鎌倉街道史跡めぐり

20110426

今日は、一日鎌倉街道の史跡めぐりを「嵐山(らんざん)」でしてきました。
私の住まいの近くを鎌倉街道の「上つ道」が通っていることもあって、三年前に一度考えて中断していましたが、時間的な余裕が出来たので、
鎌倉街道の史跡の写真を上つ道(群馬県高崎から鎌倉まで)について撮ろうとテーマにします。
2年くらいかかると思いますが。

で、今日は「嵐山(らんざん)」地区を撮ってきたというわけです。
詳しくはホームページに載せるとして、ここでは行った場所だけ紹介。
まずは、畠山重忠の居館跡「菅谷館跡」
畠山重忠は、頼朝以下三代の鎌倉幕府に仕えた重鎮で、特に頼朝に信頼された豪傑です。
まずは、そこにある「埼玉県立嵐山史跡の博物館」でお勉強(笑)
重忠のロボットが鎌倉街道の説明をしてくれたりしてます。
110426kama01.jpg


その後戦国時代に、上杉と北条の戦いの城となった関係で大きくなり、広い!
110426kama02.jpg


空堀が何段にもあって、堀も複雑な構造になっている。
110426kama03.jpg


110426kama04.jpg


タンポポが咲き乱れ、二つの学校の生徒がいたるところで写生していて、ちょっと参った(笑)
もうちょっと早くくれば桜もきれいだったな。
110426kama05.jpg


10時に「菅谷館跡」見始めたのだが、広いので気が付けば12時!
切り上げました。

都幾川を渡ります。もっと上流の景色が京都の嵐山ににていることから「嵐山」の地名になった。
しかし地方の人で奥ゆかしいゆえ、遠慮して「らんざん」と呼んでおります(笑)
110426kama06.jpg


途中のコンビニでおにぎりを買って、そそくさと食べておしまい。先を急ぎます。

大蔵館跡。源義賢の居館跡で、ここで「木曽義仲」は生まれました。
110426kama07.jpg


110426kama08.jpg


ええっ、木曽義仲は埼玉生まれ!  と吃驚しないでください。事実です(笑)
源義賢は、源氏の棟梁源為義の次男で、帯刀先生(皇太子警護役人の長)をやるほど人望も厚く、武名が高く、長男義朝よりも跡目争いでリードしていた。
ところが、義朝の子悪源太義平の急襲により、大蔵館で義賢は討たれてしまう。
そのとき、子供の駒王丸は二歳。討手の斉藤実盛と畠山重能(重忠の父)が不憫に思い、助けて木曽の中原兼遠に預けます。この駒王丸が、後の木曽義仲です。
で、源氏の棟梁は源義朝となり、それから頼朝に伝わっていく。
(悪源太義平は、平治の乱で死んでしまう)

次いで、源義賢の墓を訪ねます。
これが個人のお宅の庭にあるんですな(笑)
畑を突っ切って行けるように細い道をつけてくれています。お世話になります。
110426kama09.jpg


源義賢の墓
110426kama10.jpg


次いで、源義賢、木曽義仲、そして木曽義仲の子・清水義高ゆかりの「鎌形八幡」に行きました。
杉の林の中の気持ちのいい場所です。
110426kama11.jpg


向かって右手にあるのが、木曽義仲の産湯に使ったという清水の井戸。
110426kama12.jpg


竹の樋を使って、清水を引いていました。冷たくて美味しかった。
110426kama13.jpg


本殿の木鼻の彫刻に珍しい彫刻がありました。
よくある獅子ですが、蝶をつかまえている!
菅谷館跡の隣に、大きな「オオムラサキの里」という施設があるように、この辺はオオムラサキで有名なので、オオムラサキかも。
あるいは養蚕の蚕の成虫「蛾」かもしれません。
110426kama14.jpg


次いでは、班渓寺。
ここには、木曽義仲の妻「山吹姫」の墓があります。
木曽義仲が近江で討たれたあと、ここまで落ち延びてきて、ここで暮らして没したようです。
姫を開基として、班渓寺が作られたそうです。
110426kama15.jpg

「山吹姫」のお墓
110426kama16.jpg


最後に、武蔵型板碑をたくさん保存してある「向徳寺」に寄りました。
向徳寺は、藤沢市にある有名な「遊行寺」の末寺。
110426kama17.jpg


一応予定を全部まわって、15時に終了にしました。




スポンサーサイト

コメント

No title

鎌倉街道の史跡を2年もかけてめぐるなんて、すごく壮大な計画ですね。嵐山もこんなふうに詳しく歴史を調べながら廻るとなかなか興味深い場所なんですね。
菅谷館跡は行ったことがあるのですが、そのときは嵐山渓谷への道すがらちょっと寄っただけなんです。今度四季歩さんみたいにじっくり見てまわろうかな。

四季歩さんは写真行のときいつもひとりなのですか?

No title

四季歩さん、こんにちわ

鎌倉街道ですか、地下鉄赤塚駅より東京大仏に行く途中に、鎌倉街道と道標がある道と交差するので、その時、初めて「鎌倉街道」と言われる道があることを知りました。多分、あの道をどちらかに進めば、鎌倉に着くのでしょうね。

さて、武蔵嵐山には何回か行ったことがありますが、確か、駅より南下して、川を渡り、物見山、岩殿観音に行った記憶があります。

コメントありがとうございます

Jさん
あの辺は、いいところですよね。
だから、のんびり何も考えずに解放されるのも良し。
また、歴史をひも解いて、面白がるのも良し、
ですよね。

なにしろ、去年の11月から自由になったばかり
なので、いろいろとやりたい事始めてますが、
仲間はおいおいと出来てくると思ってます。

matsumoさん
その場所だと、鎌倉街道の「中つ道」ですね。
鎌倉街道は三本あって、私の住まいの近くを通っていて、
今回記事にしたところは「上つ道」です。
私は、まずは「上つ道」を全部攻めようかと
思っています。

駅より南下して、岩殿観音の方向だと、今回の記事の
ところとは方向がズレてますが、鎌倉街道は
突っ切っていますね。

旧鎌倉街道

始めまして。
将軍沢の鎌倉街道旧道を探索頂きありがとうございます。ここはいつも我々で出来るだけの手入れをしているところです。ただ時々粗大ごみの投棄があるのが悩みなのです。
このあたりは里山と旧跡があるのが良いところですが、田んぼも徐々に耕作放棄地で荒れてきているのが残念なところです。
機会ありましたらまたおいで下さい。

No title

kanekoさま
拙ブログにいらしていただき、ありがとうございます。
鎌倉街道の手入れの由、頭が下がる思いです。
お陰様で、私のようなファンが気持ちよく
訪ねることが出来るのですよね。
私が住んでいる辺も、武蔵野の雑木林が残って
いますが、粗大ごみの投棄をよく見かけるのは、
とても残念です。
たしかに、将軍沢の鎌倉街道旧道が分岐して田んぼに
突き当たっている辺は、田んぼが2枚休耕田に
なってましたね。
残念です。

re:旧鎌倉街道

おはようございます。KLB嵐山に訪問いただきありがとうございます。
よくよく見たら、コメントの場所を少し間違えていました。(高城橋の旧道のある記事にコメントしたのです)
そう、その高城橋の前後の上流側が休耕田になっていますね。と言うか耕作放棄地ですね。実は当家の耕作放棄地はそのさらに上流にあるのです。舗装されていない農道は草刈りをしないと1年で人も入れなくなってしまうのです。それで南側の旧道50mは故意に手入れしないでクルマが入れないようにして不法投棄を防止しています。徒歩では自由に入ってもらっているわけです。

kanekoさん

コメントありがとうございます。
あのあたりに、田んぼがあるんですね。
今は大変だと思います。

不法投棄を防ぐために苦心されて
いるんですね。

やはり、やられる方はたまったもんじゃ
ないですよね。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop