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里見八犬伝を読み込む/第一集・巻の四・第八回

20210227

第八回:行者の岩窟(いわむろ)に翁伏姫を相す 滝田の近邨(きんそん)に狸雛犬(いぬのこ)を養う

時:室町時代 嘉吉2年(1442)~長禄2年(1458)
登場人物: 里見義実、五十子、伏姫、二郎太郎安房守養成、堀内貞行、杉倉氏元、金碗孝徳、万里谷入道静蓮、齢八十あまりの翁、技平、八房、安西景連、蕪戸訥平
舞台:P03滝田城、洲崎明神のほとり、長狭富山のほとり犬懸の里、P04館山城
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【要略】
・それから数年の月日が流れ、義実は上総国椎津の城主万里谷入道静漣の息女「五十子」を娶る。
・嘉吉2年(1442)伏姫が生まれる。
・嘉吉4年(1444)、伏姫が三歳になっても、もの言わぬため、安房郡洲崎明神のほとり役行者の窟に祈願。お礼参りの帰途伏姫が大変むずかると、翁(役行者?)が伏姫の相をみて「霊のたたり」とみて水晶の数珠を姫の襟にかけた。その数珠には、仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の八字が彫りつけてあった。
・文安4年(1447)年、長狭富山のほとりに住む技平という百姓の飼い犬が牡狗のひとつ子を産むが、狼が侵入して母犬を噛み殺してしまった。子犬は狸の乳で育てられた。
・堀内貞行がそこを通りかかり、その話を聞き犬の立派なことに驚き、滝田の城で義実に話すと、義実はその犬を見て気に入り、もらい受けて八房と名付けた。
・伏姫16の年(康正3年、1457)安西景連が自分の領地の不作を理由に米穀五千俵を借りる。翌年(長禄2年、1458)義実の領地が不作で困り、前年貸した米を返して欲しいと、金碗孝徳を使者につかわす。
・対応に出て来た蕪戸訥平が返答をしぶり、そのうち戦備の用意の様子を見て、金碗孝徳と従者は忍び出て、滝田の城に向かうが追っ手に追いつかれる。金碗大輔孝徳は行方知れずとなる。


以前は洲崎大明神と言われた「安房国一之宮洲崎神社」に、私は参拝しています。
そのときに役行者が東京湾入り口の守りの要として置いたと伝わる「神石」も見ました。

その記事を見る


【ものがたりのあらまし】
 それから数年の月日が流れた。里見義実の仁徳は付近の有名となり、独身の義実にあまたの縁談が持ち込まれ、上総国椎津の城主万里谷人道静蓮の息女五十子(いさらこ)をめとった。
まもなく義実の第一女が嘉吉二年(1442年)の夏の末に生まれ、おりから三伏の侯(注1)であったので名を伏姫とつけた。男子は翌年の末に生まれたが、これは二郎太郎とつけ、のちに父の後を継いで安房守養成といった。
伏姫は幼いころから非常に美しかった。古の竹取物語のかぐや姫もこんな乙女かと思われるくらいで、三十二相(注2)のどこ一つ欠けたところのない天生の美貌で、肌は玉のごとく白く、美しい産毛が長く項にかかっていた。しかし伏姫は三歳になってもものを言わず、笑いもせず、ただよく泣く子だった。父母は医療、高僧験者の加持祈祷に頼ったが、効き目があらわれかった。
母の五十子は、安房郡洲崎明神のほとりに役行者の石像のすえた窟があるが、とにかく三年の間、無事息災に育ったのは、やはり効顕の一つかもしれないと思って、お礼参りの使いを立てることにした。
七日の礼寵りも終わっての帰り道、姫が激しくむずかり出して始末につかなく困っていると、齢八十あまりの翁が一人、このありさまを見て自分の方から声をかけてきた。
「石窟のお帰りとあれば、この翁もーつ加持して参らせよう」
翁の風貌は白い八字の眉をおき、鳩の杖を手にしていたが、その姿はなんとなく品位もそなわって凡人とは思われなかった。翁はじっと伏姫の相をみつめていたが、やがてつぶやくように言った。
「霊のたたりとでも申そうかのう」
「えっ、それはまた何ゆえに?」
「いや別に驚くことはない。祓うことはできなくもないが、しいてそういたさずとも成り行きにまかせるがよいようじゃ。禍福はあざなえる縄(注3)というとおり、不幸は必ずしも不幸とばかりは申せぬ、一粒の木の実、死して大木を生ずる、一人の子を亡くすとも、あながち嘆くまいぞと里見の主に申し伝えてくだされ。ついてはこれを進ぜるゆえ、生涯の護身とするがよい。さあ」」
 翁はそう言うと、手に持つ水晶の数珠を姫の襟にかけた。見るとその数珠の大粒の一つ一つの面には仁、義、礼、智、息、信、孝、悌の八字が彫りつけてあった。何か異様な気持がして従者たちは思わず拝礼して受け、急いで問い返した。
「ただ今申されました祟りとは、どのようなことでございましょうか。」
「いや、それは心配いたされるな。妖は徳に勝つことはない、よしや悪霊がたたっていても里見の家はますます栄えるであろう。ただ盈つれば欠くる世の中(注4)、これを考えさえいたすなら祓うまでのことはない。伏姫という名にも何かゆくゆく因縁が生ずるかもしれぬ。」
翁はそう言って空中をなでた。そして洲崎の方へ向けて歩き出した。いや歩くというより走るというか、たちまち皆の目の前から離れ、遠くに去ってしまった。
茫然とあとを見送った里見の従者たちは、姫のむずかりがいつかやんでいるので二度びっくりした。
 その日、滝田の城に帰ってからも、この数珠は姫の襟にかけたままにしておいた。
そして四年たって姫が七つになった時は言葉も人並み以上に話せるようになっていたばかりか、昼は手習い、夜は管弦の調べにふけり、十一、二になると和漢の書を好んで読み、事の理をさとり、また親を敬い、召使の者をいつくしみ、立居振舞いに一つとして非の打ちどころがなかった。
さてこのころ、里見の領内に一つの珍しいことがあった。長狭富山のほとりに技平(わざへい)という百姓が住んでいたが、この技平の家の飼犬の子であるが、狼が侵入して、母犬を噛み殺してしまった。これには技平もほとほと困った。なぜなら技平は独身者であったから野良かせぎも相当放埓(ほうらつ)(注5)で、犬の食事に手ぬかりが多かったからだ。だがこの子犬は、実は狸の乳で見違えるばかり大きくなって、立派な犬に育った。今もこの辺の土地を犬懸と呼んでいる。
 そのころ、堀内蔵人貞行が犬懸の里を通りかかったとき、狸の話を聞いた。あまりに噂が高いので訪ねてみると、噂にたがわず犬の立派なのには感心し、滝田の城に帰ると、さっそくこのことを主君義実に言上した。義実も思わず膝を乗り出すようにして言った。
「同じ犬を飼うならそういう逸物を飼いたいものじゃ。むかし丹波(今の兵庫県東部) の桑田村に嚢襲(みかそ)という人があって、足往と名づけた犬を飼っていたそうな。これが今聞いたようにたいそうな犬だったらしい。ところが、足往はある日、貉(穴熊または狸)と戦ってこれをたおした。ところが、この絡の腹の中から、八坂瓊曲玉(注6)が現われたと、書紀垂仁記という本の中に書いてある。狸が犬の子を育てるとはやはり珍事じゃ。とにかく見たいものだ、一度その犬をここへ連れて参ることはできぬか」
「心得ましてございます」
 貞行は承知をして、この犬を滝田へ引っばってきて義実の見参に入れた。犬は骨太く、目するどく、大きさも普通の大の倍はあるだろう、耳はたれ、尾は固く巻き、毛並は白きに黒きがまじって、首と尾に八カ所の斑点があった。犬好きの義実は見ただけでは堪能できず、自分の手で飼いたくなった。そこで飼主の技平から滝田の城に引き取り、首と尾に八つの斑点があるからと、八房と名づけた。
希代の猛犬であったがよく慣れ、伏姫もよろこび、八房も姫になついた。姫が八房八房とよべば、どこにいても尾を振りつつ走ってくるようになった。春の桜、秋の紅葉、いくたびか木々の色を染めかえて、伏姫も十六という年齢になったが、容色はいよいよ膿たけて(美しく気品がある)、におうばかりであった。
 この年の秋も八月のころ、天候が悪かったため、安西景連の領地である安房朝夷の二郡が不作だという理由で、景連は老党蕪戸訥平(かぶととっぺい)を使者に、滝田の城の義実に米穀五千俵ほど当方へ貸しくれと申し入れた。同時に貴殿の息女を養うて一族のうちから婿をえらび、所領をゆずろうと思うがどんなものであろうかも申し入れた。
義実はこの申し入れに対し米穀はすぐ送り届けてやったが、伏姫の養女の件はあっさりと断わった。豊作凶作はまことに天の運であって、安西ばかりのことではない、いつどこに見舞ってくるかもしれぬ、お互いにこういう時、隣国の荒亡を救うのは当然の話である。しかし子供はわしも一男一女であるから、このうちの一人を他家へつかわすのは親として忍びない、これはお断わりすると。
 この時、金碗孝吉の一子大輔孝徳がこの時もう二十歳になっていて、近習に取り立てられていたが。義実の前に出てつつしんで言った。
「卒爾(失礼)ながら(注7)申しあげることがございます。このたび、安西景連の申し条ならびに態度は、注目すべきかと存じます」
「意見があるか」
「はい、ござります。まず恩を知る者ならば、餞饉の米穀を借ると同じ使者もて、姫君の養女を申し入るるはずはありません、非礼このうえもなき儀にて、君を軽んじたおこないかと愚考つかまつります」
「なるほど」
「将来の禍根をのぞくため、景連を討つがよろしいと思います。たとえ情けによって穀物を送っても、それは盗人に追銭、敵に刃を貸すにひとしく、なんの利益もありますまい、どうか御出陣をおきめください」
「ふうん。大輔ひかえるがよい」
 義実もいささか深刻な表情をした。大輔の進言には一理あったからであるが、しかし取りあげなかった。かりに仇なす相手だとしても、凶作に乗じて攻めるは無名の軍(注8)である、無名の軍は決して人心を得るものではないと退けたが、心では景連に対する憤りを感じた。
 その翌年、こんどは義実の領内の平群、長狭が大凶作に見舞われたので、金碗大輔が去年の秋、安西に五千俵の米穀を融通したのを返してもらおうと、安西の城に向かった。従者は十人ほどであった。
向こうに着くと、去年の使者蕪戸訥平に対面して、慇懃に主命のおもむきをつたえた。
訥平は奥へ引っ込んだが、その後、一向に不得要領なので、大輔も腹にすえかね、訥平に手きびしく談判したところ、今度は訥平が病気と称して会わなくなってしまった。そこでこっそり城内の様子を探ると、城内は静かに見せかけながら軍備の最中らしかった。さてはと大輔は驚き、かつ怒った。
「もし一日見破るのが遅れたら、大事となるところであった。不意に滝田を襲われるところだった。滝田の城に急を告げねばならぬ」
 大輔と従者は一人二人ずつに分れ、姿を変えて宿舎を忍び出ると、自領へむかって走ったが、一里ばかりも来たところで、蕪戸訥平のひきいる追手の勢に襲われた。先頭の訥平はこなたを見ると、馬のあぶみを踏んばって大音声にどなった。
「大輔孝徳、逃ぐるはきたなし、そちの主人義実は乞食同然の浮浪のすえ白浜に漂着、愚民をまどわして城主におさまった男だ。麻呂を滅ぼしたのもわが君が助けたればこそ、本来なら毎年わが君に貢物をささぐべきに、尊大にかまえて身のほど知らぬ痴者。娘伏姫も養女どころか側女として差し出してよいはずのものだ」
「何を言うか、そちの主人景連は義を破って同士の麻呂を討ち、おのれ一人命をまっとうして領地を横取りした世にも卑劣な男だ。里見はいつでも汝を滅ぼすことはできたが、慈愛ふかく平和のよしみによって今日に至ったとは知らぬか。去年はたばかって(だまして)米穀を奪い盗り、今年は凶作と見てふいに攻め寄せる、人の不運のみを餌食に、この世をわたる大悪将、さようなやからが長く栄えるためしがあろうか。まず汝から血祭だ」
 槍をふるって怒れる大輔は、敵勢の中におどりこんだ。けれども敵は多勢に味方は無勢、およそ半時あまりの乱戦で敵兵三十騎あまりをたおしたが、味方はほとんど全部討死し、地上に立つは大輔一人となってしまった。このうえは訥平と刺しちがえて死のうと、田畑山野を出没自在に駆け巡って探したが、目にあまる大勢にへだてられて、ついに訥平を討つことができなかった。このうえは死してもせんない、いったん血路を開いて後日を期ぞうと思ったか、大輔はやがてそのままいずこへともなく、閣にまぎれて行くえ知れずになってしまった。

【注釈】
(1)三伏(さんぷく)の侯:陰陽五行説において、夏至以降の三つの庚(かのえ)の日の総称です。一般的に夏至後、三回め「庚(かのえ)の日」を初伏(しょふく)、四回目を中伏(ちゅうふく)、立秋後の最初の庚の日を末伏(まっぷく)とした総称を言います。三伏の由来となる季節は夏、庚は火に属します。火は金を溶かす(火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶)…そこで、夏の間の3回の庚の日を三伏として、種まき(新しいこと)や旅行・縁談などは慎むようにと言われている。
(2)三十二相:もともとは釈迦が身体に具(そな)えている32の特徴的な形相(ぎょうそう)をいう。転じて女性の容貌、姿形などの一切の美しい相をいう。
(3)禍福はあざなえる縄:人生をより合わさった縄にたとえて、幸福と不幸は変転するものだという意味の故事成語です。その由来と語源は『史記』「南越伝」にあります。司馬遷は戦国の戦いで、失敗を成功に変えた武将をたたえて、このように述べました。ここでは戦いの成敗が転じたことを述べていますが、のちに人生にたとえられるようになりました。
(4)盈つれば欠くる世の中:満月になった月は、それからは欠けていくしかない。人も最盛期を迎えたり、栄華の絶頂に達したならば、次には衰えていくものだということ。
(5)放埓(ほうらつ):「埒(らち)」は馬の柵。柵からはなれ出るという意味。①勝手気ままでしまりのないこと。また、そのさま。②身持ちの悪いこと。酒色にふけること。また、そのさま。
(6)八坂瓊曲玉:日本神話では、岩戸隠れの際に後に玉造連の祖神となる玉祖命が作り、八咫鏡とともに太玉命が捧げ持つ榊の木に掛けられた。後に天孫降臨に際して瓊瓊杵尊に授けられたとする。八咫鏡・天叢雲剣と共に三種の神器の一つ。
(7)卒爾(失礼)ながら:「率爾」とは、「だしぬけ」「とつぜん」「いきなり」の意。「率」は、今でもいう「そつがない」の「そつ」、本来は、無駄とか手抜かりの意。「爾」は、「なんじ」とか「それ」「そこ」などの意もあるが、ここでは、率に付いて、その状態をあらわす助辞。
(8)無名の軍:「名分」は身分に応じて守るべき道徳上の本分のことをいう。転じて、事をするについての表向きの理由。⇒表向きの理由が説明できない戦い。



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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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