うより早く腰の刀を引き抜きざま、御免とさけび、われと自分の脇腹にぐざと突き立てた。
「故主の横死(殺害による死)をとげた時から、すでにこの腹は切るべきでありました。ただ定包を討たんため、今まで生きながらえていた私、また故主を誤り害ねた朴平、無垢三の両人は、もと私が武芸を教えたことのある家僕どもでございましたから、その一つだけにても、故主に対して死すべき命でございます。今や尊公の知遇を受け、心では喜びながら、この非礼、なにとぞおゆるしくだされたい」
義実は驚いて、 「とめよ」
と叫んだ。老党の貞行、氏元はとっさに孝吉の拳にすがりついた。
義実は、いくたびもいくたびも嘆息した。
「かねて孝吉の志を知らぬではなかったが、これほどまでの堅固とは思いもよらぬこと恩賞沙汰のため、かえって死を早めたのは、返す返すも残念至極であった。これ孝吉、かくなると知ったなら早く披露すべきことがある。木曽介、早くあの老人をここへ呼べ」
氏元は、はっと答えて、
「上総の一作、これへ、はよう参れ」
と声高に呼ばわった。すると六十あまりになる百姓が姿を現わした。五歳ばかりの子を引いて、縁側に手をかけて首をさし伸べるように中をのぞきながら叫んだ。
「あっ八郎どの、孝吉ぬし。上総から爺の一作めがはるばるたずねて来ましたぞ、娘の濃萩(こはぎ)におぬしの生ませた子は、これこの子でございます。やっとたずねて参り、これから引き合わせ賜わるというので、やれうれしやと思った寸前に、なんたることぞ」
孝吉は、はっと目を開いたが、もう返事もできない様子。
杉倉氏元が代わりに云った。
氏元が館に向かう途中、この老人に会い事情を聞いたので、よし、わしが合わせてやる、それまでそっと内証にしておけ、と一作とこの子を折戸の陰に忍ばせておいて、恩賞のあとで引き合わすつもりであった。
「そういう事情だが、娘濃萩は産後の病で世を去った由。このたび、孝吉が安房にて定包を討って素志(注6)をとげたと聞き、この子の手を引いて喜び勇んで尋ねて参った老人こそ、思えば気の毒なもの」
「いや一作めなどの悲しみはものの数ではありませぬが、この子が大きくなった後、両親の顔知らぬのが何よりむごうございます。これ坊や、あの方がおまえの父御さま、よう顔を覚えておくのじゃよ」
と一作は指さして聞かせた。一作はもと金碗家の下男をしていた者だが、孝吉が神余家を去って浪人をしているおり、そこをたよって身を寄せ、ついに娘濃萩と恋に落ちた。いかに士魂のすぐれた武夫でも恋の道はまた別というのか。そして今、一足ちがいでその忘れ形見のわが子と言葉もかわすこともできなかった。この時、子供は指さされて「父さま」と呼んだが、もう孝吉はもの言いたげに動かす唇も色が変わって、はや臨終と見えたので、義実は幼な子をかきいだくようにして孝吉にむかって言った。
「そちの子は、この義実がしっかと預かったぞ。そちは余をたすけて大功をたてた。それをこの子の名として、金碗大輔孝徳と名のらせ、父の忠義をうけ継がせる。また成人ののちは、長狭半郡を与えて東条の城主といたす。いいか、心して成仏いたせよ」
 これが耳に聞こえたのか、孝吉は血にまみれた左手を動かし、伏し拝むような素振りをした。そして腹にさした右手の刃を横にきりきりと引いたので義美は後ろにまわり、みずからの刀で孝吉の首を打ち落として介錯した。一作はたまらず泣き伏し、幼な子はおろおろと驚きながらも、親の顔をさしのぞいたのでいっそうその場の哀れを誘った。さっきまで、七日の月が天にあったが、そのときいつか西にはいって蒼然となった。義実はふと過ぐる日、玉梓が孝吉に向かって、汝もやがて滅ぼすと言いのこした言葉を思い出して、陰にありし日の玉梓の凄艶な姿をうかべて、思わず人知れぬ鬼気におそわれたのであった。

【注釈】
(1)民の塗炭: 「塗」は泥水、「炭」は炭火のこと。泥水や炭火にまみめるような、ひどい苦しみをたとえて「塗炭の苦しみ」と云った。出典は中国の『書経』で、「王の不徳により、人民は泥水や炭火に落とされたような苦難を味わった」という故事に由来する。
(2)梟雄:中国では、「フクロウは、生まれた雛が親を食べて育つ」と信じられており、不孝・不吉・凶事の象徴とされていたことから、「残忍で強い人」の意。
(3)艱難をともに:「艱」は訓読みで「かたい・けわしい・なやむ・くるしむ」と複数の読み方があり、同じ意味の言葉を2回重ねることで、言葉で言い尽くせないほどのたいへんな苦労を意味する。
(4)感状:主として軍事面において特別な功労を果たした下位の者に対して、上位の者がそれを評価・賞賛するために発給した文書のこと。
(5)相伝補佐:一子相伝とは、学問や技芸などの奥義を自分の子一人だけに伝えることで、それを助ける。
(6)素志:初志は「初めに思い立った希望や考え」である事に対し、「余分なものをことごとく取り払っていった時に最後に残るもの、最終的にこれだけは譲れないもの、志の素(もと)」を素志と呼ぶ。


里見八犬伝推移まとめのページに飛ぶ



スポンサーサイト



コメント

非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop