富士山頂

20090712

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石原裕次郎23回忌法要のイベントのニュースが賑わしているが、この映画をTVで放送したのも、その一環。
生前石原裕次郎は、映画は映画館で観て欲しいと、なかなかビデオ化をOKしなかったそうで、この映画が公開されたのも初とのこと。
私が子供のころ、なんといってもヒーローは石原裕次郎だった。

物語は、富士山頂に気象予報用の大きなレーダーアンテナを設置するという大工事を成し遂げたパイオニアたちを描いたものだ。

気象庁がやっと予算を獲得するが、許された工事は2年だけ。
説明する気象庁の局長と課長。
宇野重吉と芦田伸介が懐かしい。
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三菱電機の担当者は、富士山頂と東京気象庁との見渡しの確認、富士山頂の地盤確認がなければ見積もれないと食って掛かる。
ついに担当者は自己負担で事前調査をさせてもらうと言い出す。
それでなければ、責任持って仕事を取れないと。
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その責任感溢れる行動に、気象庁は三菱電機一社に単独発注を決める。
工事が二年間と短いので、確実を期すためもあった。

工事の物資を運び上げるのが至難。
7合八尺までは馬で運び上げ、そこからは人力である。
工事は難航する。
麓の馬方の組合長は、馬からブルトーザーへの切り替えを決心し、7合八尺まで運転手を叱咤激励してブルで登ってみせる。
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続々とブルが編隊で登っていく勇姿。
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2年目、工事の遅れを挽回するため、7合八尺から山頂までヘリで上げることを三菱電機担当者は検討するが、乱気流があるため、富士に近づかないのが鉄則だとヘリの運行会社はすげない。
しかし、ここでも若きパイオニアが現れる。
よく乱気流の発生を調査すれば出来るはずと、ヘリのパイロットの進言で、ヘリの輸送が可能になり、そのため工事は2年で可能な見通しが実現した。
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最後に残った難工事が、レーダーを包むドームの骨格の運び上げだ。
麓で組み上げて、ヘリの最大吊り上げ重量制限すれすれの物を正確な位置に下ろさなければならない。
乱気流の発生が障害となる。
条件は、風速が5m以上で10m以下、そして晴天。
この条件に合う日が無く、ヘリが飛べない日が続く。
台風が近づき、関係者がやきもきする中、ついに早朝、晴れ渡り条件が整う。
決行!
しかし途中で風速が変り、再トライが続く。
そして、ついに成功。
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裕次郎の、この手のパイオニアを描いた映画で「黒部の太陽」も良かった。
こういう映画は、男心をくすぐって止まない。


実は私にも、昔はパイオニア的な仕事をしたこともあるのだ。
ブラウン管の金型の加工である。
球面を二つ組み合わせた、複雑な形状に加工するのに、加工機の数値制御が必要であった。
アメリカで、コンピューターで図形を定義して、工具の座標値を計算させるプログラムが開発された。
そのプログラムを動かせるのが、会社が所有していたコンピューターではダメで、当時日本橋のIBMセンターにあったスーパーコンピューターのみ。
そこに通って、時間貸ししてもらい、プログラムをかけて、結果からバグを修正して。
そんな毎日だった。
ブラウン管は、最後方の電子銃のある位置からふくらんでいって、長方形の画面につなげる複雑なガラスの容器であり、最後には内部を真空にする。
その製作している現場を見せてもらったときは、本当に驚いた。
ガラスの製作はマジックの連続である。
旭硝子が、当時70%のシェアでブラウン管を作っていて、その金型を私がいた会社で製作していた。
ああいう仕事は誇りを持てた。
ほかにも、工場の生産管理にコンピューターを導入していくのも、当時はソフト会社なんて無かったから、全部自分で手作りのプログラムだった。
発展途上の時代だったから、何でも新しい事をさせてもらえたのは、エンジニアとしては幸せな時代だった。
機械の技術屋だったが、こうしてコンピューターと密接に触れたおかげで、いまでも技術屋だがPC大好き人間である。

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Author:四季歩
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