相撲神社

20170603

鎮座地:奈良県桜井市大字穴師
参拝日:2017年3月23日

青春18キップ二日目の午後、JR纏向駅から山の辺の道を歩いてきましたが、目的地は相撲神社と穴師坐兵主神社です。

手前に相撲神社があり、奥に穴師坐兵主神社がある。
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山の辺の道沿いに「カタヤケシ」の説明あり。
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この説明を読んで疑問に思ったのは、「カタヤケシ」というのはこの辺の地名であるみたいだが、どうしてカタカナなのか?

家に帰ってから調べてみたが、ベストアンサーは下記URLサイトにあり。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/180508.html

結局、カタカナでしか表されていない。
アイヌ語など古語の地名がそのまま残っている場合、たいていは漢字が当て字されているが、それかもしれない。

相撲神社と石標
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社号標だと思い、近寄って読むと「穴師大明神大宮司 祭神野見宿禰公」とあり。
この相撲神社は、大兵主神社(穴師坐兵主神社)の摂社だということがわかります。
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 『日本書紀』は第11代垂仁天皇7年のこととして、次のような逸話を伝えている。その頃、當麻邑に當麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢がいて、何とかして強力な者と命がけで力比べをしたいと言っていた。そのことを聞いた天皇は、當麻蹶速に勝る者を探させた。そして見つけだしたのが出雲の国の野見宿禰である。早速二人による我が国初の天覧相撲がこの地で催された。試合の結果は野見宿禰の圧勝に終わった。當麻蹶速のあばら骨を踏み砕き、腰を踏みくじいて殺してしまった。天皇は當麻蹶速の土地を没収して、野見宿禰に与えられた。野見宿禰はそのままとどまって天皇に仕えたという。

わが国初の天覧相撲の後、皇極天皇元年(642)には、宮中において百済からの使者をもてなすために相撲が行われました。
聖武天皇の時代にも宮中の庭で相撲が取られ、さらに平安時代には相撲節会(すまいのせちえ)として定着していくようになります。相撲節会とは宮中の年中行事の一つで、毎年陰暦7月26、27、28日の3日間にわたって、諸国から召し出された相撲人が天皇の御前で相撲を取ったと言い伝えられます。


石造明神鳥居
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力士像
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土俵
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ここが、国技発祥の地だという説明。
昭和37年(1962)10月6日には、相撲発祥の伝承地である相撲神社境内のカタヤケシに於いて、当時の時津風理事長を祭主に、大鵬、柏戸の両横綱以下全幕内力士が参列して手数入り(てずいり 横綱の土俵入り)が奉納されている。
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社殿
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ご祭神:野見宿繭

 野見宿繭は日本書紀・垂仁天皇32年7月の条に、再び埴輪の考案者として登場する。
垂仁天皇の母の弟の倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなられたとき、身狭の築坂に陵を築き葬った。このとき、近習の者を集めて、全員を生きたままで陵の周りに埋めた。数日たっても死にきらず彼らの泣き声が昼夜にわたって聞こえ、死んだ後の腐乱した死体を犬や鳥が集まってきて食べた。天皇は彼らのうめき声に心を痛め、それ以後殉死を禁止した。

皇后の送葬にあたり殉死(近習の生埋め)に代わる方法を望んだ天皇に対し、野見宿禰が出雲国の土部(はじべ 土器作りの職人)百人を呼びよせて埴土(はにつち)で人や馬などを作り、陵墓に供えることを提案。天皇は喜んで宿禰の案を採用し、功賞として鍛地(かたしところ 陶器を成熟させる地)を授け、土師の職に任じたという。この時、出雲から来た土部たちが住み着いた地が今の桜井市出雲、というのが先の伝承だ。出雲集落の古墳が古くから野見宿禰塚と呼ばれてきたことも、宿禰の故地という意識があったことを物語る。

野見宿禰の墓と伝えられる五輪塔が現在、桜井市出雲にある十二柱神社の境内に建っている。その野見宿禰の塚が、明治16年(1883)まで五輪塔の西南約150mのところにあった。直径20m以上もある豪壮な塚で、その上に巨大が五輪塔が置かれていた。大昔から近在の人々や力士が常々お詣りしていたが、明治16年に突然取り壊されることになり、五輪塔はそのとき現在の場所に移されたという。

今回の旅で、桜井市出雲にある十二柱神社にも参拝したかったのだが、今回廻ろうとした地域からちょっと離れていたので、残念ながら割愛した。
いずれ、参拝したいと思っている。

社殿の近くにあった、日本相撲協会が建てた、長谷川路可氏画の「勝利の聖 野見宿禰」碑
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境内にあった万葉歌碑。
「巻向の 桧原も未だ 雲いねば 小松が末ゆ 淡雪流る」(巻10-2314 柿本人麻呂)
文芸評論家の山本健吉氏の揮毫。
「巻向の桧原の地に、まだ雲もかかっていないのに松の枝先を淡雪が流れるように降っている。」という意味になります。
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久延彦(くえびこ)神社・大直彌子(おおたたねこ)神社

20170525

青春18キップの二日目、大神神社、狭井神社参拝のあと、出雲屋敷跡など山の辺の道を歩いて、桧原神社に参拝。
その後、いま来た山の辺の道を狭井神社直前まで戻って、久延彦神社に向かいました。

狭井神社直前に、久延彦神社に向かって折れる道があります。
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そこに入って行くと、大神神社の「笹ゆり園」でした。
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摂社率川神社の「三枝祭」は、その起源も古く、文武天皇の大宝元年(701)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されており、大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭り。
昔、御祭神姫蹈韛五十鈴姫命が三輪山の麓、狭井川のほとりにお住みになり、その附近には笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えられ、そのご縁故により、後世にご祭神にお慶びいただくために酒罇に笹ゆりの花を飾っておまつりする様になったと言い伝えられています。

国が行うお祭りとして重んぜられた三枝祭は、平安時代には宮中からの使いが御供えの幣物や神馬を献上するなど、非常に丁重な祭祀が行われましたが、後世いつの間にか中絶していたのを明治十四年再び古式の祭儀に復興され、現在に及んでいます。
このお祭りの特色は、黒酒、白酒の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と称する酒罇に盛りその酒罇の周囲を三輪山に咲き匂う百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて神前にお供えする事です。又神饌は古式に則り美しく手が加えられ、折櫃に納めます。そして、柏の葉で編んで作ったふたをして、黒木の御棚と言う台にのせて宮司自らがお供えします。

三島由紀夫の「豊穣の海」第二巻「奔馬」で、大神神社に参拝し、「三枝祭」に参加した本多が、松枝清顕の生まれ変わり、飯沼勲と出会うシーンは、三千本という沢山の百合の花のイメージと共に、今でも鮮明に蘇ってくる。

園地が休めるようになっている。
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山の辺の道に置かれている歌碑の歌を集めてあった。
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また、ちょっと「笹ゆり園」の間を行くと、久延彦神社の後ろに到着。
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【久延彦(くえびこ)神社】
大神神社末社
鎮座地:奈良県桜井市大字三輪字若宮山
参拝日:2017年3月23日

一旦降りて、入り口から入り直した。
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大神神社末社
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入り口には、「注連柱」があり。
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参道を行くと、上がり口に一の鳥居あり。
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竹林の中を上がっていく。
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途中に二の鳥居あり。
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社殿
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社殿内部
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ご祭神は、久延毘古命

祭神の久延毘古命は、「かかし」のこと。
『古事記』によると、少名毘古那神がはじめて出現した時、誰も知らなかった少名毘古那神の名を知っていた神であり、知識の神として崇敬されている。
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「知恵ふくろう」という立派なフクロウが奉納されていた。
私も、「ふくろう=不苦労」ということで、ふくろうには目が無いので、ありがたく参拝。
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知恵の神ということで、絵馬もたくさん奉納されていた。
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久延彦神社の前が、展望台になっていた。
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残念ながら竹藪などに阻まれて、私が確認できたのは二上山と畝傍山だけだった。

二上山
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畝傍山
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久延毘古神社の石段の参道を下りて、右手の方向に進むと「大直禰子神社」があります。

【大直禰子(おおたたねこ)神社(若宮社)】
大神神社摂社
鎮座地:奈良県桜井市大字三輪字若宮
参拝日:2017年3月23日

境内入口の鳥居扁額には「若宮社」と記されている。
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奈良時代には「大神寺」、明治までは「大御輪寺」と呼ばれていた寺があった。
明治になって、御本尊の十一面観音像は聖林寺へ移され、三重塔も破壊されたが、本堂は当社本殿として残った。
もともとは、大田田根子を先祖とする一族「三輪君」のお寺であった。
一族の氏神の神社もここにあったという。
崇神天皇の時代から、三輪山の神が「大物主神」として国家の神となり、三輪一族が奉斎する役目を担った。
三輪一族というのは、ここに早くから土着した出雲族だと思われる。その一族が奉斎していたのが三輪山の神(蛇神)であり、蛇神は縄文の神である。

「若宮」という名称については、全国にある「若宮」を整理すると三つの意味があるという。
(1)幼少の皇子、皇族の子
(2)本社の分霊を奉斎したもの
(3)はげしく祟る霊

そのどれかであるか、については大神神社に参拝したときに求めた『三輪山の神々』という本の中で「大田田根子」や「若宮祭祀」について書かれているのですが、私の浅学ではまだ整理がつきません。
ただ、どこの神社でも年中祭祀の中で「春祭り」と「秋祭り」は、最も重大な祭りだと言っていいと思いますが、大神神社の春祭は、この若宮の神を本社に遷して行われるそうで、この若宮がとても重要な位置を占めているのがわかる。

「祟り」という点では、もともと「大物主神」は祟る神として祀られているが、その祟りとは、天孫族に制圧された出雲族の祟りと思えなくもない。

「大直禰子」という書き方だが、『古事記』では、意富多多泥古だし、『日本書紀』では大田田根子である。
不思議に思って調べてみた。
「大直」については、「大直日神(オオナオヒノカミ)」がヒットし、「異常でけがれた状態をただしなおす神」だそうだ。
「禰子」とは禰宜の子孫であると解釈する。
大直禰子とは、つまり「異常でけがれた状態をただしなおす禰宜の子孫」のこと。


参拝を進めます。

明治45年奉納の狛犬
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手水鉢
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社殿
本殿(国の重要文化財・鎌倉時代)は、明治の神仏分離まで、神宮寺だった大御輪寺の本堂で、方五間(28.09?)、一重入母屋造、本瓦葺。もともと仏殿であったが、堂内に早くから、三輪明神の王子(若宮)が生身入定の説話が生まれていた。
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説明
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参拝します。
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内陣は、よく見えません。
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向かって右の、鏡がかけられた真榊
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向かって左の、剣がかけられた真榊
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ご祭神は大田田根子命。
大神神社祭神の大物主命の神孫にあたり、崇神天皇の勅により、大神神社の祭祀を司った神主であり、三輪氏の始祖として崇敬されている。

社殿の右前に「御饌石」があります。
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〇大神神社末社・御誕生所社
ご祭神:鴨津見美良姫命(大田田根子(おおたたねこ)の母神)
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本殿はなく磐座である。
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〇大神神社末社・琴平社
ご祭神:大物主神
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これで、大神神社とその摂末社、計画したもの全ての参拝を終え、二の鳥居前で美味しいお昼を食べた後、一駅隣の巻向駅に移動しました。
三輪駅からの三輪山。
やはり、美しい山です。
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妙義神社

20170523

鎮座地:群馬県富岡市妙義町妙義6
参拝日:2017年5月10日

歴史クラブの春季定例見学会で、世界遺産・富岡製糸場、城下町小幡を見学した後、当社に参拝しました。

銅鳥居
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それまで何とか天気が持っていたのだが、ここにきてとうとう雨が降り出した。
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少し上った所に社号標があり。
旧県社
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妙義神社は奇岩と怪石で名高い妙義山の主峰白雲山の東山麓にあり、老杉の生いしげる景勝の地を占めている。
創建は「宣化天皇の二年(今から千四百余年前)に鎮祭せり」と社記にあり、元は波己曽の大神と称し後に妙義と改められた。
そもそも妙義と云う所以は、後醍醐天皇に仕へ奉りし権大納言長親卿、此の地に住み給いて明明魏魏たる山の奇勝をめで、明魏と名づけしものを後世妙義と改めたと思われる。
古くより朝野の崇敬殊に篤く、開運、商売繁盛の神、火防の神、学業児童の神、縁結びの神、農耕桑蚕の神として広く世に知られ、関東、甲信越地区より参拝するものが多い。

江戸時代は歴代将軍を始め、加賀の前田公外諸大名の崇敬篤く、中古よりは上野東叡山の宮、御代々御兼帯御親祭の神社となりその御宿坊を宮様御殿叉は単に御殿とも称した。
この御殿よりの、東面の景色は素晴しく、前庭の植え込みは何れも低く地をはうようにつくられ、関東平野を一望に集め借景庭園として見事なものである。

本殿拝殿を初めとする境内の諸建造物は、今から三百余年前から二百年前の間の建造物にして、江戸時代建築の趣をもった壮麗なもので、老杉の巨木鬱蒼たる神域に、輪奐の美を連ね、高さ十メートルの旧御殿下の石垣をはじめとする各所の石垣はその技工の巧なること比い無く、諸建造物、青銅の大鳥居と共に、文化財に指定されている。
-『平成祭データ』-

境内図
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総門前の石段を上がる。
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〇総門<安永2年(1773) 重要文化財>
旧石塔寺の仁王門であった。
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ここの彫刻も華麗。
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〇石垣
総門の右手にある石垣が見事。
江戸半ばに妙義山の安山岩で築造。県重要文化財。
上に見えるのが「旧宮様御殿」
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また一段上がる。
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右手には、「旧宮様御殿」に通じる石段があるが、今日は寄りませんでした。
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左手には境内社。

稲荷社
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和歌三神社<玉津島神社(稚日女尊・息長足姫尊・衣通姫尊)、人丸神社(柿本人麿)、住吉神社(底筒男命・ 中筒男命・表筒男命・神功皇后)>
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更に、妙義神社の大杉の跡がある。
昭和四十六年に倒壊した元国指定天然記念物。
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ここから、また石段を上がる。
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〇銅鳥居<寛文8年(1668) 県重要文化財>
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鳥居の根元の装飾が面白い。
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【波己曾社(はこそしゃ)】
明暦2年(1853) 県重要文化財
建立当初から約100年は、現在の御本社エリアに鎮座していた。
昭和44年に現在地に移築し大修理、建立当初の姿に復元された。
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3月の初めに下見に来たときには、修復中で見られなかったが、今回綺麗な姿で見ることができた。
こちらも、綺麗なものだ。

拝殿
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拝殿内部
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拝殿横の装飾
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本殿
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本殿背後の外観
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波己曽社横の厳島神社。
(3月7日下見のときの写真)
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石の太鼓橋
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3月7日下見のときの写真
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御本殿に至る165段の石段。
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エッチラ、オッチラ登っていくと、巨木の根のせいで石段がめくり上がっている。
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随身門
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豊石窓神(とよいわまどのかみ)
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こちには虎の皮を敷いている。
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櫛石窓神(くしいわまどのかみ)
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こちらは豹の皮を敷いている。
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内側には、青鬼と赤鬼が頑張っている。
それぞれ、腰に虎の皮と豹の皮を巻いている。
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随身門をくぐって、ちょっと横にずれて唐門に通じる石段を上がるが、ここで後ろを振り返ると、大パノラマが広がっている。
この日はあいにくの雨なので、眺めは良くなかったが、3月7日の下見のときの写真を載せておく。
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唐門に通じる石段を上がる。
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【唐門】
宝暦6年(1756) 重要文化財。
妻を唐破風にした銅葺き平入りの門で、周囲は彫刻で埋められ、その素晴らしさは著名である。
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細部の彫刻が素晴らしい。
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袖の彫刻が、クリアパネルで覆われているので、撮るのが難しい。
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天井には見事な龍の絵があり。
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内側の彫刻も素晴らしい。
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【御本社(本殿・幣殿・拝殿)】
宝暦2年 重要文化財
権現造りで、龍や鶴、竹林七賢人など多くの素晴らしい彫刻が各所にみられる。
本殿は、拝殿と共に黒漆塗り銅葺き入母屋造りであり、拝殿は正面に千鳥破風をおき、その前に唐破風の向背屋根を張り出している。
※吉宗の贅沢禁止令によって、金箔を使用した華美な権現造りは以後造られなくなった。妙義神社はその直前に完成していたため、妙義神社が最後の作例となっている。

拝殿
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御本社拝殿北側には神餞所(宝暦六年・重文附)が附属する。
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向背屋根の唐破風。
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向拝屋根正面の彫刻
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向背柱木鼻部分の彫刻
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向背柱にも繊細な彫刻が施されている。
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社号額
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拝殿内部にも、華美な装飾が溢れている。
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幣殿正面
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拝殿天井には花鳥風月が描かれた格天井。
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外回りの、華美な彫刻を見ていく。
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金箔を貼った、華麗な海老虹梁。
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彩色された手挟みの彫刻
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右脇障子の彫刻「竹林七賢人」
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左脇障子の彫刻「竹林七賢人」
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拝殿外欄間の彫刻は、彫刻に使用された板が厚いもので、彫刻に深みがあり、見事。
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本殿
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幣殿から本殿にわたる外部の装飾が素晴らしい。
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本殿後方の天狗社。
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本殿の横に石があるが、礎石だろうか?
どうも、磐座ではないかと思われる。
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本殿屋根の横の装飾も素晴らしい。
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神餞所玄関の装飾
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御祭神は、日本武尊(倭建命)
配祀神は、菅原道眞公 権大納言長親卿、豊受大神(あるいは 丹生都姫命)

古くは波己曾明神と称し、『三代実録』の貞観元年(859)三月二十六日に、「授上野國正六位上波己曾神從五位下」とあり『上野国神階帳』に「従二位 波己曾大明神」とある古社。

妙義山の中の白雲山周辺の地は「七波己曾」と呼ばれ、山麓に波己曾神社が分布して、丹生都姫命を祀っていたらしい。本来、当社も波己曾神を主祭神としていたが、いつの頃か、別に妙義大権現が成立して、本社となり、波己曾神は境内社に遷された状態になったようだ。

ということは、当社の元の主祭神、地主神は丹生都姫命であり、『平成祭データ』などには祭神の中に名が記されているのだが、境内の由緒では、豊受大神となっている。

また、妙義山の中の金洞山には、倭建命を祀る中之嶽神社が鎮座。さらに、妙義山の中の金鶏山には、菅原道眞を祀る菅原神社が鎮座しており、当社は、これら妙義山の三山(白雲山・金洞山・金鶏山)の神々を合わせ祀った状態になっている。


北門から「女坂」を下りながら、境内社に参拝。
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北門を出た左手に、磐座があり、中に祠が祀られている。
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ここから、境内社が点在している。
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水神社
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愛宕社
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そこから少し下ったところに磐座があり、石祠が祀られているが、祭神は不明。
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そこから女坂を下って、正面石段(男坂)と合流して、参拝は終了。
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世界遺産・富岡製糸場、城下町小幡、そして妙義神社と回って来た、歴史クラブの定例見学会も無事に終了し、満足して帰途につきました。


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桧原神社(倭笠縫邑)

20170514

鎮座地:奈良県桜井市三輪字桧原
参拝日:2017年3月23日

青春18キップの二日目、大神神社、狭井神社参拝のあと、出雲屋敷跡など山の辺の道を歩いて、ここに到着。

山の辺の道を大神神社の方から来ると、この入り口になる。
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境内に入ってから、正面の入り口に回った。
大神神社と同じく、注連柱が立つ。
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社号標
式内社 大和國城上郡 卷向坐若御魂神社 大 月次相嘗新嘗、大神神社摂社
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この神社には、二つの系統の神統があることがわかる。
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私がここまで足を延ばしたのは、ここでは大神神社と同じ三つ鳥居を介して三輪山を拝することができるとあったからである。
ここが「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」の地であることは、頭になかったので、大事な場所に来れたことに感謝した。

まずは、三つ鳥居を拝して、三輪山に参拝。
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大神神社摂社として、社殿は無いが、
御祭神は、天照大神若御魂神、伊弉諾尊、伊弉册尊

〇豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)
ご祭神:豊鍬入姫命
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 桧原神社は、万葉集などに「三輪の檜原」と数多くの歌が詠まれた台地の上にある。大和国中が一望できる絶好の場所に位置し、眼下に箸墓の森が見え、二上山の姿も美しい。 かってこの付近は大和の笠縫邑と呼ばれた。そのため境内には「皇大神宮倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)」と書いた大きな石碑が立っている。

 檜原台地に建つ桧原神社は、大神神社付近の摂社群の中では、最も北に位置している上に社格も最も高く創建も古い。天照大神が伊勢神宮に鎮座する前に、宮中からこの地に遷され、この地で祭祀されていた時代がある。伊勢神宮へ遷されると、その神蹟を尊崇して、檜原神社として引き続き天照大神を祀ってきた。そのため、この神社は広く「元伊勢」の名で親しまれている。

第十代・崇神天皇は、木(紀)国造である荒河刀弁の娘・遠津年魚目目徴比売を妻として 豊木入日子命と豊鉏入日売命の男女二人をもうけられた。 豊木入日子命は上毛野の君、下毛野の君等の祖となった。 豊鉏入日売命は、伊勢皇太神宮の祭主となった。

『日本書紀』崇神天皇6年条によれば、百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際、天皇はその原因が天照大神(のちの伊勢神宮祭神)・倭大国魂神(のちの大和神社祭神)の2神を居所に祀ったことにあると考えた。そこで天照大神は豊鍬入姫命につけて倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀らせ、よって磯堅城の神籬を立てたという。一方、倭大国魂神は渟名城入姫命につけて祀らせた。

皇女豊鍬入姫命はさらに大宮地を求めて丹波、大和、紀伊、吉備などの各地を巡り、 ついで第十一代・垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が代わって大御神さまにお仕えし、 大御神の永遠にお鎮まりになるべき大宮地を求めて、各地を苦心してご巡幸されたのち、 「この地は、朝日夕日の来向ふ国、浪音の聞えざる国、風音の聞えざる国、弓矢・鞆の音 聞えざる国、大御神の鎮まります国ぞ」 と申されて、垂仁天皇二十六年九月、伊勢の五十鈴川上の現在の地にお鎮まりなった。
その後、代々皇女が神宮の司祭に選任されている。

『古事記』では、豊鉏比売命(豊鍬入姫命)は伊勢の大神の宮を祀ったと簡潔に記されている。

砂利の境内は清潔というか清廉な雰囲気。
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瑞垣のすぐ前には、北白川房子氏の歌碑があります。
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檜原神社からは、古来から大和の国人々から聖なる山として崇められた「二上山(にじょうざん)」の姿が美しく見られます。檜原神社からはほぼ真西の方角にあたり、春分・秋分の日の頃には、二上山の雄岳と雌岳の間に夕陽が沈むため、神聖視されてきました。
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参道に立つと、注連柱の間から二上山が、うっすらと見えた。
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前川佐美雄氏(日本芸術院会員)の歌碑
春がすみ いよいよ濃くなる真昼間の なにも見えねば 大和と思え
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池田黙々子氏歌碑
「観月や 山の辺道を 桧原まで」
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これで、桧原神社の参拝を終え、できるだけ大神神社の摂末社に参拝するため、来た山の辺の道を大神神社の方に引き返しました。


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狭井神社

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鎮座地:奈良県桜井市三輪1422
参拝日:2017年3月23日

青春18キップの旅二日目、素佐男神社、大神神社のあと、山辺の道を歩いてここに到着。

社号標
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式内社「狭井坐大神荒魂神社五座」。
病気平癒の神社。
狭井神社は狭井川の畔にある大神神社の摂社で、正式な名前は「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」という。本社の荒魂をお祭しており、延喜式神名帳に記されている古社。
古より「華鎮社」と称された。

社伝によれば、創祀は垂仁天皇の時代とされている。大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)を主神として祀り、大物主神、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜多多良姫命および事代主神を配祀している。荒魂(あらみたま)とは、荒ぶるような猛々しい働きをもって現れる霊魂のことである。戦時や災時などにあたって現れ、祭祀(さいし)を受けることによって和魂(にぎみたま)の性質に変わる。

狭井神社は、鎮花祭(はなしずめまつり)が行われる神社として昔から有名であり、「花鎮社」ともいう。鎮花祭りは、俗に「くすりまつり」ともいい、毎年4月18日に大神神社とこの狭井神社で執り行われる重要な祭りで、その起源は崇神天皇のとき、全国に疫病が流行したが大田田根子を召して祭神の大物主神を祭ったところ疫病が止んだことにあるという。実際は、春になって花の花粉が飛散する陽気の頃はさまざまな病気が流行するので、これを鎮めるために祀ることから起こったのだろう。

『延喜式』の鎮花祭記述
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鳥居
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境内は思ったよりはるかに広い。
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皇后陛下の歌碑があり。
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手水舎
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一段上がって、拝殿前に。
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やはり、ここも注連柱があり。
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拝殿の唐破風の檜皮葺の意匠が美しい。
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拝殿
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拝殿内に「華鎮社」の社額がかかっている。
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拝殿内部
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本殿は屋根がかろうじて伺えるだけ。
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ご祭神:
主祭神は、大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)
配祀は、大物主神、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜多多良姫命、事代主神。

大神神社摂社なので、神紋はやはり「三本杉」
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薬井戸・狭井に向かう入り口に、ご神水を使用した「水琴窟」がありました。
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これに耳を近づけると、澄んだいい音色がしていた。
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〇薬井戸・狭井
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たくさん蛇口がありました。
見ていると、けっこう頻繁に土地の方がキャリアを引いて水をいただきに来ています。
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私たち旅人にも、安心してご神水をいただけるよう、減菌されたコップが用意されていました。
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お水をいただくと、何とも言えない清浄な味に感じられました。
美味しい水でした。

御神体である三輪山への登拝口が境内にあります。
但し、三輪山は御神体であり山そのものが神域であるため、軽率な気持ちで入山することは出来ない。(明治に渡るまで「神域」として一般の入山禁止であった。)登拝料を払い受付より渡されるたすきを首にかけるなどの厳守すべき規則があり、それを了承した上で登拝することが義務づけられている。なお、入山中は撮影・飲食は禁止である。

三輪山の標高は467.1mです。その山頂に高宮神社があり、信仰者の登頂を認めている。登拝口は拝殿の右側にある。社務所に願い出て、住所・氏名・入山時間・性別を記入し、登拝口で祓いをすませれば、木綿襷を肩にかけて誰でも登頂できる。ただし、往復とも指定された一本道だけを通ること、禁則地域には絶対立ち入らないことなど厳しい制約が課せられる。途中に急な坂道もあり、普通の人なら頂上まで1時間はかかるとのことである。なお、登頂は有料である。

私の今回の旅は、サブテーマに出雲族の痕跡探しを挙げており、出来るだけ広範囲を廻りたいので、登頂は我慢した。次回はぜひ登らせていただきたいと思っている。

登山口
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「鎮女(しずめ)池」
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鎮女(しずめ)池のほとりに、三島由紀夫氏の「清明」碑がある。
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説明の中にある、摂社率川神社の「三枝祭」は、その起源も古く、文武天皇の大宝元年(701)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されており、大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭り。
昔、御祭神姫蹈韛五十鈴姫命が三輪山の麓、狭井川のほとりにお住みになり、その附近には笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えられ、そのご縁故により、後世にご祭神にお慶びいただくために酒罇に笹ゆりの花を飾っておまつりする様になったと言い伝えられています。

国が行うお祭りとして重んぜられた三枝祭は、平安時代には宮中からの使いが御供えの幣物や神馬を献上するなど、非常に丁重な祭祀が行われましたが、後世いつの間にか中絶していたのを明治十四年再び古式の祭儀に復興され、現在に及んでいます。
このお祭りの特色は、黒酒、白酒の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と称する酒罇に盛りその酒罇の周囲を三輪山に咲き匂う百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて神前にお供えする事です。又神饌は古式に則り美しく手が加えられ、折櫃に納めます。そして、柏の葉で編んで作ったふたをして、黒木の御棚と言う台にのせて宮司自らがお供えします。

延喜式に書かれている「三枝祭」
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私は、三島由紀夫の小説はあまり親しんではいないが、絶筆となった「豊穣の海」シリーズは、前評判が騒がれたこともあり全て初版で買って、三島由紀夫の小説の中で唯一愛読しているものだ。
大神神社に参拝し、「三枝祭」に参加した本多が、松枝清顕の生まれ変わり、飯沼勲と出会うシーンは、三千本の百合の花のイメージと共に、今でも鮮明に蘇ってくる。

鎮女(しずめ)池には、大神神社末社市寸島姫神社がある。

〇大神神社末社・市杵島姫神社
ご祭神:市杵島姫命
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ここでも、卵が供えられている。
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しばらく、鎮女(しずめ)池のほとりで休んだ後、「出雲屋敷」跡に向かって、山辺の道を歩き出した。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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