二位の尼

20170819

記紀などの神話の神でなく、実在した人が神として祀られたもの。
日本橋水天宮に安徳天皇などと一緒に祀られている。

平清盛の正室(継室)、平時子(たいらのときこ)のこと。
中級貴族の平時信の娘で、母は二条大宮(令子内親王)の半物(氏素性は未詳)。権大納言・平時忠の同母姉、平滋子(建春門院)の異母姉。清盛との間に宗盛、知盛、徳子(建礼門院)、重衡らを生む。

生涯:
第一子の宗盛の誕生年より、久安元年(1145年)頃、清盛の後妻として迎えられたと推測されている。
二条帝の崩御後、後白河院の寵妃となった異母妹・滋子とともに清盛と後白河院の政治的提携強化の媒介となった。
娘・徳子が高倉天皇に入内すると、中宮の母として徳子の出産に関わったほか、高倉帝の諸皇子女の出生や成長儀式にも深くかかわり、清盛一門と皇室との関係を結ぶ役割も果たした。
清盛による治承三年の政変の後、治承4年(1180年)4月に徳子の生んだ外孫・安徳天皇が即位すると、清盛とともに准三宮の宣旨を受けた(『百錬抄』治承4年6月10日条)。
清盛はその晩年、宗盛を後継者とする意志を強く見せたため、亡き重盛流の小松家は嫡流からはずれ、時子の出自が新たに嫡流となった。
清盛亡き後は、宗盛や建礼門院徳子の母である時子(二位の尼)が平家の家長たる存在となり、一門の精神的支柱として重きをなした。壇ノ浦の戦いで一門が源氏軍に最終的な敗北を喫すと、安徳帝に「浪の下にも都の候ぞ」(『平家物語』)と言い聞かせ、幼帝を抱いて海中に身を投じ自害した。

墓所・伝承:
墓所は赤間神宮にあり、毎年5月2日に平家の落人の子孫らで組織される全国平家会の参列のもと一門追悼祭が齋行されている。
また山口県長門市日置には、亡骸が打ち上げられたという伝承から、「二位ノ浜」と呼ばれる浜辺があり、海水浴場としても人気がある。



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天下春命(あめのしたばるのみこと)/日本の神々の話

20170816

記紀には登場しないが、高天原の知恵袋といっても良い存在である思金(おもいかね)神の御子神である。

※思金神が活躍した話で最も有名な話では、「岩戸隠れ」の際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている。

『先代旧事本紀』(「天神本紀」)によると、八意思兼神の御子神で、饒速日命が天磐船に乗って天降った時、護衛として随従した32柱の神の1柱。

同じく随従した天表春(あめのうわはる)命の弟神と見られ、知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の先祖とされる。
また大伴部氏の祖ともいわれる。

なお『高橋氏文』に「知々夫(秩父)国造の上祖、天上腹、天下腹人」と見える人名は、この両神に関係があると見られている。

※高橋氏文(たかはしうじぶみ):
日本の歴史書、古記録である。
宮内省内膳司に仕えた高橋氏が安曇氏と勢力争いしたときに、古来の伝承を朝廷に奏上した789年(延暦8年)の家記が原本と考えられる。
しかし完本は伝わっておらず、逸文が『本朝月令』、『政事要略』、『年中行事秘抄』その他に見えるのみである。
伴信友が1842年(天保13年)に自序の『高橋氏文考註』にまとめた。

天下春命は開墾の神として祀られる事が多い。

私が参拝した、天下春命を祭神とする神社
・東京都多摩市・小野神社
・東京都府中市・小野神社
・神奈川県厚木市・小野神社
・滋賀県長浜市木之本町・伊香具神社境内社

また、天下春命の7代目の知知夫彦が秩父国造りとして秩父を開拓、「秩父神社」の祭神として天思兼命と共に祀られています。


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吉備武彦(きびのたけひこ)・御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)

20170809

『日本書紀』に吉備武彦、『古事記』に御鉏友耳建日子が登場する。

『日本書紀』景行天皇40年7月16日条によると、日本武尊の東征にあたって、その従者として吉備武彦と大伴武日連が付けられたという。また同年の是歳条によると、吉備武彦は途中で越国に視察のため派遣され、のち日本武尊と美濃で合流した。そののち日本武尊が病を得ると、吉備武彦はその遺言を伝える使者として景行天皇の元に遣わされたという。

一方、『古事記』景行天皇巻では、吉備臣らの祖の「御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)」が倭建命(日本武尊)の従者として東征に遣わされたことが記されている。

『古事記』の「景行天皇」の巻、「倭建命の東国征討」の段
(現代語訳)
 そこで天皇は、また重ねて倭建命に仰せられるには、「東方十二カ国の荒れすさぶ神や、また服従しない人々を平定し従わせよ」と命じて、吉備臣等の祖先の、名は御鉏友耳建日子(ミスキトモミミタケヒコ)という人を副えて遣わされる時、柊の長い矛を授けられた。
 それで、勅命を受けて東国に下って行かれるとき、伊勢の大神宮に参って、神殿を礼拝し、やがてその叔母の倭比賣(ヤマトヒメノ)命に申されるには、「天皇は、まったくわたしを死んでしまえばよい、と思っておられるからでしょうか、どうして、西の方の悪い人々を討ちに遣わして、都に返り上って来てから、まだ幾らも時が経っていないのに、兵士らも下さらないで、今度は更に東国十二カ国の悪者どもの平定にお遣わしなさるのでしょう。これによって考えますと、やはり私などはまったく死んでしまえ、と天皇はお考えになっておられるのです」と申されて、嘆き泣き悲しんで出で立たれるとき、倭比賣命は草薙剣をお授けになり、また袋をもお授けになって、「もしも火急のことがあったら、この袋の口をお開けなさい」 と仰せになった。
(以下省略)

吉備武彦と、御鉏友耳建日子が同一人物かという点については、御鉏友耳建日子について『古事記』で吉備臣等の祖先と断っていることから、可能性は高いと思われる。

吉備武彦の出自について『日本書紀』に記載はない。『新撰姓氏録』では、左京皇別 下道朝臣条・右京皇別 廬原公条で稚武彦命(第7代孝霊天皇皇子)の孫とし、右京皇別 真髪部条では稚武彦命の子とする。

子については、『日本書紀』景行天皇51年8月4日条において、娘の吉備穴戸武媛が景行天皇(第12代)の妃となって武卵王(たけかいごのきみ)と十城別王(とおきわけのきみ)の2子を産んだと見える。また『日本書紀』応神天皇22年9月10日条・『日本三代実録』元慶3年(879年)10月22日条では、子として浦凝別(苑臣祖)・御友別(吉備臣祖)・鴨別(笠臣祖)・兄媛(応神天皇妃)らの名が記されている。

また『新撰姓氏録』右京皇別 廬原公条では、景行天皇の時に稚武彦命の孫の「吉備建彦命」は東方に派遣され、毛人を討って「阿倍廬原国」に到ったのち、天皇に復命した日に廬原国を賜ったとする。

ここで、倭建命自身が吉備下道臣の女性を母に持っていることに注目したい。
『古事記』で、12代景行天皇が、吉備臣等の始祖若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)の娘針間之伊那毘能大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)を娶って5名の皇子が生まれ、その3番目が倭建命だと記している。
ここに登場する吉備臣等の始祖若建吉備津日子は、『古事記』の「孝霊記」に、「若建日子吉備津日子命は吉備の下道臣と笠臣の始祖」とある、若建日子吉備津日子命と同じ人物であると解釈してよいと思われる。

この御鉏友耳建日子、あるいは吉備武彦が吉備下道臣の一族かということについては、「吉備臣らの祖」とあるだけなので断言はできないが、その可能性は高い。



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日河比売命(ひかわひめのみこと)

20170803

『古事記』にのみ登場し、『日本書紀』には登場しない。

須佐之男命の孫の布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)と日河比売との間に深淵之水夜礼花神(ふかふちのみづやれはなのかみ)が生まれ、この神の孫が大国主神である。

『古事記』の「天照大御神と須佐之男命」の巻、「須佐之男命の神裔」の段
(現代語訳)
 そこで須佐之男命は、妻の櫛名田比売と、寝所で夫婦の交りを始めて、生んだ神の名は八島士奴美神という。また大山津見神の娘の、神大市比売という名の神を妻として生んだ子は、大年神、次に宇迦之御魂神の二柱である。兄の八島士奴美神が、大山津見神の娘の、木花知流比売という名の神を妻として生んだ子は、布波能母遅久奴須奴神である。この神が、淤迦美神の娘の、日河比売という名の神を妻として生んだ子は、深淵之水夜禮花神である。この神が、天之都度閇知泥神を妻として生んだ子は、淤美豆奴神である。
この神が、布奴豆奴神の娘の、布帝耳神という名の神を妻として生んだ子は、天之冬衣神である。この神が、刺国大神の娘の、刺国若比売という名の神を妻として生んだ子は、大国主神である。この神のまたの名は大穴牟遅神といい、またの名は葦原色許男神といい、またの名は八干矛神といい、またの名は宇都志国玉神といい、合わせて五つの名がある。

日河比売(ひかわひめ)は水神であり龍神である淤迦美神(おかみのかみ)の娘で、須佐之男命の孫の布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)の妻。深淵之水夜礼花神(ふかふちのみづやれはなのかみ)を生んだ。

親である淤迦美神(おかみのかみ)が水神で、その娘が「日河比売(ひかわひめ)」。
「ひかわ」は島根県の斐伊川のことだと思われます。
斐伊川は、武蔵国の氷川神社の「ひかわ」ともつながりがあります。

大宮の氷川神社のご祭神は、須佐之男命、稻田姫命、大己貴命であるが、鎮座している地形から、もともとは水神を祀った神社であることは間違いがない。
農耕の神とされる須佐之男命や大己貴命でも良いのだが、「氷川神社」の名前からは、「日河比売」が祭神であってもおかしくはない。

「ひかわ」という言葉は(本来は)特定の土地の川の名前というわけではなく、「太陽の恵みを受けた」とか、そういう概念的な名前ではないかと思います。



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勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)・玉櫛媛(たまくしひめ)・三嶋溝樴姫(みしまのみぞくいひめ)

20170730

記紀に登場し、神武天皇の后の母神である。

『古事記』では勢夜陀多良比売(:せやたたらひめ)、『日本書紀』では玉櫛媛(:たまくしひめ)
また、三嶋溝樴姫(みしまのみぞくいひめ)、溝咋比賣命(みぞくいひめのみこと)とよばれることもある。

この神には、奈良県桜井市の「狹井神社(狹井坐大神荒魂神社)」で参拝した。

『古事記』の「神武天皇」の巻、「伊須気余理比売」の段に登場する。
(現代語訳)
さて、神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が日向におられたときに、阿多の小𣘺君の妹の阿比良比売という名
の女性と結婚してお生みになった子に、多芸志美美命と岐須美美命の二柱がおられた。
けれどもさらに皇后とする少女をさがし求められたとき、大久米命が申すには、「ここによい少女がおります。この少女を神の御子と伝えています。神の御子というわけは、三島の湟咋(みぞくい)の娘に、勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)という名の容姿の美しい少女がありました。それで三輪の大物主神が、この少女を見て気に入って、その少女が大便をするとき、丹塗の矢と化して、その大便をする厠の溝を流れ下って、その少女の陰部を突きました。そこでその少女が驚いて、走り回りあわてふためきました。そしてその矢を持って来て、床のそばに置きますと、矢はたちまちりっぱな男性に変わって、やがてその少女と結婚して生んだ子の名を、富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)命といい、またの名を比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)といいます。
これはその「ほと」ということばをきらって、後に改めた名である。こういうわけで神の御子と申すのです」と申し上げた。
(以下略)

富登多多良伊須須岐比売の「富登」は、勢夜陀多良比売が丹塗矢と化した大物主神に陰(ホト)を突かれたことによる。 神の矢が女陰に立ったので、あわてたという意味らしい。

『日本書紀』では、 ある人が「事代主の神、三島溝橛耳(みしまみぞくいみみ)神の娘・玉櫛媛に共ひて生める児、 号を媛蹈鞴五十鈴媛命と日ふ。 こは国色秀ぐれたる者なり」と勧め、神武天皇の王妃としたとある。

三嶋湟咋:
『古事記』や『日本書紀』などに言及される神。
『古事記』では三嶋湟咋、『日本書紀』では「三嶋溝橛耳神(みしまみぞくいみみのかみ)」、『先代旧事本紀』では「三嶋溝杭(みしまみぞくい)」、「三嶋溝橛神(みしまみぞくいのかみ)」、『新撰姓氏録』では「三嶋溝杭耳(みしまみぞくいみみ)」と表記される。
勢夜陀多良比売=三嶋溝樴姫の親神であり、姫蹈鞴五十鈴姫命の祖父にあたる。
神名の「三嶋」とは、摂津国(今の大阪府と兵庫県との間)にあった地名で、またこの地にいた賀茂氏に類するとされる三嶋氏を指すと考えられる。
また「ミゾクイ」は水田への引水のための杭のこと、あるいはそういった引水に関わる者のことと思われる。
大阪府茨木市五十鈴町にある式内社「溝咋神社(みぞくいじんじゃ)」に祀られている。

子孫であるが、『旧事本紀』の記載によると 一男一女を儲けた。
第1子:天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)
別名:櫛甕玉(くしみかたま)、櫛御方命(くしみかたまのみこと)といい、食国政申大夫(おすくにまつりごともうすまえつきみ)に任じられている。古事記では父は、大国主とされていて須佐之男命の六世の孫。子孫に大田田根子〈おおたたねこ〉がいる。
第2子:韛五十鈴姫命(たたらいすずひめのみこと)
神武天皇の皇后になり、神渟名河耳天皇(かむぬなかわみみ:綏靖天皇)と彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)のふたりの皇子を産んだ。綏靖天皇は、韛五十鈴姫命の異母姉妹、五十鈴依姫命と結婚し皇子をひとり産んだ。この皇子が磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみ:安寧天皇)である。

その他山城国風土記 によると、賀茂別雷命も子供とされている。

ここで、「みみ」、「たたら」が名前に入っている神名が多いことについて、谷川健一氏の「青銅の神の足跡」で説明されていることについて紹介しておく。
「みみ」とは、南方からの大きな耳輪をさげている種族のことを示す。縄文遺跡から発掘されたもののなかに、けっこう精緻につくられた耳輪が各所にみられる。
神武帝は九州から東征するが、皇妃を選ぶときにも摂津三島のミゾクイミミの孫娘と縁組を結ぶ。
三島では、古代の農耕のための水田の整頓、そのための鉄器の使用のあとが見える。
そして何よりも、摂津三島は銅鐸の熔笵(ようはん:鋳型の考古学上の呼称)が多量に出土した土地である。
「たたら」は、言うまでもなく「炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)」のことである。
「みみ」に示される南方からの種族は、農耕技術だけでなく、製鉄・青銅の技術も備えていたことがわかる。



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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