8月15日

20110815

またまた、次期首相に名が挙がっている人がポロリと本音を口にした。
野田代議士が「復興は、千載一遇のチャンス」だと。
国民の痛みよりも、ゼニ勘定のほうが大事らしい。
国政の、国とはイコール国民だと、私は思うのだが、
国民よりも利権とかゼニ勘定のほうが大事な「政治屋」ばかりが国会を埋めている現実である。
だから、国民があれだけ放射能でひどい目に合っても、本音は原発推進の議員ばかりなのだ。
原爆で、あれだけ国民が辛い思いに合っても・・・・
国民のことより、原発、電力の利権のほうが大事なセンセイばかり。
金のかかる選挙を変えないと、こういう輩ばかりが代議士になっていく。

話は変わって、昨日ニュース番組で、進藤兼人監督の映画「一枚のハガキ」の特集を見た。
98歳にして、自分の体験を映画にして、遺言としようという訳らしい。
進藤兼人監督は32歳で召集されて、配属された部隊60名のうち54名が戦争で亡くなっているそうだ。
その54名の命を肩にずっと背負ってこられたそうだ。

私は、戦後生まれたのでもちろん戦争は知らない。
しかし、私の父親は、たまたま通信兵として内地に残ったが、部隊が乗った船は全部沈められ全滅したそうだ。たまたま生き延びたに過ぎない。
その話をボソッとしてくれたことがある。
結婚したカミさんの父親は、私が結婚する頃にはほとんど入院していて、3年後には亡くなった。
戦争で体を壊して、ずっと病気がちだったという。
カミさんの実家に帰郷していた時、たまたま地域の共同作業に私が出たときに、隣のご主人がカミさんの父親と同年代だったが、父親の戦争体験を聞いていて私に教えてくれた。
ボルネオなど南方の戦線に行っていたそうだ。
終戦のころには悲惨な状況になっており、みんな衰弱していて、食糧調達の元気もなく全員座り込んでいた。
座り込んでいる手の届く範囲に、トカゲとか蝶々がやってくると、それが食料となったという悲惨な話であった。
カミさんも母親も、そんな話はまったく聞いていなかったそうで、大変驚いていた。

戦争でひどい目にあった人は、たいてい黙して語らず。

私はたまたま、そういう親の体験を聞いたせいで、戦争はとにかくしてはいけないと、ずっと思ってきた。娘二人にも「お祖父ちゃんは、こうだった」という話はしてあげた。

戦争はすべきでない。
だから9.11は確かに悲惨な出来事だったが、
それに続く、米軍のアフガン侵略、イラク侵略は、私は肯定することはできない。
あえて、侵略と言わせてもらう。

ベトナム戦争と言う、いい教訓もあった。

今日のニュースで、戦争体験者が高齢化して、その思いが引き継がれていくのか心配と、言われていた。
だから、また聞きだが、自分の両方の父親の体験を書いておこうと思った。


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コメント

ありがとうございました

こんばんは

いいお話ありがとうございました。
とっても考えさせられる内容でした。
戦争などあったことが信じられないくらい豊かになった日本に生まれ、
最初に戦争の恐怖を知ったのが、ベトナム戦争でした。
みんなで楽しく見ているTVの向こうで本当の殺し合いをしているな
んて、恐怖と共に不条理さを感じました。
世界の人々が分け隔てなく、同じ地球人として一つになれる日がくる
ことを望みます。

メタボパパさん

コメントありがとうございます。
威勢のいい話というのは、みんな喜ぶのですが、
こういう点については気を付けないといけませんよね。
三島由紀夫の文学は、私も好きですが、
彼の進んだ方向には賛成できません。

ドイツが、アウシュビッツをきちんと保存し、
高校生は必ず見学するようにしているのは、
とてもいいことだと思います。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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