隅田川畔ウォーク(3)

20120428

24日に、市の歴史講座OB「歴史クラブ」の催しで、一日隅田川畔を歩いてきました。前回「向島百花園」をアップしましたが、その続きです。

【白髭神社】
天暦5年(951)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白髭大明神の御分霊をここに祀ったと、社伝の記録は伝えている。当社の御祭神猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内にたたれたという神話より、後世お客様をわが店に案内して下さる神としての信仰が生まれた。
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狛犬が、とても良い感じだったので撮ってきましたが、調べてみると文化12年(1815年)吉原の松葉屋半右衛門と山谷の料亭八百善が奉納したものでした。さすが、堂々としていますが、どこかあか抜けしているように感じます。
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石碑がまとめて置かれてありましたが、気になったのを撮っておきました。
まず「黒人塚」です。
ひょっとして、幕末とか明治に事件でもあって殺された黒人の? なんてのは、やはり妄想でした(笑)
「浜辺黒人」、北島玄二「うつせみの」の狂歌碑(黒人塚)だそうです。
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後ろに立っているのは、四世今日庵「こころほど」の句碑でした。

この碑が気に入ったのですが調べてみると、天広丸「くむ酒は」の狂歌碑でした。
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【白髭橋】
これは、江戸時代には無かった橋です。
創架は1914年(大正3年)5月。近在の人々が基金を募って資本金を作り「白鬚橋株式会社」を設立、大正2年4月に着工して約一年で完成した木橋である。長さは一三〇間(約230m)であったと伝えられる。橋に番小屋を置き、大人一人1銭の通行料を取ったが、当時は渡し舟も多く走り、経営は苦しかったという。後に2銭に値上げするも間に合わず橋の維持に支障をきたすようになり、1925年(大正14年)に東京府が買い取り、関東大震災後の震災復興事業の一環として現在の橋に架け替えられることとなった。
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白髭橋からのスカイツリー
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【橋場不動院】
天平宝字四年、奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が、相州大山寺で、一刀三礼して刻まれた一木三体不動(一本の木で三体の仏像を彫る)の随一と称せられ、悪魔降伏の威想を備え、信ずる者には、必ず霊験を与え給う不可思議の尊像として、古来よりご秘仏としてあがめられています。
江戸時代には橋場寺として、周辺の三条公、有馬侯、池田備前侯等をはじめとする武家屋敷の人々の尊信を集め、現在の本堂は江戸時代の建立で、小堂ながら美しく、江戸時代の特徴をよく現しています。明治末年の大火、関東大震災、戦炎などに、不動院を中心とした橋場の一角だけは、災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっているそうです。
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本堂の右前にある樹齢七〇〇年の大銀杏。江戸時代、隅田川往来の目印になったといわれます。江戸時代には、隅田川が交通機関でした。船で行きかう人々が不動院の大銀杏を見て橋場の地を知ったことでしょう。船着き場もあってここから吉原へ向かった人も多くいました。
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【隅田川畔】
隅田川をはさんでのスカイツリー。絵になりますね。
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堤防の壁に、大きな壁画が色々と飾られていて、楽しかった。
「浅草公園池畔観覧場のにぎわい」
凌雲閣がそびえ、二葉飛行機も飛んでいます。
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明治の浮世絵「待乳山雪のたそがれ」
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東京真画名所図解「今戸橋 雪」
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桜橋という、人と自転車だけの橋があった。
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待乳山聖天の向かいに「平成中村座」がかかっていました。
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【待乳山聖天(まつちやませいでん)】
推古三年九月二十日、浅草寺観世音ご出現の先瑞として一夜のうちに涌現した霊山で、その時金龍が舞い降り、この山を守護したことから金龍山と号するようになった。その後、同じく推古九年夏、この地方が大干魃に見舞われた時、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天と現れたまい、神力方便の御力をもって、この山にお降りになり、天下萬民の苦悩をお救いあそばされた。これがこの山に尊天が鎮座ましました起源であると記されているそうです。
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この築地塀が、唯一江戸時代のものだそうです。
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本殿
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境内各所に巾着と大根が記されています。
大根は身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳を表しています。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰のご利益の大きいことを示されたものです。
歓喜天が本尊だけあって、大根が悩ましい(笑)
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門前に、「池波正太郎生誕の地」の碑がありました。
時代小説の傑作を生みだしたのは、この地で育ったのが大きいのでしょうね。
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また隅田川畔を吾妻橋まで歩きました。

「春のうららの隅田川・・・・」は武島羽衣の作詞ですが、その自筆の碑がありました。
実に美しい文字です。
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正岡子規の句碑
「雪の日の隅田は青し都鳥」
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桜の枝とスカイツリーの取り合わせの妙。
桜が咲いていれば・・・・・(涙)
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吾妻橋にたどりついたところで、解散でした。
地下鉄で帰路につきました。疲れたあ~~



待乳山聖天の龍に続く




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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

本当に、ほぼ隅田川七福神の経路ですね。私は「向島百花園」に行く際は、南千住駅から歩くので、途中、白髭神社の境内を通のですが、「黒人塚」は私もてっきり、黒人が亡くなったりしたために作ったのだと思っていました(笑) それにしても、なぜか、あそこ、沢山の石碑がありますよね。

「待乳山聖天」、江戸っ子訛りと言う感じで、ちょっと読めないですよね。ここは、毎年、1/7に「大根祭り」が行われ、供えられた大根が調理され、御神酒と共に配られますので、もし、来年、隅田川七福神をまわられるのであれば、1/7が良いかもしれませんね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
貴重な情報ありがとうございます。
来春は、絶対に7日に行きます。

それにしても、やはり隅田川にはたくさんの
史跡がありますね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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