賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)・八咫烏(やたがらす)/日本の神々の話

20170420

賀茂御祖神社(下鴨神社)のご祭神である。

記紀神話にはこの名で登場しないが、記紀神話に登場する「八咫烏(やたがらす)」とは、『賀茂始祖伝』によれば、賀茂建角身命のことであるという。

『古事記』では、神武天皇の軍隊が熊野から奥地に進んで、荒ぶる神々に苦戦をしている時、高木大神が 「今、天より八咫烏を遣わす。この烏の先導によって軍を進めよ」といわれ、その導きによって大和国に入った。
『日本書紀』では神武天皇の夢枕に天照大神があらわれ「八咫烏を遣わす」と告げた。
夢の通り八咫烏に従って進み、宇陀にて兄宇迦斯、弟宇迦斯に出会う。 八咫烏が、天皇に仕えるか否かを問うと、兄宇迦斯は鳴鏑をもって八咫烏を射たが外れた。

『古語拾遺』は、この八咫烏が、京都地方の大豪族であった賀茂県主の遠祖とある。

『賀茂始祖伝』によれば、賀茂角身命一族は日向高千穂に住んでいたが、建角身命の代に神武東征の際、日向の山中で高皇産霊神からの天啓を受け、神武天皇の元に赴いて、紀州熊野から大和へ至る道を先導した。これにより天皇より八咫烏(やたがらす)の称号を得た。
神武天皇在位中は葛城にいて天皇を補佐し、天皇が亡くなられた後は岡田の賀茂に閑居したが、綏靖天皇に召しだされた。妻は神伊可古夜日女で、氷上町の神野社に祭られている。彼女との間に生まれた玉依姫は建角身命とともに京都下鴨神社に祀られ、その子賀茂別雷神は京都上賀茂神社に祀られている。

『新撰姓氏録』によれば、賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫である。神武東征の際、高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏に化身して神武天皇を先導した。

『山城国風土記』(逸文)によれば、大和の葛木山から山代の岡田の賀茂(岡田鴨神社がある)に至り、葛野河(高野川)と賀茂河(鴨川)が合流する地点(下鴨神社がある)に鎮まった。

賀茂建角身命と伊賀古夜比売命の間に建玉依比古命(たけたまよりひこのみこと)と建玉依比売命(建玉依姫命、たけたまよりひめのみこと)の2柱の御子神がいる。
建玉依比古命は後に賀茂県主となる。
建玉依比売命は、丹塗矢に化身した火雷神(ほのいかづちのかみ)を床の近くに置いていたところ、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと、上賀茂神社の祭神)を懐妊し出産した。

調べていて、一書にこういうことが書かれていた。
越中国一之宮・高瀬神社(富山県南砺市井波町高瀬)及び能登国一之宮・気多大社(石川県羽咋市寺家町)に「天活玉命」が祀られている。
天活玉命-天神立命-陶津耳命(鴨建角身命)、となるそうである。
私には、この二社はなじみがあり、特に高瀬神社と私の富山の家との縁が深いので、
高瀬神社と賀茂建角身命の縁がつながったのが嬉しかった。



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玉依日売命(たまよりひめのみこと)/日本の神々の話

20170416

記紀・風土記などに見える女神で、それぞれ別の女性を示す。
『古事記』は玉依毘売命、『日本書紀』は玉依姫尊と表す。

①日本書紀第七の一書に、「一に云はく」として高皇産霊神の子の児萬幡姫の子として玉依姫命が見える。ここでいう児萬幡姫は栲幡千千姫命の別名で、天火明命と瓊瓊杵尊の母である。

②日本神話で、海神の娘。ウガヤフキアエズノミコト(鸕鷀草葺不合尊)の妃となり、四子を産んだ。末子は神武天皇(カンヤマトイワレビコノミコト、神日本磐余彦尊)。

③賀茂伝説で、タケツヌミノミコト(建角身命)の娘。丹塗矢(本性は火雷神)と結婚し、ワケイカズチノカミ(別雷神)を産んだ。

一般には、玉依姫命の玉依は霊依で、タマは神霊、ヨリは人間に憑る(ツク)ことであり、 神霊が憑依する女、即ち巫女のこと。よって、似た神名は古典にたびたび登場し、混同される場合も多い。

②、③の二つを、もう少し詳しく載せておく。

【②記紀など日本神話に登場するタマヨリヒメ】
綿津見大神(海神)の子で、豊玉姫の妹である。天孫降臨の段および鸕鶿草葺不合尊の段に登場する。トヨタマビメがホオリとの間にもうけた子であるウガヤフキアエズ(すなわちタマヨリビメの甥)を養育し、後にその妻となって、五瀬命(いつせ)、稲飯命(いなひ)、御毛沼命(みけぬ)、若御毛沼命(わかみけぬ)を産んだ。末子の若御毛沼命が、神倭伊波礼琵古命(かむやまといはれびこ、後の神武天皇)となる。

『古事記』および『日本書紀』の第三の一書では、トヨタマビメは元の姿に戻って子を産んでいる所をホオリに見られたのを恥じて海の国に戻ったが、御子を育てるために、歌を添えて妹のタマヨリビメを遣わした、とある。『日本書紀』本文では、出産のために海辺に向かう姉に付き添い、後にウガヤフキアエズの妻となった、とだけある。

第一の一書では、トヨタマビメが海の国へ帰る時に、御子を育てるために妹を留め置いた、とある。第四の一書では、一旦トヨタマビメは御子とともに海に帰ったが、天孫の御子を海の中に置くことはできず、タマヨリビメとともに陸に送り出した、とある

上総国一宮・玉前神社、下鴨神社摂社・河合神社では、神武天皇の御母神として祀っているので、この神が該当する。

【③賀茂伝説のタマヨリヒメ】
『山城風土記逸文』にでてくる賀茂神社縁起の玉依日売。
日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して大和の葛木山に宿り、 さらに山代国岡田の賀茂に移り、その後、久我国の北山基に鎮座。 丹波国神野の神伊可古夜日売を娶り、玉依日子・玉依日売が生まれた。
ある日、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、 大山咋神が化した丹塗矢が川上から流れ下って来た。 これを床のまわりに置いていたところ、玉依日売は妊娠し、男子(賀茂別雷命)を産んだ。

よって、賀茂系の玉依日売命を区別して鴨玉依姫命などと呼称する場合もある。
こちらが、賀茂御祖神社(下鴨神社)のご祭神である。



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賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)/日本の神々の話

20170407

『古事記』、『日本書紀』には登場しない。
『山城国風土記』逸文に記述がある神である。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神であり、各地の加茂神社(賀茂神社・鴨神社)で祀られる。

神名の「ワケ」は「分ける」の意であり、「雷を別けるほどの力を持つ神」という意味であり、「雷神」ではない。

『山城国風土記』逸文には、賀茂別雷命について次のような記述がある。
太古の昔山城国(現在の京都)に移り住んだ賀茂一族の姫・賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)が石川の瀬見の小川(鴨川)で身を清めていると、上流より天降りし丹塗矢(にぬりのや)が流れて来た。その矢を持ち帰った賀茂玉依比売命が床に祀り休まれたところ、御神霊の力を享け御子を授かった。
御子が元服したとき、祖父である一族の長・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が多くの神々を招き祝宴を催し、その席で「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と申され、盃を渡したところ、御子は「我が父は天津神なり」と答えられ、雷鳴と共に、そのまま天に昇られたと記されており、再び会いたいと乞い願っていた賀茂玉依比売命の夢枕にある夜、御子が顕われ「吾れに逢はんとには、馬に鈴を掛けて走らせ、葵楓の蘰(かずら)を造り、厳しく飾りて吾れを待たば来む」との神託があり、その言葉に従い神迎の祭をしたところ天より神として御降臨されたと伝わる。

武藤武美氏によれば、賀茂信仰の原始の姿は貴船の山に来臨する神が賀茂川に恵みの水をもたらすことを祈った御阿礼(みあれ)神事にうかがえる。〈ミアレ〉とは新しい神(この場合は雷神)の誕生をいう。賀茂伝説の基礎にはこの神事があり,ワケイカズチとは,この若い雷神の説話上の名称である。

丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。

賀茂別雷命は古事記には登場しないが、一部には大国主神の子で、やはり賀茂氏の祖として古事記にも登場する阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)と同一視する場合がある。
それは、『古事記』の「大国主神」の巻、「大国主の神裔」の段で、「阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)は、迦毛の大御神といふぞ」とあり、
また『賀茂之本地』では阿遅鉏高日子根神と同一視されていることによる。

賀茂別雷命の出生についての話と同様の話が『古事記』(大物主神と比売多多良伊須気余理比売)や『秦氏本系帳』(阿礼乎止女と大山咋神)にもあり、特に後者の話と混同されて、「賀茂別雷命の父は松尾大社の大山咋神である」とする話も流布している。

賀茂氏にはいくつかの系統があるが、賀茂建角身命は古事記にも登場する八咫烏に化身した、とされる。

賀茂氏のなかで、オオモノヌシの子孫であるオオタタネコの孫が始祖だとする氏族もある。
実際、オオタタネコは『古事記』の「崇神天皇」の巻、「三輪山の大物主」の段で、「このオオタタネコノ命は神(みわ)の君・鴨の君の祖である」と記されている。つまり賀茂氏の祖とある。



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天宇受賣命(あめのうずめのみこと)/日本の神々の話

20170402

『古事記』、『日本書紀』など日本神話に登場する女神。
一説に別名「宮比神」(みやびのかみ)、「大宮能売命 」(おおみやのめのみこと)。
稲荷三座の一座である佐田彦大神を猿田彦と考えて、 同じく稲荷大神三座の一座である大宮売神を、天宇受売命の別名とする説があり、 宮比神として祀られる場合も多い。
『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記する。

東京都府中の大國魂神社境内・宮乃咩神社、三峯神社境内・猿田彦神社、島根県熊野大社境内・伊邪那美神社、京都の大田神社にて参拝した。

『古事記』では「天岩戸」の場面、「天孫降臨」の場面、「猿田彦と天宇受賣命」の話に登場する。

『古事記』の「天照大御神と須佐之男命」の巻、「天の石屋戸」の段
岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。
その一環として、天宇受売命が、天の香具山の日陰蔓を襷にかけ、眞拆鬘を髪に擬い、天の香具山の笹の葉を束ねて手に持ち、天の石屋戸の前に桶を伏せてこれを踏み鳴らし、神がかりして、胸乳をかき出だし裳の紐を陰部までおし下げた。すると、高天原が鳴りとどろくばかりに、八百万の神々がどっといっせいに笑った。
 そこで天照大御神はふしぎに思われて、天の石屋戸を細めに開けて、中から仰せられるには、「私がここにこもっているので、天上界は自然に暗闇となり、また葦原中国もすべて暗黒であろうと思うのに、どういうわけで天宇受売は舞楽をし、また八百万の神々はみな笑っているのだろう」と仰せられた。そこで天宇受売が申すには、「あなた様にもまさる貴い神がおいでになりますので、喜び笑って歌舞しております」と申しあげた。こう申す間に、天兒屋命と布刀玉命と布刀玉命が、その八咫鏡をさし出して、天照大御神にお見せ申しあげるとき、天照大御神がいよいよふしぎにお思いになって、そろそろと石屋戸から出て鏡の中をのぞかれるときに、戸の側に隠れ立っていた天手力男神が、大御神の御手を取って外に引き出し申した。ただちに布刀玉命が、注連縄を大御神の後ろに引き渡して、「この縄から内にもどっておはいりになることはできません」と申しあげた。こうして天照大御神がお出ましになると、高天原も葦原中国も自然に太陽が照り、明るくなった。

『古事記』の「邇邇芸命」の巻、「猿田毘古神」の段
天孫降臨の際、邇邇芸命(ににぎのみこと)が、天降りなさろうとするときに、天から降る道の辻にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしている神がいた。そこで、天照大御神と高木神の仰せによって、天宇受賣神に命じて、「あなたはか弱い女であるが、向き合った神に対して、気おくれせず圧倒できる神である。だから、あなた一人で行ってその神に向って、『天つ神の御子の天降りする道に、そのように出ているのはだれか』と尋ねなさい」と仰せになった。それで天宇受賣神が問いただされたとき、その神が答えて申すに、「私は国つ神で、名は猿田毘古神と申します。私がここに出ているわけは「天つ神の御子が天降っておいでになる、と聞きましたので、ご先導の役にお仕えいたそうと思って、お迎えに参っております」 と申し上げた。

『古事記』の「邇邇芸命」の巻、「猿田毘古神と天宇受賣命」の段
 さてそこで、邇邇芸命が天宇受賣命に仰せられるには、「この先導の役に奉仕した 猿田毘古大神は、独りでこの神に立ち向かって、その正体を明らかにして言上した、そなたがお送り申しなさい。またその神の御名は、そなたが負うて、天つ神の御子にお仕え申しなさい」と仰せられた。こうして猨女君(さるめのきみ)たちは、その猿田毘古の男神の名を負うて、女を猨女君と呼ぶことになったのは、こういう事情によるのである。さてその猿田毘古神は、阿耶訶(あざか)におられるとき、漁をしていて、ひらぶ貝にその手をはさまれて、海水に沈み溺れなさった。それで海の底に沈んでおられるときの名は、底どく御魂といい、その海水が泡粒となって上るときの名は、つぶたつ御魂といい、その泡が裂けるときの名は、あわさく御魂という。
 さて天宇受賣命は、猿田毘古神を送って帰って来て、ただちに大小のあらゆる魚類を追い集めて、「おまえたちは、天つ神の御子の御膳としてお仕え申しあげるか」 と問いただしたとき、多くの魚がみな 「お仕え申しましょう」 と申しあげた中で、海鼠(なまこ)だけは答えなかった。そこで天宇受賣命が海鼠に向かって、「この口は答えない口か」と言って、紐小刀でその口を裂いた。だから今でも海鼠の口は裂けている。こういうわけで、御代ごとに志麻国から初物の魚介類を献上する時に、獲女君たちに分かち下されるのである。


猿女君・稗田氏の祖とされ、稗田氏の氏神である賣太神社では、芸能の始祖神、福の神、おたふく、おかめ、等と称すると伝わる。
芸能・技芸全般の神として信仰されており、千代神社(滋賀県彦根市)、芸能神社(京都市右京区)、椿大神社(三重県鈴鹿市)、鈿女神社(長野県北安曇郡松川村)などで祀られている。
鈿女神社は地元で「おかめ様」として崇められており、最寄駅の大糸線北細野駅は信濃鉄道の駅として開業した際「おかめ前駅」と呼ばれていた。国営化に当たって改称。
天孫降臨の地、高千穂より天の岩戸が飛来したと伝えられる長野県の戸隠神社には天の岩戸開神話に功績のあった神々(天手力雄命・天八意思兼命)が祀られており、そのうちの一社、火之御子社には天鈿女命が祀られている。また、岩戸開神話に基づいた神楽が古来より受け継がれている。
宮崎県西臼杵郡の高千穂町には、アメノウズメがサルタヒコと結婚した場、荒立宮の後と伝わる荒立神社があり、国際結婚・安産の神として、ウズメとサルタヒコが神体となっている。

村境や道路の分岐点などに立てられる道祖神は、サルタヒコとアメノウズメであるともされる。

「天孫降臨」の場面
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道祖神
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大山咋神(おおやまくいのかみ)/日本の神々の話

20170326

記紀神話に登場する神。
別名は、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。

日吉大社、赤坂日枝神社、根津神社、栃木県・村檜神社の祭神、狭山市・峰の愛宕神社の祭神。

須佐之男命と神大市比売との間には、宇迦御魂神(稲荷神社の祭神)と大年神が生まれる。その大年神と天知迦流美豆比売(アメノチカルミヅヒメ)との間に生まれたのが大山咋神です。
須佐之男命の孫ということになります。

『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。
なお、大山咋神は里山に鎮まるとされることから、『古事記』の「日枝山」とは、比叡山全体というより、里山である八王子山(比叡山の一部)を指すとする説もある。
「日枝山」には日吉大社が、松尾には松尾大社があり、ともに大山咋神を祀っている。日枝山と松尾については、共通の祭神を祀る社の存在だけではなく、八王子山と松尾山の両方に巨大な磐座と、古墳群(日吉社東本宮古墳群、松尾山古墳群)が存在し、共通点が多いことが指摘されている。特に、古墳群については、それらの古墳の埋葬者の勢力範囲と、大山咋神の神域とされる範囲の一致する可能性が指摘されている。
比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、最澄によって、天台宗および延暦寺の結界を守る守護神ともされた。

名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされる。

大山咋神の別名山王(さんのう)は中国天台山の鎮守「地主山王元弼真君」に倣ったものである。なお、比叡山には、本来、山の全域において、大山咋神の他にも多数の神が祀られており、最澄が延暦寺の守護神として認識したのは、大山咋神だけでなく、その他の「諸山王」を含めた、比叡山の神々全体のことであったとも指摘されている。
天台宗が興した神道の一派を山王神道と言い、後に天海が山王一実神道と改めた。 太田道灌が江戸城の守護神として川越日吉社から大山咋神を勧請して日枝神社を建てた。江戸時代には徳川家の氏神とされ、明治以降は皇居の鎮守とされている。

『古事記』で「葛野の松尾に鎮座して、鳴鏑を神体とする神である。」と書かれていますが、これは京都の松尾大社のことで、渡来人の秦氏の氏神でした。秦氏は酒造の技術も日本に伝えたことから、中世以降、松尾神(大山咋神)は酒造の神としても信仰されている。


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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