鎌倉街道散歩/(狭山市)徳林寺・八幡神社

20111016

10月13日(木)に市のコミュニティ・カレッジ「歴史講座」で史跡巡りを午前中4時間歩き回り、いろいろなところを見て歩きました。
翌14日に、あらためて写真を撮って歩いたのですが、その中から鎌倉街道に関係ある2ケ所を紹介します。
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鎌倉街道は、入間川を狭山市で渡っていますが、鎌倉幕府の防衛を考えたとき、入間川は格好の自然の防衛線であり、一次の防衛線が入間川、二次が多摩川ということになります。多摩川に至るまでの合戦で大勢がついてしまうということがあり、入間川が重要視されました。
歴史上、入間川の攻防としては、大きなものが二度あります。
1)新田義貞が鎌倉攻めの兵をあげたとき。
新田義貞は元弘3年5月8日に挙兵、これを迎え撃つ鎌倉幕府軍は入間川を防衛線と考え、二手に分け、主力軍が「上つ道」で入間川に、もう一方が「中つ道」で春日部に向かい、挟撃作戦をとりました。
ところが新田軍は早々と11日には入間川を渡ってしまい、遅れをとった幕府軍は挟撃作戦に失敗します。
両者は小手指原(入間川から所沢の広範囲だったらしい)の戦いで一進一退します。
このときの新田軍の本陣が狭山市入間川(地名)です。そして、15日夜に相模国の三浦義勝が新田軍に合流し、新田軍が勝ちを納める。
そして進軍した新田義貞が鎌倉を落とすわけです。

2)鎌倉公方の足利基氏が滞陣した「入間川御所」
新田義貞の死後潜伏していた義貞の子の義興・義宗兄弟が観応3年(1352)に蜂起し、御醍醐天皇の第7皇子の宗良親王を奉じて武蔵野国に侵入、鎌倉を奪います
鎌倉を奪われた足利尊氏は、武蔵野合戦(府中市、小金井氏)で義興・義宗兄弟と戦うが、ここでは劣勢、次いで四男基氏と合流した足利尊氏が小手指原・入間川の合戦で辛くも勝利し、義興・義宗兄弟は上州、越後に落ちていきます。

足利尊氏は京都の政情から上洛せざるを得ず、鎌倉公方として足利基氏を残し、更に鎌倉防衛のためには入間川が重要として、足利基氏に入間川に滞陣させます。
文和2年(1353)から康安2年(1362)にかけて、結局10年も滞陣することになります。3万から5万という大軍が滞在し、また関東の治世がここでなされたため(入間川御所)、ここ入間川は大いに栄えたといわれます。

○徳林寺(埼玉県狭山市)
元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉攻めの合戦にてこの地に本陣を置き、その守護神として聖観音を安置し、地頭小沢主税が開基となり、この寺が建立された。
また、鎌倉公方足利基氏が滞陣した「入間川御所」の地ともいわれています。
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この寺の宝物で特筆すべきは「釈迦八相図」と「涅槃図」です。
江戸時代のこの地の豪族綿貫家は「西の鴻池、東の綿貫」とうたわれた程で、酒井雅楽頭への24万両を筆頭に1000名近い大名や旗本に大金を用立てたといいます。
その綿貫家が狩野派の絵師を抱え、これを描かせたものです。市の史跡めぐりの際に拝観しましたが、実に立派なものでした。
残念なことに綿貫家は江戸幕府が壊滅したとき、貸し倒れとなり没落してしまいました。


山門を入って左側の六角堂に地蔵尊が安置されていますが、耳地蔵として信仰を集めています。
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河原などから穴の開いた石を探して、これをお地蔵さまに供えれば悲願が通じ成就するとの伝えがあるそうです。沢山の穴あき石がお供えしてあります。
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墓地に、五知如来の石仏があるのですがちょっと変わっていて、4体の如来が地蔵菩薩を真ん中にして立ち、大日如来だけが一体で離れた場所に立っています。
地蔵菩薩を真ん中にして、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)、観自在王如来(阿弥陀如来)。
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大日如来と板碑群
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○八幡神社(埼玉県狭山市)
祭神は応神天皇。
元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉を攻めるにあたり参拝した。

鳥居から神社までは急な石段を上ります。
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石段を登りきると拝殿があります。
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本殿と「駒つなぎの松」
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本殿の脇に新田義貞が馬をつないだとされる「駒つなぎの松」があったのですが、現在は枯れてしまっています。
根本だけ残っています。
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本殿の、正面を除く三面に、透かし彫りと浮き彫りの両技法を巧みに使い分け、「琴棋書画」を七福神などで表現した見事な彫刻が施されています。
ちなみに「琴棋書画」とは、中国で余技として貴ばれた琴・棋(囲碁・将棋)・書画のこと。
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床より低い場所にも龍などの見事な彫刻がされています。
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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