谷川岳/一の倉沢出合

20100828

8/21の土曜日に、越後湯沢でのテニスクラブの合宿に参加して、翌日(8/22)は鎌倉の友人(大学の同級生)と二人で別行動をとりました。
二人で行ったのは谷川岳。
登山ではなく、いわば「名山ウオッチング」

私の頭には、谷川岳というのは「魔の山」としてすり込まれている。
たぶん、後で説明するように、若いころにいろいろな遭難の記事を目にしていたからだろう。
それが以前水上温泉に泊まった時に、谷川岳ロープウェイで上に上がれるとか、一の倉沢出合までなら簡単に歩いて行けることを知って、「いつか行こう」と思っていた所だったのだ。

水上インターで高速から降りて、谷川岳ロープウェイの駐車場に向かう。
事前には、ここが一番心配していたところ。
混雑してて渋滞していたら、駐車場が混んでスムーズに入れなかったら・・・・・・・
何の問題もなく、スイスイと駐車場に入れた。
これで、今日は予定の全部を楽しめる(嬉)

まずは、片道一時間の「一の倉沢トレッキングコース」を楽しむことに。
あの名高き一の倉沢を間近に見ることができる「一の倉沢出合」まで歩く。

歩き始めてすぐ、こんな案内が。
環境保護をお願いしているのだが、文章が気に入った。
皆さん守りましょう。
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歩いて行く道は、ブナの林の下でほとんどが木陰でとても気持ちのいい道。
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実はこの道は国道!
一の倉沢出合は、国道291号線の「通行可能部分の最奥」になる所でそこから奥は、車道が途切れ徒歩でしか踏破不可能となる国道です。
現在は「点線国道」とも「登山道国道」とも言われているそうです。
徒歩でしか歩けない国道の部分を、また秋にでも来たいなと思いました。

途中にある「マチガ沢出合」
右に見えている岩は「マムシ岩」と言い、ロッククライミングの練習場だそうです。
この沢の左側に、「厳剛新道」という登山道があり、「ラクダのコル」を経て谷川岳に登れます。
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ふたたび、ブナの下をあるいていきます。
ブナの木漏れ日を仰ぎながら歩いていくのが、気持ちいいこと。
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「一の倉沢出合」に出ました!!
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休憩所のところに、こんなものが(笑)
熊は、怖いよね。
谷川岳ロープウェイに戻ってから、「クマよけ鈴」を買いました(笑)
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一の倉沢は、やはりすごい。
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一ノ倉沢などの谷川岳の岩場は、その険しさから剱岳・穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられています。
剱岳は、立山に登った時に立山頂上でご来迎を仰いだあと、尾根伝いに「剱御前」まで行って一時間ほど剱岳を谷越しに眺めましたから、これで2ケ所を「見た」ことになります。
登山はやらないので、近くから見るのが精いっぱい。

これがベストショット
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雪解け水は、美味しかった!!
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眼を凝らして、よく見ると雪渓のあたりは厳しい岸壁と、その下の稜線にスッ、スッと並んでいる松との取り合わせの景色がなんとも言われず
よかった。
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2010年8月22日 撮影


谷川岳遭難は世界のワースト記録
最後に谷川岳についてWikipediaに次の説明があったので、転載しておきます。

一ノ倉沢などの谷川岳の岩場は、その険しさから剱岳・穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられ、ロッククライミングのメッカとなっている。また、山麓はスキーのメッカでもあり、谷川岳天神平スキー場は関東でも有名なスキー場のひとつ。冬場はスキー客と登山客が同じゴンドラで天神平を目指すこともしばしば。

谷川岳と遭難
谷川岳の標高は2,000mにも満たないが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて、中央分水嶺のために天候の変化も激しく、遭難者の数は群を抜いて多い。

1931年(昭和6年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2005年(平成17年)までに781名の死者が出ている。この飛び抜けた数は日本のみならず世界のワースト記録である。ちなみにエベレストのそれは178人である。1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断、遺体を収容したこともあった(谷川岳宙吊り遺体収容)。

また、谷川岳の一ノ倉沢で1943年(昭和18年)9月8日に、2人の登山者が絶壁の岩場で遭難死する事故が発生した。しかし当時は遭難場所が解らずに2人は行方不明として処理された為に、遺体はそのまま岩場に放置されてしまった。それから30年後の1973年(昭和48年)5月13日に、偶然この遭難場所にたどり着いた3人の登山者が白骨化した遺体を発見。当初は遺体が誰なのか解らなかったが、遺体のポケットに残されていた10銭硬貨や過去の遭難記録から、この遺体が1943年(昭和18年)の遭難者のものだと判明した。そして1973年(昭和48年)5月25日に山岳クラブと地元警察により、30年ぶりに白骨死体は下山し親族の元に帰ったという事例もある。

谷川岳の気象の厳しさから標高1,500m付近が森林限界となるために、比較的低い標高でも高山植物が観察でき、首都圏から近いこともあって多くの登山者が訪れている。そうした登山者の中には気軽に訪れる者も少なくなく、急激な気候変動によって遭難する者が跡を絶たない。

こうしたところから、谷川岳は「魔の山」とも呼ばれる。遭難の防止のために群馬県谷川岳遭難防止条例が制定されている。
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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