花巻・宮沢賢治記念館/宮沢賢治ゆかり

20100224

花巻駅からバスで新花巻駅(東北新幹線の駅)に出て、そこからタクシーで「宮沢賢治記念館」に行った。
100224hanamaki20.jpg


宮沢賢治はやはりすごかった
ここで、宮沢賢治は実に多才な人だったことを知った。
宮沢賢治が生きた時代は戦争、地震、津波、凶作と不幸に悲しむ人が多かった。妙法蓮華経を信じる敬虔な仏教家として行動した。
盛岡高等農学校(首席)で地学、農業、化学を修め、アインシュタインの相対性理論などを学び科学者だった。
地学での功績が大きいらしい。
農学校の教師であり、貧しい農村の改革に尽くし、農村に新興文化を興すことを目指した。
岩手県を「イーハトーブ」と名づけ、田園の風と光に満ち溢れたドリームランドとして捉えて、詩や童話を作り出した。

自身はチェロを、彼のよき理解者だった妹(早逝)がバイオリンを弾き、上京中は新交響協会で特訓を受けるという音楽家だった。
100224hanamaki24.jpg



「ヨダカ」の碑 
100224hanamaki21.jpg
  


「シグナルの小道」と名づけられた散歩道。
100224hanamaki23.jpg



記念館の喫茶コーナー。実に気持ちの良い空間だった。
100224hanamaki22.jpg


記念の絵葉書

野に立つ賢治(大正15年)
100224hanamaki17.jpg


賢治自筆画「ケミカルガーデン」
100224hanamaki18.jpg


賢治自筆画「みみづく」
100224hanamaki19.jpg


2006年10月14日訪問


「永訣の朝」から

あめゆじゅとてちてけんじゃ
まもなく消える妹の命。外は、霙(みぞれ)が降っているので変に明るい。妹が、熱で渇いた喉を潤そうとして、兄の賢治に「霙を取ってきて」と頼みます。

兄、賢治は「曲がった鉄砲玉のように」庭へ飛び出します。長年、妹と使ってきた、おそろいの茶碗を持って。


(Ora Orade Shitori egumo)
わたしは、わたしで、ひとりで 逝きます。

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)
今度は、こんなに私のことばかりで、お兄さんが苦しまないように 生まれてくるね。


私は、この詩を読むといたたまれなくなる。
私の妹も、早くしてガンで亡くなった。
介護の道を志し、腹痛に悩みながら、介護士の試験が済むまでは、と伸ばしていて、病院で診てもらったときは手遅れだった。
妹のご主人は、私に泣いてあやまった。
私が駆けつけた時、妹はもうしゃべることも出来なかったが、私の手を握ってポロッと一粒涙をこぼした。



スポンサーサイト

コメント

非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop