高麗神社桜まつり{

20160404

東京都民俗芸能大会

20160321

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この大会は今年で第47回だそうだが、私は2012年に江戸東京博物館で行われたものを観にいって以来、毎年観ている。

この記事は19日(土)に行われたもので、歴史クラブの行事にもしている。
ちなみに私は19日(土)と20日(日)の二日間ともに観た。

19日(土)に行われたプログラム。
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以前は届け出れば撮影が出来たのだが、昨年から撮影が禁止になったので、この日の雰囲気を示せる写真は無い。
プログラムからの転載で我慢してください。

【1.八王子車人形】
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 車人形は江戸時代の終わり頃、現在の埼玉県飯能市に生まれた山岸柳吉(初代西川古柳)が考案した「ろくろ車」という、前に二個、後ろに一個の車輪がついた箱形の車に腰掛けて、一人の人形遣いが一体の人形を繰る、特殊な一人遣いの人形芝居。
 八王子車人形は、八王子に160年以上続く国選択無形民俗文化財であり、西川古柳座の前身は、瀬沼時太郎(2代目西川古柳)が、18、9歳の頃、初代西川古柳に弟子入りしたことから始まりました。古柳座の芸能は、初代西川古柳や、江戸の最後の人形遣い吉田冠十郎、文楽の吉田文昇らの指導を受けています。さらに、伝統的な車人形の操法を基礎として新鮮な工夫を重ね、昭和56年には乙女文楽の技法を取り入れた「新車人形」を考案しました。また、技法のみならず、首や衣装を始め豊富な用具を多数保有しており、古柳座独自の用具なども考案して新作の上演も可能にしています。

この日上演されたのは、幕開けにふさわしく「寿式三番叟」だった。
6体もの人形が登場し、舞台中を所せましと動き回るダイナミックなもので、人形同士のかけあいもあり、見ていてとても楽しかった。
普通文楽では一体の人形に三人ついて操るが、それを一人でやろうと台に座り、その台に車をつけて動き回れるようにした、その工夫には感心しきりだった。

【2.寺島のあおり獅子】
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 寺島のあおり獅子は、旧寺島町(現東向島全域、京島、向島、押上、墨田、八広の各一部)の高木神社、白蒙神社に受け継がれている祭礼伝統行事です。
「あおり」という長さ8間(約15m)ほどの幕布が獅子頭に付き、4名ほどで獅子の頭を持ち、胴体の長いあおりを氏子の手で両側から上下にバタバタとあおることにより罪積れを祓い、運気を呼び込み、あおればあおるほど景気回復、商売繁盛が成就されるといわれています。また、獅子は邪気を祓うので神輿の順路を清める大事な神事でもあります。
 獅子には雄雌があり、合図によって動き始め互いの尻尾(御幣)に誘導されて雄雌は合体、二匹は頭上高く差し上げ天を仰ぐ形になり、同時に拍子木が高らかに打ち鳴らされます。この儀式を下町の細い路地、氏子の家の軒先に一軒一軒入りながら行います。

普通の獅子舞と違い、大勢の人が幕をあおぐ。沢山の人が参加して、しかも動きをあわせなければならない。
老若男女が参加出来て、楽しみながら共同作業をするわけで、地域の一体感が生まれて、楽しい祭りになるんだろうな、と思った。

【3.ちんどん芸】
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 ちんどん芸は、街頭宣伝業の一種として発生しました。街頭で寄席の宣伝をする業態は、江戸時代から記録として残っています。明治以降は楽隊(西洋式・おり難子式)と口上を合わせた宣伝業が隆盛しましたが、景気の後退や取り締まりにより衰退しはじめ、大正後期になると「ちんどん」と後に呼ばれる太鼓と鉢を合体させた楽器の誕生と共に現在のちんどん芸が生まれました。当初は「ちんどん」一丁と口上のみの宣伝業でしたが、昭和初期には楽器や三味線との組み合わせで街を練り歩くようになりました。チンドン屋は、今では町を演奏しながらパレードをして商店などの宣伝を行うものですが、昭和30年代までは辻々で寸劇や珍芸を披露するなど変化しました。
 チンドン芸能社は、2015年「とやま全国ちんどん大会」で最優秀賞を受賞しました。この世界で最高峰の技を備える団体で、本公演ではチンドン芸能社の美香を中心に、戦前から戦後にかけてのチンドンの歩みを追った著作『聞き書きちんどん物語』の著者としても知られる「ちんどんワカメ」こと大場ひろみ、「豆太郎」の名で親しまれる若手の代表格・里野立による特別編成チームを組みました。舞台では伝統的な寸劇をはじめ、昭和20年代から伝承されてきた人形踊りなどを披露しました。

懐かしかった!!!
昔は、色々なところでチンドン屋さんに遭遇した。
口上もいいし、音楽もよかった。
今のように、自由な身の上なら、遭遇したらどこまでも付いて歩いていくことだろう。

【4.口上芸】
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 舌耕芸といえば、落語、講談、浪曲などの伝承芸が思い浮かびますが、街頭を舞台とする大道芸人たちも語りを伝承してきました。「がまの油売り」「バナナの叩き売り」などもそうした伝統の語りの一つです。
 口上芸の一つである「のぞきからくり」は、箱のなかの作り物や絵などを覗き穴から覗き見させる見世物で、図画としては貞享二年(1685年)園果亭義栗画『文字ゑつくし』に描かれています。その八年後には近松門左衛門の「ひら仮名太平記」に小道具として登場しています。最初は、からくり人形を見せたところから「のぞきからくり」と呼ばれましたが、江戸中期ごろ、西洋伝来の透視図の技法で描かれた風景画をみせるようになりました。のちに独特の節づけでうたう『からくり歌』で、地獄極楽や八百屋お七などを語るようになり、現在、新潟市西蒲区巻博物館に保存され、今もなお伝承されています。本公演では「のぞきからくり」を「八百屋お七」の演目で披露しました。
 坂野比呂志大道芸塾は、1985年浅草奥山風景という催しに際し、大道芸の第一人者であった坂野比呂志の指導により、浅草寺境内で大道芸を実演する目的で結成されました。当初は「大江戸観光クラブ」と称しておりましたが、その後、日本の大道芸の研究、記録、伝承などを目的として「坂野比呂志大道芸塾」と変更し、1989年から実演に関しては「浅草雑芸団」とも称して活動しています。

のぞきからくりは、実際には見たことがない。
私にとっての「のぞきからくり」は、夏目雅子の「時代屋の女房」に登場したものである。
あれはよかった。
この日も、口上の片方の人が女性だったので、夏目雅子に見えて仕方なかった。

【5.飴売り芸】
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 飴売りは、室町時代の「三十二番職人歌合」に登場する「地黄煎売り」は、薬草の地黄を煎じて製造した水飴で、補血、強壮、止血の効用をうたう薬でした。江戸時代になると糖分補給の駄菓子となり、家庭内生産が可能であったことから日銭稼ぎの振売りの格好な商品となりました。購買対象は、子どもや長屋のおかみさんたちであり、奇抜な衣装や面白おかしい歌や踊りを演じて興味をそそり売り歩いていました。
 江戸時代に飴売りの奇抜な姿が絵や随筆に残されていますが、今回は坂野比呂志より伝えられた「げんこつ飴売り」「物産飴売り」と、新潟県三島郡越路町(現長岡市)の祭りに踊られていた「飴屋おどり」を実演した。

見て聞いて楽しく、子供のときにこれを見たなら飛んでいったと思うものだった。

【6.岩手の鹿踊】
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 東京鹿踊(とうきょうししおどり)は、岩手県一関市舞川地区出身の東京近郊在住者と、鹿踊を通して郷土芸能や地域への関わり方、あり方、未来を考えるための様々なプロジェクトを実行するための外部有志で組織されています。
 舞川鹿子躍(まいかわししおどり)保存会は、岩手県一関市の山間地である舞川地区に1700年代から伝わっており、発祥は今の宮城県南三陸町と伝えられています。現在も南三陸町に伝わる行山流水戸辺鹿子踊は踊りや装束など一切が行山流舞川鹿子踊に準じて演じています。
 行山流舞川鹿子躍保存会(岩手県一関市)は、約300年前の江戸時代に、宮城県南三陸町から平泉に接する舞川地区へと伝わった「鹿踊」です。盆供養や豊作祈願として、本物の鹿角をつけ、背中にササラと呼ばれる竹竿を背負い、太鼓を叩きながら8人で歌い踊ります。若手も多く、他の鹿踊団体と交流会や寺社への奉納、歌の復活などに積極的に取り組んでおり、現在、岩手県無形民俗文化財の指定を受けています。

私が花巻で鹿踊りを見たのは、調べたら2006年だから10年前ですね。
宮沢賢治の足跡を訪ねて歩いているときに、花巻駅前で高校生が演じるのを見ました。

その記事を読む


この日は、一関から駆け付けたという人が埼玉県出身だということで驚いた。農業を勉強しているときに一関に行き、惚れこんで一関の市役所に勤務しているのだという。

【7.江戸太神楽】
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 太神楽の起源は平安時代に遡り、神社に伝わる「散楽」という芸能がその源といわれています。太神楽が民衆の人気を集めたのは江戸時代になってからでした。民衆から熱心な信仰を集めていた伊勢神宮や熱田神宮の神官の子弟が獅子頭を持って各地に出張し、神様に代わって縁起物の「獅子舞」を演じて神社の御札を配って廻りました。「神様の代わり、直接参拝する代わり」という意味から、当時はそれを「代神楽」と呼んでいました。
 丸一仙翁社中は、江戸時代から続く熱田派の太神楽で、寛文9年(1669年)に江戸城で将軍家の上覧に供し、三代将軍家光のお墨付きで苗字・帯刀を許されるに至り、徳川家の御用神楽となりました。八代将軍吉宗の時代になり、将軍の命を受けて神楽を一般庶民にも供する機会が生まれ、江戸民衆の趣向に合わせて「獅子舞」はよりユーモラスなものとなり、また「曲芸・茶番」等が大衆化して「江戸太神楽(代神楽)」の名でいまに継承されています。近年では昭和29年に昭和天皇のもとで御前公演、昭和39年及び53年には文化庁芸術祭優秀賞を受賞し、昭和55年には東京都無形民俗文化財の指定を受けました。
 おめでたい獅子舞と、お馴染み傘の上で色々な品物をまわす曲芸、数個の鞠や撥、輪などを放る曲芸など、お茶椀やグラスをのせた道具を体の色々なところに立てる曲芸など、ドキドキ・ハラハラ楽しんでもらえるパフォーマンスを心掛けています。

やはり、傘の上で色々なものを回して見せてくれるのが、とても楽しかった。

(了)


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江戸火消しの木遣り・はしご乗り

20160105

昨日の4日は例年どおり、日本橋高島屋で10時から行われた「江戸火消しの木遣り・はしご乗り」を楽しみました。今年はカミさんが初めて見た。

時間前に到着、高島屋のショーウィンドウを見ます。
今年は着物を展示してました。
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時間になると、江戸火消しが木遣を唄いながら登場。
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ホールで最初に「まとい振り」、続いて木遣を披露。
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続いて玄関前で「はしご乗り」
三人が、色々な技を披露しました。
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その後、例年どおりホールに設けられた売り場で、今年の干支の飾りものを購入。
六本木に移動して、ミッドタウンで昼食後、サントリー美術館で「水-神秘のかたち」を観た。


小鹿野鉄砲まつり

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12月13日(日)に、歴史クラブの企画で、秩父郡小鹿野町飯田八幡宮で催された「鉄砲まつり」を見ました。
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西武秩父からバスで50分、「飯田八幡」バス停で降り、バス通りから入ると、幟が沢山立っていました。
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まずは、お宮に参拝。
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賽銭箱に、こういうのが奉納されていた(笑)
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社殿の近くに、今日の主役、神馬が二頭つながれていた。
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神楽殿
一日お神楽が奉納されていたが、この日は小鹿野歌舞伎と鉄砲まつりを見るのが精いっぱいで、見ることができなかった。
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境内の適当な場所を見つけて、持参のお弁当を食べて、待つ事しばし、13時から小鹿野歌舞伎が始まった。
舞台は、秩父夜祭のときに上演される屋台芝居と同じく、山車に付け舞台をしたものだった。
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この日上演されたのは、「奥州安達原三段目 袖萩祭文の場」
あらすじ:
源氏に滅ぼされた安倍一族の復讐を描く名作。袖萩祭文の場は環宮明御殿(たまきのみやあきごてん)が舞台。八幡太郎義家は奥州の安倍頼時を討ち滅ぼしましたが、貞任(さだとう)・宗任(むねとう)兄弟がまたもや謀反を企てていると聞きます。そんな折、皇弟の環宮(たまきのみや)が誘拐され、宮の守り役傔杖(けんじょう)直方は手を尽くし行方を探しますが、まだ見つかりません。
 袖萩(そではぎ)は、親の許さぬ浪人との恋に勘当され流浪し、落ちぶれて盲目となっていました。父傔杖が環宮探索のかなわぬ時は切腹という話を聞きつけ雪の降りしきる中、娘お君に手を引かれて駆けつけます。しかし一徹な傔杖は、会おうとはしません。母の浜夕は、哀れな娘の姿を見て胸がはりさけんばかりの思いです。袖萩は祭文の文句に託して我が子を対面させ、父の許しを願います。
 傔杖も不憫(ふびん) な娘を許したい気持ちですが、娘の差し出した書状から貞任が夫であり、筆跡が環宮を誘拐した犯人と同筆と知り、なおさら許すことができず、奥へ入ってしまいます。雪の中に取り残された母子、そこへ義家の放った鶴殺しの嫌疑で同じ御殿に引かれていた宗任が来て袖萩に懐剣を渡し、一族の仇傔杖を殺せと迫ります。やがて義家が現れ、宗任の力量を惜しみ日本全国の通行証の金札をかけて命を助け、再び奥へ立ち去ります。
 傔杖は責任をとるため矢の根で切腹します。そうとは知らぬ袖萩も懐剣で自害。やがて、桂中納言教氏 (かつらちゆうなごんのりうじ)と偽って御殿に来ていた貞任が現れ、証拠の書状を奪い去ろうとしますが義家が現れて正体を見破ります。
 血気盛んな宗任は矢を放って勝負を迫り、詰め寄る兄弟に義家は後日、戦場で再会しようと約束して別れを告げるのです。


全体で一時間半ほどの演目でしたが、それを動画に撮ってきました。
あまりに長いので、40分弱ほどに要所で短縮し、三回に分けてアップしました。
下記クリックして見てください。

その一を見る


その二を見る


その三を見る



小鹿野歌舞伎が終り、いよいよ鉄砲まつりです。
最初、火縄銃鉄砲隊の演武を見ました。

次いで、大名行列と「お立ち神事」です。
十万石の格式の大名行列が参道を進み、その後を二頭の神馬が進みます。
神社の石段の下、両側に火縄銃鉄砲隊と地元ハンターの皆さんが待ち構え、一斉に放たれる銃火の中を行列と神馬が石段を駆け上がります。

石段の上に陣取って撮るのがいいのですが、お昼前からカメラマンに場所取りされていて、私は石段の下の参道で動画を撮りました。
下記クリックして動画を見てください。

鉄砲まつりの動画を見る


小鹿野歌舞伎と、鉄砲まつり、とても見ごたえがありました。
皆さん、満足されたようで、よかった(嬉)


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古武道・流鏑馬・薩摩琵琶/明治神宮秋の大祭

20151105

11月3日文化の日、歴史クラブの企画で明治神宮で催された「古武術」、「流鏑馬」、「薩摩琵琶」を見学しました。

原宿駅から、大鳥居の下をくぐって入ります。
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今年も菊花展をしています。
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明治神宮概要と菊花展については、昨年11月の記事を参照してください。

その記事を読む



さすがに、この日は人出がすごい。
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今年も神門に、笠間稲荷から菊花の奉納があり。
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拝殿前の広場は、すごい人だかりです。
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最初は、西参道沿芝地で10時から行われた「古武術」の演武です。
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各流派が近接した二つの会場で演武を進行させたので、動画を撮っていて他の流派の説明の音声が入ったりしてますが、わかりやすく編集しました。長いので、二つに分けてアップしてあります。
下の「動画を見る」をクリックすれば見ることが出来ます。

古武道大会(前半)の動画を見る


古武道大会(後半)の動画を見る



約束の時間に集合して昼食を食べることになっていて、気が付いたら5分前(汗)
かなりの距離を、7割がた走って、間に合いましたが汗だくで、足はヨレヨレ(苦笑)

昼食後、やはり西参道沿芝地で行われる流鏑馬を見ました。
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明治神宮で行われる流鏑馬は「武田流」でした。

武田流(たけだりゅう)は弓術・馬術・礼法などからなる弓馬軍礼故実(弓馬故実・武家故実)の流派。細川流とも呼ばれた。小笠原流と同じく、流鏑馬に代表される弓馬故実を伝える流派である。
清和天皇の皇子貞純親王が、朝廷の諸儀礼に通じていた源能有(文徳天皇皇子)から故実を伝授されたのが起源であるという。その後清和源氏を経て 武田氏・小笠原氏に伝えられ、武田氏では安芸武田氏に伝えられた。安芸武田氏が若狭国守護職を得たことから若狭武田氏に伝わり、安土桃山時代に若狭武田氏が滅亡すると、武田信直(吸松斎)から姻戚(下記参照)の細川藤孝(幽斎)に伝授された。
旧熊本藩主の細川護久侯爵は井上平太に伝書一切を印可相伝させ、「第三十三代武田流司家」を襲名させたという。井上は昭和8年に没し、翌9年に井上の弟子金子有鄰が細川護立侯爵(当時の細川家当主)の許しを得て、細川侯・熊本県知事立会のもと、「三十四代武田流弓馬軍礼故実司家」を相伝した。1939年(昭和14年)には金子堅太郎を会長に社団法人大日本弓馬会が設立された。
大日本弓馬会(鎌倉)鶴岡八幡宮流鏑馬(神奈川県鎌倉市、鎌倉まつり)、三浦道寸まつり笠懸(神奈川県三浦市)、明治神宮流鏑馬神事(東京都渋谷区、秋の大祭)など、関東地方を中心に活動するほか、海外での公演も行っている。2001年10月の米国ブッシュ大統領訪日時には明治神宮で流鏑馬を披露した。またNHK大河ドラマなどの演技に協力している。

会場には、早目に行ったつもりですが、招待客の桟敷がロープ際ほとんどを占めているため、私たちのような一般客はその後ろのため、馬場を見通すことは、とうてい出来ませんでした。
一瞬、駆け抜ける騎馬を見るだけです。

しかも、一番的だと思い場所を取ったのですが、二番的でした(泣)

一番的は先に矢をつがえているため当て易く、一番的から二番的の間にまた矢をつがえるのが難しく、半分くらいは射ることが出来ませんでした。
二番的をあきらめた射手は余裕をもって三番的を射ることができます。
ということで、二番的にはあまり射れる騎手はいなかった。

下の「動画を見る」をクリックすれば見ることが出来ます。

流鏑馬の動画を見る



早目に上がって、ようよう自動販売機を探して喉を潤し、14:45から社殿にて薩摩琵琶奉納があるというので、それを拝聴しました。

奉納ということなので、演者は内拝殿に座り、本殿に向かい奉納します。
ということで、私たちは拝殿前から演者の背中を見ながら拝聴しました。
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演目は、
最初に、明治天皇御製歌「いかならむことある時もうつせみの 人の心よゆたかならなむ」と
「壇ノ浦」でした。

演者の友吉鶴心のプロフィール:
65年浅草生れ。幼い頃より様々な伝統芸能を学び、両祖父の偉業である薩摩琵琶の発展を志し、鶴田錦史に師事。文部大臣奨励賞・NHK会長賞等々受賞。
宮家御前演奏の栄を賜る他、国立劇場主催公演、国際交流基金主催海外公演を始め様々なセッションを重ね活躍中。また、数々のNHK大河ドラマ・スペシャルドラマの琵琶指導・出演を経て本年度大河ドラマ『花燃ゆ』にて劇中の芸能全般の考証・考案・指導を担当する「芸能指導」を勤めている。

動画を撮りましたが、明治天皇御製歌はそのまま、「壇ノ浦」は著作権の関係があり、一部のみアップしています。
下の「動画を見る」をクリックすれば見ることが出来ます。

薩摩琵琶の動画を見る



薩摩琵琶奉納を拝聴して、この日の予定は終了。
なんといっても、普段見ることがない「古武術」を見ることができたのが収穫でした。
満足して帰途につきました。

(了)


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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