在日の人

20110131

サッカーの決勝で、ゴールを決めヒーローとなった李忠成選手。
在日4世だという。
サッカーの決勝を見ていて、この選手の名前を見、翌日テレビでいろいろと報道されているのを聞いて感ずるものがあった。
彼は、以前韓国籍であり、韓国のユース代表の選抜合宿に参加したこともある。
だが言葉が通じず、壁も感じて4年前に日本国籍を取得したのだという。
やはりなあ、と思った。

私にも在日の子として生まれた友人が居る。
大学の同級生で、寮で一緒だったので仲が良かった。
梁○○という名前だった。梁君は大阪で生まれ、かなり以前の話になるが集団帰国が行われた時代があったが、それで韓国に帰国した。小学校4年の時だったという。
言葉が通じず、いじめにも合い、日本にまた帰ってきて、祖父母に育てられ中学から日本で育った。
よく、在日の人でなにか話題になったとき、「向こうの人なら、向こうに帰ればいい」と言う人が居るが、そんな簡単な話じゃないのだ。

大学4年になり、まあまあの大学だったので5月ころには一流どころに全員就職が決まった。
ただ一人を除いては・・・・・・
梁くんが決まらなかった。
今では考えられないことだが、島国根性の世間に、私も腹を立てたものだった。
梁くんは「カナダなら仕事がありそうだ・・・・」と言って卒業後カナダに渡っていった。

それから25年くらい経ち、彼から連絡があって、日本で再会した。
フォードとマツダが合弁でいろいろ始めた時期で、彼はマツダに派遣されてきたのだ。
フォードのエンジンの設計部長として
数年して、横浜に住むようになった。
会社が借りてくれたところだから、と言うが月80万のマンションだった。
今さらながら、ビッグスリーというのは大した会社だと思った。
アメリカンドリームだな、とも思った。

奥さんと二人で私の家にも遊びに来た。
奥さんは韓国で育ち、大学卒業後アメリカで働いていて梁くんと知り合った。
両親は韓国で、二人は日本、子供はアメリカと、グローバルな家族に私は目を丸くしたものだった。

梁くんについては、アメリカで成功したから、「良かったなあ」と私も素直に喜べたが、
在日コリアンの人たちを思うと胸が痛む。
もともとは無理やり日本に連れてこられた人がほとんどだからだ。
そして、いわれなき蔑視のなかで育ったのだから。

いままでは、日本名で活躍した人はたくさん居る。
野球で、金田投手とか張本さんとか。
力道山もそうだった。
李忠成選手は、「堂々と本名を名乗りながら、日本のために頑張る在日が居てもいい。新しい歴史を作ろう」と頑張っているそうだ。
そして、あのゴールで一躍それを実証してみせた。
4世にして、まだ「どうしようか」と悩む状況がある。
そのことは、もっと皆が考えなきゃいけないと思う。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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