シモン・ボリバー

20110611

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系統:ハイブリットティー
作出:1966年、アメリカ・アームストロング
香りあり
四季咲き性
別呼称:サイモン・ボリバー

調べてみると、どうもベネズエラ・エルステムが生んだ元気のいいオーケストラ「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ」と同じ出処の名前ですね。
シモン・ボリバルについては、この記事で触れています。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-469.html

「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ」の名前のもとになった人物についてもわかったので、ここに載せておきます。

ラテン・アメリカ独立の英雄:サイモン・ボリバー、またはシモン・ボリバル(1783~1830)
ボリバーは、ベネズエラの首都カラカスの裕福な家庭に生まれましたが、9歳で両親が亡くなり、莫大な財産を相続します。叔父の元で育ち、15歳になると古代ギリシャ・ローマ、哲学者のボルテールとルソーの研究のため、ヨーロッパに渡ります。
 
1802年、19歳の時にスペインで知り合ったマリア・テレーザと結婚。しかしわずか1年後、ボリバーの故郷ベネズエラへの帰路、マリアは黄熱病で亡くなります。

スペインに戻った彼は、ナポレオンが「皇帝」となり、兄のジョセフがスペインの王位に就いたのを目の当たりにします。合衆国経由で故郷に戻るとき、彼は、“自由の国”合衆国とスペインの植民地となっている南米各国の違いを実感し、自由と独立への強い願望を持つようになります。

27歳で陸軍将校となったボリバーは、ベネズエラで、スペイン支配に抵抗する組織に加わり、カラカスを掌握、スペインからの独立を宣言します。続いて、コロンビア国民軍を率いて首都ボゴタを攻略しますが、その後の戦いで、王党派の軍隊に敗北し、1815年、ジャマイカに亡命。この時、有名な「ジャマイカからの手紙」を書きます。匿名のジャマイカ人からの手紙への返信で、そこにはラテン・アメリカ各国の統一、共和制についての深い考察が、何ページにもわたって記されていました。この手紙はその後、優れた論文として南米の多くの人の心を打ち、自由と独立を求める運動の引き金となりました。

ハイチで、ペティオン大統領の軍事的援助を得たボリバーは再び独立運動の戦いに立ち、1819年までにベネズエラ、コロンビア、パナマ、エクアドルを合併させた「コロンビア共和国」を樹立し、大統領の座に就きます。1822年にはスペイン支配下からペルーを解放、高地ペルー共和国議会はボリバーの功績を称え、新国家の名前を「ボリビア共和国」と決定しました。  彼は臨時大統領に就任しますが、内戦が起こり、大統領の座を放棄、失意のうちに、1830年、結核で生涯を閉じました。

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コメント

No title

四季歩さん、こんにちわ

米国の歴史は多少は学校で習ったので知っていますが、なるほど、南米ではそんなことがあったのですか。アフリカを含めて、南米や中南米は第二次世界大戦後に独立したのだと思っていました。

それにしても、この手の話って、大抵は独立した後が大変なのですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私も、南米の歴史はほとんどわかりまん。
今回調べてみて、なるほどと思ったくらいです。
ナポレオンが「皇帝」となり、兄のジョセフがスペインの王位に
就いた、従って南米を支配していたの
くらいは知っていましたが。

No title

昨夜、テレビで「Q様」を見ていたら、歴史の問題で答えが「シモン・ボリバー」というのがあったんですよ。インテリ解答者たちはだれもできなかったのですが。

で、私もこの答えを聞いて「あれ?この名前近頃どこかで聞いたことがあるなぁ」と思ってよくよく考えてみたら、四季歩さんのブログで見たことを思い出したんです。

四季歩さんのブログはいろいろとためになりますね(^^)

Jさん

コメントありがとうございます。
テレビで出題されたんですね。
見ていたら、私もシメシメと思ったでしょうね。

でも、一生懸命調べて記事にしてますが、
忘れちゃうのも多いから(笑)
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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