始皇帝/塚本青史

20120724

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いままで、中国はと言うと「三国志」であり「水滸伝」だった。ただ、これは北方謙三の小説が面白いから、繰り返し読んでいるに過ぎない、とも云える(笑)
図書館で、ふと目について始皇帝をちょっと勉強してやるか、と読み始めた。
万里の長城を作り、あの壮大な兵馬俑が埋まった陵を作った絶大な権力を擁した始皇帝はどんな人物だったのか。

読みやすい本だった。
小説とは思えないほど淡々と物語は進んでいき、そして淡々と読み進めていくうちに、いつのまにか淡々と読み終えていた(笑)
だから、どんな生涯だったのかは分かった。もうちょっとドラマが欲しかったかな。

それにしても、趙で人質となっていた秦の公子・子楚の子として生まれた「政」。
秦が趙に攻め込み、これ以上攻め込んだら腹いせに政は殺されるところだったのが、秦の内紛で秦の侵攻は止み、その後トントン拍子で太子となり、わずか13歳で即位してしまう。
本当の父親である豪商呂不韋の働きのせいで、即位後も呂不韋に政治をまかせる。
この辺が「歴史の綾」として面白かった。

そして、若き王・政が呂不韋の呪縛を自ら解いて実権を掌握し、能吏・李斯とともに政敵をたおし、暗殺者を退け、権謀術数と軍事力によって韓を手始めに、魏、楚、燕、斉、趙の戦国六雄を次々と滅亡させ全中華を統一、始皇帝を名のる。
やはり、只者ではない・・・・・

始皇帝が紀元前に活躍した時代は、ヨーロッパではローマ帝国が台頭し、エジプトではファラオ時代からクレオパトラのプレオマイオス時代に入り、中近東の一部ではユダヤ教が興隆し、世界がある意味で躍動期に入った時期。
日本はというと、ようやく縄文時代が終わり、稲作の弥生時代が始まって100年ほどが経ったころ。
やれやれ・・・・・

「皇帝」という名は始皇帝が始め、結局、中国では最後の皇帝(溥儀)まで、この呼称が継続したんだから、すごい。
また、「秦」という国名から、日本では「シナ」、「支那」。ヨーロッパには「China」という名前で伝播したわけで、すべての「始」であったわけだ。

ところが、後半、統一を果たしてからは、不老不死を追い求め、仙人オタクの感じになってしまい、まるっきりボケ老人の極み。
これは「太閤殿下」と同じだねえ。
絶大権力を握った人間は、どうしてもこうなってしまうのか・・・・・・

それまで、歴史・風土の違う7ケ国があり、墨家をはじめとする「学者集団」が政治を指導してきたこともあり、統一のためには「焚書坑儒」は必要な手段であり、暴政と片づけられるものでは無いことはわかった。

これで始皇帝の一生は把握できたとして、淡々と語られていた個々のエピソードを、もっと詳細なドラマとして深読みしたくなった。


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コメント

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四季歩さん、こんにちは

例えば、「三国史」より「三国志演義」の方が遙かに面白いですし。やはり、歴史物であっても、色々なエピソードを加えて、生き生きとした描写にして欲しいですよね。

そう言えば、徐福は不老不死薬を求めて日本に来たのですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
やはり、そうですよね。
ドラマティックでないと、読んでてつまらない。

徐福は、そうですよね。
何の本だったか、かなり妖怪な人間として
書かれていましたね。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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