中山道めぐり

20120605

ピンころ地蔵にお参りした後、あらかじめ調べておいたお蕎麦屋さんで美味しい信州蕎麦を食べたあと、「望月」をメインに、せっかくだからと中山道宿場めぐりをしました。
中山道23次「塩名田宿」、24次「八幡宿」、25次「望月宿」です。
それと、この辺の観光パンフレットから、良さそうな石仏を探して歩きました。

中山道23次「塩名田宿」
ここの宿は、先を急いでいたこともあり、本陣跡などは省略して「お滝通り」と「石仏十王像」だけにしました。
「お滝通り」というのは、千曲川に向かって急な坂を下りますが、その途中に滝があったのでそう呼ばれた。
坂の入り口にあった蔵元の建物。
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「お滝」に立っていた常夜灯を復元したもの。
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「お滝」というのは、ここにあった神明社のケヤキの大木の根元から湧き出してくる滝があり、旅人の渇きを癒やした。水量が豊富で近くの住民の生活にも利用されていた。
今はケヤキも枯れ、根だけ残っている。湧き水の水量も少なくなってしまったそうだ。
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傍に、もう像が判然としない「道祖神」があった。
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お滝通りを降りていくと千曲川にぶつかる。
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「石仏十王像」は千曲川を越えて、中山道から50mほど入ったところにあった。

十王とは、冥府で亡者の罪状を決める判官の総称で、秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・太山府君・平等王・都市王・五道転輪王をいう。亡者は、初七日に秦広王の庁で裁判を受けるのを皮切りに、27日・37日・47日・57日・67日・77日・百カ日・1カ年・3年の計10回、各王のもとで裁判を受け、罪の軽重を判定され、次の世の生処を決められるといわれている。このうち最もよく知られているのが、57日の裁判を行う閻羅王すなわち閻魔王であろう。
江戸幕府が作成した『中山道分間延絵図』に、塩名田宿に十王堂があったことが記されている。
明治初期の廃仏毀釈によって今の姿になったのではないかと思います。
観光パンフレットには鎌倉期の作とあった。
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風化して、顔もわからなくなっている。
二体が、辛うじてこのようにわかる程度。
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中山道24次「八幡宿」
ここでは、八幡の町からちょっと離れたところにある「矢島の道祖神」を訪ねた。
宮型の道祖神では長野県最古のものだから。
これが、わからなかった(泣)
探しあぐねて、あきらめかけた時、「村人」発見!!
「あそこのお宮の境内にあるよ」
道沿いには、何も案内もなし、道沿いでなくお宮(鎮守の森)の奥の方にあった。「県内最古」が泣くのでは!!!
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幾つも並んでいるが
「旅の神」、「境を守る神」、「悪魔を払う神」、「子供を守る神」とさまざまに信仰されていると観光パンフレットにはあったが、どれがとれとはわからなかった。
一番立派なのが、これ。
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次いで、中山道沿いの「八幡神社」にお参りした。
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随身門
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この門にかかっている額「戈止武為」 (戈(ほこ)を止めて武を為す)
武の本義は、人と人との争いを止め、平和と文化に貢献する、和協の道を表した道徳的内容をもつものであり、いたずらに敵を殺し、闘争を求め、敵に勝つことのみが目的ではない。
という意味だと説明書きがしてあった。
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「左大臣」と「矢大臣」
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変わっているのは、刀の柄が龍になっている。
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本殿
創建年月末祥ですが、伝承に貞観元年、滋野貞秀公によるといわれ、望月三郎公は鬼門除の神として信仰されたという。吾妻鏡に「佐久八幡宮御前二十騎」とあるのをみても、当時の武将の崇敬の厚かった事が偲ばれます
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ここにある龍の顔が、何か変(笑)
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そして、ここの旧本殿にあたる「高良社」。
1491年、室町時代の建立と云われる高良社ですが、もともと高良社は高麗(こうらい、こま)社であり、この周辺で牧畜を営んでいた渡来人の社、という説もあるそうです。
後述の望月歴史民俗資料館に、発掘されたガラス製の装身具、勾玉は渡来物であることが確かなので、この地に渡来人が住んでいたことは確かです。
黒い扉と金色の紋が印象的でした。
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境内に、形が判然としませんが、それでも男女が寄り添って立っているのは判る「道祖神」がありました。
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八幡宿本陣跡
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中山道25次「望月宿」
私の父親が林野庁の職員を辞めたあと、長くここの森林組合の仕事をしていて、カミさんが父親から望月のことを聞いていたので、今回行きたがった場所です。

ここでは、まず「望月歴史民俗資料館」に行きました。そこが本陣跡でした。
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入り口の脇に「道祖神」あり。
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一階は、この辺の遺跡から出土した縄文土器とか渡来品とか、かなり立派なものがあって吃驚しました。
二階に中山道関係のものが展示してありました。
二階に上がる踊り場に、宗像志功の「望月の駒」という大きな版画がありました。
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「望月の駒」についておさらい。
千曲川と鹿曲川(かくまがわ)に挟まれた「御牧原台地」の広大な地域が望月の牧で、古代信濃の御料牧場の中心でした。600頭くらいいたようです。その中から4歳馬の優良馬を毎年20頭献上したといいます。
その「駒牽きの儀」は、毎年旧暦8月15日(満月)の夜に行われ、その名馬につけられた名が「望月(満月の意味)の駒 」で、望月という地名の由来です。

望月氏は佐久の名族であり、鎌倉時代には望月重隆が鶴ヶ岡八幡宮の流鏑馬の名手として武名をとどろかせました。望月は「依田七姓」の一つであり、源義家の弟義光を祖とするのは、「武田」、「真田」と同じです。
ですから、武田騎馬軍団を支えたのも望月の駒であり、真田十勇士のなかにも望月姓が居ます。
ちなみに、私は結婚して姓が変わりましたが、もともとは「依田」が姓でした。

紀貫之の歌が有名です。
  逢坂の関の清水に影見えて いまや引くらん 望月の駒

二階の展示室は、なかなか立派でした。
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本陣をしのばせるもの
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山仕事の道具
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この辺の中山道です。
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望月は石仏の宝庫で、観音、地蔵、大日如来、庚申塔、道祖神などで優に3000体を越えるといいます。
大学生が、よく一週間くらいかけて回っていると望月歴史民俗資料館の人が言ってました。
その中から、今回は140体あるという「道祖神」に絞って、しかも中山道沿いのもの数点だけ探して歩きました。

これは「むらおこし道祖神」で最近作ったものです。
道祖神としては最大。はっきりとした像でなく、昔のものっぽく彫ってあるのがご愛敬(笑)
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わりと新しい感じもするが、ちゃんとリストに載っていて、可愛いのでヨシとした(笑)
ガイドマップで「66」、「67」
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百沢の「祝言道祖神」
安曇地方で発生した道祖神の流れをくみ、宮廷貴族の装いをした男女が酒を酌み交わしている祝言像。安曇系は日本神話の神々で着衣も神々の装束なのに対して、宮廷貴族風なのが類例がなく貴重だと、説明書きがあった。
ガイドマップで「9」「10」
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(了)

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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

「矢島の道祖神」、標識が無ければ、とても道祖神とは思いませんね。見つけたとしても、単なる「祠」で終わりだと思います。

私はやはり、一般的な道祖神の方が好きです。ただし、安曇野辺りでは、最近は観光目的で、結構、新しい道祖神がありますが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
道祖神は、やはり二体が彫刻されたものが
いいですよね。
猿田彦と天鈿女の命とするのが多いようです。
セクシーなものもあって、なかなか楽しいです。
安曇野も多いようですが、私は当面佐久のに
こだわっていこうかなと思っています。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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