セクシーレキシー

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2002年6月 京都植物園にて撮影

系統:F フロリバンダ
作出:1984年ニュージーランドSamuel Darragh McGredy IV
咲く時期:四季咲き
花の形:八重咲きで房咲き
花の色:ミディアム・ピンク (ARS) またはミディアム・サーモン・ピンク
香り:マイルドな香り

花は優美なのにちょっと変わった名前です。
作出者マグレディの夫人の友人であるレックス・ホッチンに捧げたバラなのだそうです。
その友人のニックネームが「Sexy Rexy」という所謂“魅力的”なという意味合いとのことでした。

そして気が付いたのが、前回「スワン・レイク」をアップしましたが、作出者が同じマグレディ4世です。ですが、作出地が片やイギリス、片やニュージーランドとなっています。
それで、マグレディ4世に興味をもって調べてみました。

「MYの薔薇散歩」というブログに詳しく説明が載っていました。
http://ameblo.jp/mydesu/

このブログは薔薇に対する愛情のこもった素晴らしいところです。
マグレディ社に関する記事は、Jack Harknessさんの書かれたThe Makers of Heavenly Rosesという本の内容を参考にして書いたものだそうです。

せっかくなので、許可を得て、その記事を紹介しておきます。
*****
マグレディ家物語
1880年、サミュエル(サム)・マグレディは北アイルランドのポータダウンにナーサリー(園芸場)を開設しました。当初は果物やパンジーが主な生産品でした。
サム・マグレディの息子、サム・マグレディ二世は1895年頃からバラの育種をはじめ、1905年にはNRSの品評会に自分のバラを出品し、見事金賞を受賞しました。それ以後も何度も金賞を受賞し、「アイルランドの魔術師」と呼ばれるようになりました。
サム・マグレディ二世の息子サム・マグレディ三世も優秀な育種家で、マグレディ社は1928年には年間80万本のバラを生産するほどに成長しました。
しかし、サム・マグレディ三世は1934年に37歳の若さで死去し、残されたサム・マグレディ四世は、その時わずか2歳でした。
サム・マグレディ三世の妹の夫、ウォルター・ジョンストンが会社を引き継ぎましたが、その後育種に関しては見るべきものがありませんでした。
1939年には第二次世界大戦が始まり、政府の命令でバラ園の大部分は焼き払われ、野菜畑にされてしまいました。
バラについて何も学べないまま成長したサム・マグレディ四世は、大学も中退し、修行のために行かされた園芸場でもやりがいを感じられず、家に戻ります。
ウォルター叔父さんから、「これはお前のものなんだからね」と、育種用温室の鍵を渡されますが、輝かしい日々もあったマグレディのバラが、ろくに世話もされず、植木鉢の中で枯れかけているのを見て、サムは自分が何とかしなければと思います。
バラ作りを始めたサムでしたが、最初は上手くゆかず、自分でもあらゆる本を読んで勉強し、ドイツに行きコルデスに教えを請うたり、訪ねてきたユージーン・バーナー(J&P社の第二代研究所長)のアドバイスを受けたりして、バラの栽培に打ち込みます。
彼の努力は実り、1958年には最初の作出バラが誕生し、1959年作出の「オレンジエード」は、NRSの金賞を取りました。
1963年に作出された赤いツルバラには、会社を守り続けてくれたウォルター叔父さんへの感謝の念を込めて、彼の名前を付けました。
「アンクル・ウォルター」
それ以後も次々に優れたバラを作出していきましたが、彼もまたフランシス・メイアンと同じように、バラ作出者の権利ということについて考えるようになりました。フランスでは1950年代にバラの新品種でも特許が取れるようになりましたが、イギリスでは植物特許法がまだ存在せず、バラの作出による収入は法的に保証されていなかったのです。
サム・マグレディを中心とした運動の結果、1964年に植物ブリーダーの権利を認める法案が議会を通過し、その後もバラ栽培家達との軋轢はありましたが、やがてイギリスの育種家達は、作出バラのロイヤルティを受け取ることができるようになったのです。
世界中を旅するようになったサムは、北アイルランドの気候が必ずしもバラ育種に向いてはいないと感じ、理想的な場所を探し求め、一年中温室を必要としない、ニュージーランドのオークランドを選びます。
一方、北アイルランド紛争で、ロンドンデリーやベルファストでは流血の惨事が続き、サムの移転への思いを加速させ、1972年についにニュージーランドへの移転を決行します。
ニュージーランドへの移転は大成功で、マグレディ社はさらなる発展を遂げ、「セクシー・レクシー」、「ペントハウス」など数々の名花が生み出されています。
*****

(了)



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちわ

「マグレディ家物語」、楽しく読ませていただきました。それにしても、意外に思ったことは、第二次世界大戦中にバラ園が接収されてしまったことで、英国でもこのような強権が発令されるのですね。

後、思ったことは、日本では「二世」とか「三世」とかはほとんど使われず、使われる場合は、英国の使い方とは異なって、「日系二世」とか「日系三世」とかだと言うことです。英国の場合と似た使い方としては、「○世」の代わりに「第○代」で、芝居の役者や落語家、生け花・お茶の宗家や家元では、そう言う言い方だったと思います。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
戦時中の話で思い起こすのは、鈴木省三さんが
軍隊に行った留守中、奥さまが「とどろき薔薇園」を
守りとおしたことですね。
まあ、軍部が外国への宣伝用にバラを使った
せいでもあるのですが(笑)

名前がブランドになっている場合は、たしかに
必要になりますよね。
何世とか、何代目とかね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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