酒折宮(さかおりのみや)

20171129

所在地:山梨県甲府市酒折3-1-13
参拝日:2017年11月16日

この日、甲斐国一之宮・浅間神社に次いで、ここに参拝しました。

入り口
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社号標
正面に「酒折宮」、左側面に「日本武尊御舊跡」とある。
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『古事記』・『日本書紀』に記載される日本武尊の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつとされる神社である(ただし後述のように異説もある)。
また、その説話にちなみ連歌発祥の地とされている。

記紀の酒折宮伝承:
『古事記』・『日本書紀』(以下「記紀」)には、ヤマトタケルの東征伝承が記されている。
ヤマトタケルの東征は『古事記』では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り、帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り、信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしている。
一方、『日本書紀』では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り、帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し、武蔵から上野碓日坂を経て信濃、尾張に至ったとしている。

帰路、甲斐国(現山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が当社に因むとされている。行在中に尊が塩海足尼(しほのみのすくね)を召して甲斐国造に任じて火打袋を授け、「行く末はここに鎮座しよう」と宣言したため、塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝える。
記紀に記されるヤマトタケルの東征経路は、古代律令制下の官道においては往路が東海道、帰路が東山道にあたっている。また「倉野之坂」や「碓日坂」はいずれも令制国の国境に位置し、甲斐国は東海道と東山道の結節点に位置することから、酒折宮も「坂」に関係する祭祀を司っていた神社であると考えられている。

連歌伝承:
また記紀には、滞在中のある夜、尊が
「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
意味:常陸国(現 茨城県)の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか
と家臣たちに歌いかけたところ、家臣の中に答える者がおらず、身分の低い焚き火番の老人が
「日々(かが)並(なべ)て 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」
意味:指折り数えてみますと九泊十日かかりました
と答歌、尊がこの老人の機知に感嘆した伝えを載せ、『古事記』には彼を東国造に任命したと記載されている。
この翁を酒折宮翁という。
酒折宮伝承はこの2人で1首の和歌を詠んだという伝説が後世に連歌の発祥として位置づけられ、そこから連歌発祥の地として多くの学者・文学者が訪れる場所になった。

小堀鞆音画「酒折宮連歌図」
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鳥居の前に、鳥居の原形である注連柱も設けられている。
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鳥居をくぐると、すぐ左手に連歌の碑があり。
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参道の真ん中辺にある狛犬を過ぎると、大きな石碑があり。
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当社には多くの国学者、文学者が訪れた記録が残されています。
本居宣長と山県大弐の碑は、どちらの碑も巨石にぎっしりと漢字が彫られています。
最初は、1791年(寛政3年)、国学者の本居宣長は、甲斐在住の門弟である萩原元克に依頼され『酒折宮寿詞(よごと)』を撰文し、それから48年後の1839年(天保10年)になり平田篤胤の書によって『酒折宮寿詞』が建立された。
『酒折宮寿詞』は414文字の漢字が並び、この碑文を見た作家井伏鱒二は、「まるでクイズをやらされているようなものだ」と言ったという。
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末尾に本居宣長と田篤胤の名前があり。
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横に何が書かれているか説明あり。
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手水舎
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もう一つ、山県大弐の碑があります。
1762年(宝暦12年)には甲斐出身の国学者である山県大弐が、師である加賀美光章とともに社殿を造営し、この地が東征の故事に記された酒折宮旧址であるとの内容を記した碑文『酒折祠碑(しひ)』を建立した。
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拝殿
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社額
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本殿は、更に斜面を上がったところにあり。
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本殿
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ご祭神は日本武尊 (やまとたけるのみこと)

神紋は「五七の桐」
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参道の左手に、境内社であろう石祠が並んでいる。
しかし掲示が無いので、どういう神様かは不明。
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一応お参りして、帰ってから調べたが、境内社については公式HPでも、色々な参拝の記事からもまったくわからない。

その奥にも石祠があり、それに導かれるように入り込んでいく。
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斜面の上のほうに磐座みたいなのが見えたので、上がっていった。
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林にまぎれて下からよくわからなかったが、近づいてみると大きな岩がたくさんあった。
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三つの大きな岩で、小さな窓が出来ていた。
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いかにも神が降臨しそうな磐座である。
この辺は、酒折縄文遺跡と云われ戦前から知られている遺物散布地で、縄文土器と石斧が酒折宮周辺で採集されているそうだ。

道で分断されているが、酒折宮の境内だと思われる斜面に、石祠が幾つもあった。

金比羅大権現
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蚕影大神
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あとは不明な石祠があちこちにあり。
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(了)



「神社巡拝」に飛ぶ



甲斐国一之宮・浅間(あさま)神社

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鎮座地:山梨県笛吹市一宮町一宮1684
参拝日:2017年11月16日

中央高速道の勝沼インターを降りてから10分くらいで到着。
大きな鳥居が眼に入り、すぐにわかりました。
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大鳥居からすぐの駐車場に停めて歩き出しましたが、境内のすぐ横にも駐車場はあった。
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二の鳥居と社号標。
式内社(名神大社)論社、甲斐国一宮。旧社格は国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。
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歴史:
社伝では垂仁天皇8年正月に神山の麓(現 摂社山宮神社)で創建され、貞観7年(865年)旧暦12月9日現在地に遷座したという。
一帯は古代甲斐国の中心地で、付近には甲斐国分寺跡・甲斐国分尼寺跡が残っている。
『延喜式神名帳』で名神大社に列格する「甲斐国八代郡 浅間神社」の論社の一社である。
また、平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしている。ただし、当社の鎮座地は旧山梨郡であることや、他に甲斐国一宮を称する神社もあることから、名神大社および甲斐国一宮は当社ではないとする説もある。
『日本三代実録』によれば、貞観6年(864年)の富士山の大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、翌貞観7年(865年)12月9日(旧暦)に甲斐国八代郡に浅間神社を建てて官社としたとある。その後、山梨郡にも同様に浅間神社を建てたとも記す。このことから、当社は「後に山梨郡に建てられた浅間神社」であるとする説が有力であるが、創建時は当地が八代郡内で「最初に八代郡に建てられた浅間神社」である可能性もある
摂社・山宮は元は神山を祭祀する神社であったと見て、甲府盆地の開発が進むとともに里宮に移り、のち浅間神(木花開耶姫命)の神格が与えられたとする考えもある。
当社は武田氏からの崇敬が篤く、関係文書も多く伝わっている。その頃以降、当社を一宮とする史料や当地にあった「一宮庄」の記載のある文書も見られ、一般に甲斐一宮として崇敬された。
江戸時代に入ってからも江戸幕府から所領を安堵されるなど保護された。
1871年(明治4年)旧暦5月14日に近代社格制度において国幣中社に列し、戦後は別表神社となった。

神道では神に日本酒を「御神酒(おみき)」として奉納するが、一宮浅間神社では戦後の1965年(昭和40年)から山梨県で産出されたワインを御神酒として奉納することが行われている。

随神門
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随神門の前には、今年の干支の酉と木花開耶姫命の絵馬が飾られていた。
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随神
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随神門の先に参道が延びるが、その先に社殿は無く、左に曲がった先に社殿がある。
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境内図
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手水舎
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参道を左に折れると、注連柱があり、その先に社殿がある。
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拝殿の前には威嚇型の狛犬が居る。
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拝殿
江戸時代、寛文12年(1672年)造営。桁行7間・梁間3間の一重入母屋造唐破風向拝付で銅板葺。
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唐破風向拝
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社額
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拝殿に掛かっている富士山の写真と木花開耶姫命の絵馬
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この神社は富士山を祀る神社であるが、境内からは御坂山地の陰に隠れて富士山は見えず、本殿も富士山とは関係ない方角、祭神が降臨したという神山の方向を向いている。

本殿
やはり、一重入母屋造で向拝が付いている。
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祭神:木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
富士山を神格化した神。もと山宮神社に祀られていた3柱のうちの1柱、木花開耶姫命のみ遷座したという。

神紋は、「八重桜」
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神楽殿
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これから、反時計回りに境内の境内社などを廻ります。

〇護国神社
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社殿の前に砲弾が奉納されていた。
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人型に繰り抜かれた石。茅の輪と同じ意味でお祓いをしてくれるらしい。
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その先に干支の像が並んでいた。
新しいものみたいだが、像の出来がいいので全部撮ってきた。
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「富士山石」
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本殿の後ろ右側です。
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〇稲荷社
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本殿の真後ろ
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本殿の左側奥にある境内社二社。

〇真貞社
ご祭神:伴真貞(当社創祀時に託宣し、のちに祝となった)
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〇神明社
ご祭神:天照大御神
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「夫婦ウメ」
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かなりの古木みたいだが、生きている枝もまだ目立つ。
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「斎田」
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今年実った稲穂が干されていた。
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拝殿正面にある「子持ち石」
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御祭神である木花咲耶姫命は子授け・安産・育児の神として広く信仰されているため、この浅間神社には子授けや安産にまつわる石が多くあり、後で出てくる女性の陰石と男性の陽石が一緒に配置してある陰陽石がそうです。
「子持ち石」は初宮詣の際に御参りする石だそうです。

〇大黒様
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「桃の花/堀内幸枝」碑
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〇山宮神社遥拝所
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山宮神社(境外摂社):
鎮座地:笛吹市一宮町一ノ宮(飛び地、位置)
祭神:大山祇神、瓊瓊杵命 - 木花開耶姫命の父神と夫神
本社南方、神山の麓に鎮座する。当社創祀の地で、元宮にあたる。垂仁天皇8年の創建から貞観7年(865年)旧暦12月9日の遷座まで祭祀が行われ、遷座の際に祭神3柱のうち木花開耶姫命のみが里宮(現 本社)へ遷したとされる[4]。古来より3月15日に山宮神幸祭が行われ、本社から神輿が渡御する(現在は15日前後の日曜)。社殿は永禄元年(1558年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。

神山を遥拝する。
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「陰陽石」
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これで参拝を終え、次の参拝地「酒折宮」に向かった。


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栃木市・神明宮

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所在地:栃木県栃木市旭町26-3
参拝日:2017年10月11日

この日、歴史クラブの定例見学会で、午前中ガイドさんの案内で各所を見たあと、午後の自由行動の際に参拝した。

社号標と鳥居
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神明宮の由緒:
当社は勧請の因記詳ならずも中興改築の棟礼に、応永十壬寅年(第百代後小松天皇の御宇)九月十六日正遷宮、天照皇大神、祇園牛頭天皇とあり。
応永の頃は皆川紀伊守の所領にして、同家は藤原氏の系統なるにより其の最も尊崇する素盞鳴雄命を相殿に祭祀せるものなるべし。
爾来近郷榎本城の支配を受けしが、天正年間豊臣秀吉小田原城征伐の挙あるや、時の城主榎本藤四郎は北条氏に属せしめた宗家小山氏(現在の小山市)の居城小山城落城と共に榎本城も没落せりと旧記に見ゆ、
又大字栃木城内に皆川広照公の支城ありて神明宿なる小字あり、是当社の旧地なりしを天正十七已午年正月十六日現地に奉遷宮されたるものなり。
徳川氏天下に覇たるに及び、或は代官領となり、或は知行所となり幾多星霜を経て、御祭事は町奉行之を掌りて、社家之を執行し来たれり、
当社は明治五年に県社に列せられ、奉告は時の栃木県令鍋島幹之を行う。
同六年境内に於ける禁制の高札を下賜せらる。これ実に県下初めてのことである。

ちなみに「栃木」の地名はこの神社からであるという。
伊勢皇大神宮に倣って神明造りの社殿の屋根にある千木(ちぎ)が十本あることから、「十の千木」→「とちぎ」→「栃木」という地名がついたという話である。
千木は、もともと破風板をそのまま延ばしたもので、両端に二本ずつである。
しかし雨仕舞が悪いので、破風は屋根の下で留め、屋根の上に「飾り千木」を置いているのが普通。これだと確かに屋根に五組置くことは可能となる。
現在の本殿には4本しかないが、昔の社殿はそうなっていたのかもしれない。


鳥居の前に、文化15年(1818)奉納の狛犬が居た。
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参道
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神明宮の説明
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車止め
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車止めのすぐのところに、琴平宮奉献の石燈籠(亀田鵬斎揮毫)が壱基ある。
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龍と象の彫刻が見事だ。
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石燈籠に象の彫刻は初めて見たが、香川県の金刀比羅宮は、象頭山中腹に鎮座する神社であるので、そこから来ていると思われる。

手水舎
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参道両側に石灯篭が並ぶ。
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現在の拝殿は、中教院として全国的に展開された皇道宣布の強力な教化の施設として建立。
明治十五年一月内務省が神官の教導職兼務解除(神仏分離令)のため、中教院も閉鎖。廃院の元中教院を受入れ社殿として補修を加へ神明宮社殿として再建、現在に至っている。
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向背にある額には「盛哉」と書かれている。
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社額
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拝殿の中は見えなかった。
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本殿は明治十二年三月の地鎮祭に始り同十六年十月に竣工五年有余の年月をついやし総欅素木の神明造銅板葺の本殿として造営されたそうです。
拝殿もさることながら本殿も大きさを誇っている。
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主祭神は天照皇大神。
配神として素盞雄命、造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)を祀る。

神紋は「十六弁八重菊と右三つ巴の重ね」
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これが悩んだ。私が持っている家紋の辞典には載っていなくて、見たことがある形だが何だろうと悩んだ。
そのうち、栃木の地名の由来に思い至って、氷解した(笑)
「十+千木」である。
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社務所の前に、カラフルな茅の輪が置かれている。
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奏楽殿
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境内社
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中をのぞいて、涙がこぼれた。
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境内社は須賀神社、恵比須神社、大国主神社、魁稲荷神社、淡島神社、琴平神社、富士浅間神社、市姫神社、愛宕神社、小御嶽神社、松尾神社、福寿稲荷神社との説明だが、それが全部ここに押し込められているみたいだ。

明治政府の悪法「神社統合令」で、その地域の神社が一か所に集められたのだが、
普通は長い社に横に並べられて祀られている。
拝殿、本殿が立派なのに対して、対比的に気の毒に思われた。

ご神木の銀杏の木
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隣接南側は皇太子殿下御慶事記念として設置した、記念公園栃木市第二公園がある。

そちらに向かうと、まず小鳥の小屋がある。
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藤棚
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大きな池がある。
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社伝の裏にも、気持ちのいい水路が設けられていた。
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(了)


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築土(つくど)神社

20171015

所在地:東京都千代田区九段北1-14-21
参拝日:2017年5月31日

将門伝説にちなむ神社として参拝しました。
地下鉄九段下駅からあるいてすぐの所にあります。

交差点から築土神社に上がる坂の上がり口に標柱が立っている。
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神社は高いビルの奥にある。
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ビルの頂上には、大きな剣が屹立している。
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神社入り口の鳥居
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鳥居の社額
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創建時の祭神・平将門に因み、武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもある。 毎年正月に授与される勝守(かちまもり)は有名。

ご祭神は、現在は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神とし、平将門、菅原道真を配祀する。

江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となっている。
戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみである。
拝殿の装飾や絵馬などには、巴紋のほか平将門に因んだ繋ぎ馬(つなぎうま)の紋が使用されている。これは神社境内にある天水桶(文政元年)の彫刻を模したもので、築土神社の登録商標である(平成23年現在)。

歴史:
天慶3年(940年)6月、江戸の津久戸村(上平川村、現:千代田区大手町一丁目将門塚付近)に平将門の首を祀り、塚を築いたことから「津久戸明神」として創建されたという。
室町時代に太田道灌により田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させられて以降は「田安明神」とも呼ばれ、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられることもあった(江戸三社のうち、日枝神社、神田明神以外は固定していない)。
元和2年(1616年)に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地(現:新宿区筑土八幡町)へ移転し、「築土明神」と呼ばれた。
明治7年(1874年)天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」へ改称する。
300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。
平成6年(1994年)、境内地にオフィスビルを建設するとともに、鉄筋コンクリート造の社殿を新築。
平成18年(2006年)の築土祭では、安政6年(1859)の神田明神以来、実に147年振りに神輿渡御行列の江戸城入りを果たしている。

ビルの下の参道
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ビルの下から抜けるところに、安永9年(1780)奉納の宝珠・角型狛犬が居る。
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手水舎
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拝殿
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唐破風の上に鳳凰(?)が居る。
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参拝所
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社額
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社殿の背後に回ると、本殿を拝することができる。
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背後には、鹿のオブジェなどが置かれていた。
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主祭神:
主祭神は天津彦火邇々杵尊
相殿神が、平将門公、菅原道真公

神紋は「右三つ巴」と「繋ぎ馬」
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天水桶には将門公の「繋馬(つなぎうま)」が彫刻されているが、伝説では、将門が挙兵した時、突然空に一筋の稲妻が走り落下して黒馬に変わると、将門はこれに乗り戦場を縦横無尽に駆け巡ったとされる。「繋馬」は家紋や社紋として使用されることも多く、当社でも拝殿の門帳には「繋馬」を神紋として用いている。

境内社・世継稲荷(田安稲荷)
倉稲魂神を祭神として、嘉吉元年(1441)頃、飯田町に創建された稲荷神社である。当時はこの辺一帯を田安村といったことから、「田安稲荷」と称されていた。二代将軍秀忠が社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、これ以降「世継稲荷」と称されるようになったと伝えられている。元禄10年(1697)の大火で被害を受け翌年に再建した頃より、地域町人の守護神になっていった。享保15年(1730)以降、田安家の鎮守神としても崇拝された。また、文久2年(1862)に14代将軍家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣した。現代も子宝や後継者を願う人々に信仰されている。
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力石
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(了)


「神社巡拝」に飛ぶ



太平山(おおひらさん)神社

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鎮座地:栃木県栃木市平井町659
参拝日:2017年8月30日

この日は、歴史クラブで催行する定例見学会「蔵の町・栃木市」の下見で訪れた。
この神社に参拝するには、東武日光線かJR両毛線の栃木駅からバスで「国学院栃木」まで行き、そこから1000段の石段を上がることになる。
それでは、足が覚束ないという人は、タクシーで境内までいくことが出来る。
そこまでは、という人は随神門前までタクシーで行き、そこからの230段の石段を上がることがお薦めだ。
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ここでは、1000段石段を下から上がって案内する。

バス停から歩いてすぐに、「あじさい坂」が始まる。
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二の鳥居(神明鳥居)
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この鳥居の横に、「六角堂」がある。
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天長2年(825)、比叡山延暦寺の天台座主慈覚大師の開創で、もとは太平山の別当寺、現在の太平山神社境内にありました。

江戸前期の寛永18年(1641)に、東叡山寛永寺の直末に補された天台宗の大寺で、三光院、報恩院、多門院、安楽院の四寺を支配していた。
ご本尊は、慈覚大師作と伝えられ、県内で最も古い木造彫刻の虚空蔵菩薩で、平成2年(1990)県指定有形文化財(彫刻)となりました。

その後、明治元年(1868)の神仏分離令により、太平山の旭岳(現在の太平少年自然の家敷地)に仮堂を建て移転しました。
この仮堂は、明治35年(1902)の暴風雨の際、堂宇が崩壊し、同年信徒有志の浄財により、現在地に京都頂法寺の六角堂を模し堂宇を建立したため、通称六角堂とよばれ、平成6年(1994)市指定有形文化財(建造物)となりました。

下から入り直します。
昭和20年奉納の狛犬が居ます。神仏習合の名残。
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六角堂
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そこから坂を上がっていきます。
また神明鳥居があり。
この辺は、僅かな段差で石段となっているが、数えてみた結果、これも1000段に入っている(笑)
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上がっていくと、社号標、鳥居、神橋がセットになったところに出た。
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「大平宮」の額がかかった銅製明神鳥居
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そこからまた上がっていくと、両側の藪の中に狛犬あり。
奉納年代は不明。
両方ともに阿形。
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大きな杉の木が。
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根元に秋海棠が咲いていた。
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ちょっとした踊り場に出た。
左手に行くと「太平沢園地」
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やっと、上のほうに赤い随身門が見えた。
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随神門に到着。
770段上がってきたことになる。
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随神門
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現在は、表に随神が侍っている。
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随神門をくぐると、天井には龍の絵が。
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仁王さんは、以前と異なり裏側に回っている。
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ここで、太平山神社の由緒を、神社の由緒書きから載せておく。
御鎮座略記:
太平山神社の歴史は、『諸神座記』をはじめとする多くの古文書によれば、第11代垂仁天皇の御代に、大物主神(おおものぬしのかみ)・天日一大神(あめのまひとつのおおかみ)が三輪山(現在の太平山)に鎮座されたときに始まると云われております。今からおよそ二千年も昔のことですが、太平山は非常に古くから信仰されていた山であったことが伺い知れます。
 太平山は「天長四年に慈覚大師が開山した山」として、今日に伝わっておりますが、『太平山開山記』によれば、「円仁(慈覚大師)は何年にもわたり太平山の入山を拒否されていたが、淳和天皇の御代の天長4年(827)、天皇の勅額を奉じることで、ついに入山を果たした」とあります。また、「太平山神社」という社号は、「天下太平を祈る社」として、勅額とともに淳和天皇から賜ったとも伝えられています。
 これ以降、太平山は神仏をまつる山となり、中世までには、神仏鎮まる御山として一大宗教の霊地となり、神社や寺院が八十余も遷座・建立されました。
 明徳2年(1392)には、後小松天皇から「太平山神社」の額を奉じられましたが、これら淳和・後小松両天皇の額は、天正13年(1585)の戦火で焼失してしまいました。
 戦国時代に「後北条氏と対立する上杉謙信が太平山から関東を臨んだ」という言い伝えが残っているように、関東平野を広く一望できる霊地に太平山神社は鎮座しております。天正年間に兵火によって社殿が焼失してしまう不幸がありましたが、近世の初期には速くも復興し、徳川幕府から朱印地を認められました。三代将軍家光の時代には、春日局が将軍のお世継ぎ誕生を祈願したことでも知られております。また、『雲上明鑑』『雲上明覧』には「下野太平山宮司」「野州 大平山神主」「野州 大平山別常」と記載されており、武家伝奏を通して朝廷に執奏する社でもありました。寛政年中(1789~1801)には「御願御抱場」とされるなど、民衆のみならず朝廷や幕府からも「天下太平を祈る社」として信仰されていました。
 太平山神社は、様々な歴史を経てまいりましたが、古い昔から、多くの人々の心を支え続けてきたのです。

御神徳記:
 太平山神社は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)をはじめ、多くの神様をお祀りしています。
 第53代淳和天皇の御代、風水害や疫病などで人々は苦しんでおりました。それに天皇は御心を痛められ、「下野国(今の栃木県)の霊峰三輪山(現在の太平山)に天下太平を祈る社を造営せよ」との詔を賜り、日の神であり太陽のように命を育む「天照皇大御神」、月のように人々に安らぎを与える「豊受姫大神」、星のように人生の道案内をしてくださる「瓊瓊杵命」、この「日・月・星」の御神徳をあらわす三座の神様をお祀りする社が造営されました。すると忽ち世の中は治まり、大いによろこばれた浮和天皇は、「太平山神社」の勅額を下賜されたのです。
 そして、もともと此地で劔宮(つるぎのみや)、または武治宮(ふじのみや)としてお祀りされていた神様は、奥宮として鎮まりました。
 以来、太平山に鎮座なされる神々は、「国を太平に治め、社会を平和に導き、家内の安全を守り、商業を繁栄に導き、人々を守護する祈願成就の神様」として万民の心を支え、篤く信仰されるようになりました。
 「おさめの神が鎮まります御山」である太平山には、御神徳あらたかな神々が鎮座しており、多くの祭典が執り行われ、人々の幸せを祈り続けているのです。


天日一大神(あめのまひとつのおおかみ)は、日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神であることが注目される。

随神門のすぐ後ろに、狛犬が居たが、これは天保13年(1842)奉納のもの。
驚いたのは、右の阿形が逆立ちをして、左の吽形が構えている。
これは北陸の金沢を中心に分布している「金沢型」とまったく同じ姿勢だ。
しかし、「金沢型」は明治になってからと云われているから、こちらの方が早い。
この辺に同じ発想をした石工さんが居たということだろうが、驚いた。
阿形の逆立ちのほうが、一部壊れているのが痛々しい。
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また、せっせと上がる。
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この辺は、けっこう傾斜がきつい。
今くぐってきた随神門を見下ろす。
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二代目横綱「綾川五郎治」受け止めの石
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境内の石垣のところまで来た。
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銅の明神鳥居
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掲額には「三光神社」とあり。
後になって祭神となった三神を「三光」としたのだろう。
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最後の石段
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勅使門
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境内に到着
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手水舎
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ここは、拝殿は無く、本殿のみとなる。
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御祭神は、天照皇大御神、豊受姫大神、竣竣杵命

本殿前の狛犬は、宝珠・角型。
通常と異なり、右側に角を持った獅子が居る。
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左側に、宝珠を載せた獅子。
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境内の案内図によって、境内社に参拝。
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ご神石
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交通安全神社
ご祭神:猿田彦命
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福神社
御祭神:恵比須神、大国主命
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蛇神社
御祭神:蛇神様(水神様)
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星宮
ご祭神:磐裂根裂神、天之加々背男命、天海水木土火金地
子易神社
ご祭神:木花開耶姫
天満宮文章學社
ご祭神:菅原道真公、莬道稚郎子命
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太平山稲荷神社
ご祭神:豊宇気毘売神
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三輪神社
ご祭神:大物主大神、大巳貴大神、少彦名神
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このお宮の横に立っている灯篭は、一つの石から出来ているとのこと。

足尾神社
ご祭神:日本武尊(天狗様)
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たくさんの下駄が奉納されていた。
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皇大神宮・稲荷神社・厳島神社・上宮神社・天満宮・大杉神社・織姫神社・浅間神社・愛宕神社・八幡神社
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神馬舎
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覗いて吃驚した。
金の神馬であった。
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これで参拝を終え、下界を見下ろす。
天気が悪かったので、この程度しか見えないが、天気が良いと素晴らしい景色だろう。
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(了)


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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