京都・河合神社の狛犬

20170416

所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
撮影日:2017年3月22日

年代:延宝7年(1679)
材質:木製
型式:神殿型

河合神社については、既に記事にしています。

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拝殿
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本殿の回廊に居ました。
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右側の阿形獅子
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左側の吽形狛犬
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特徴:
・身体が茶色、たてがみ・眉・顎鬚・尾は白に彩色されている。
・右側が阿形、たてがみが巻き毛なので獅子。
・左側は吽形、たてがみが流れているので狛犬。
・左側吽形の頭には角がある。角に節様のものがあり独特。
・顔は、眉&顎鬚がたてがみと同様白く塗られていて目立つ。
・眼は玉眼
・表情は厳めしいが、あまり顔がデフォルメされていないので、すっきりした印象。
・前足は、やや前方に出して真っ直ぐ。
・後足は蹲踞。
・尾は、やや炎様に扇形に広がって立っている。

尾は、やや炎様に扇形に広がって立っている。
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河合神社の境内社・貴布禰神社にも、狛犬が居た。

社殿の回廊に居た。
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年代:不明
材質:木製
型式:神殿型

右側の阿形狛犬
この角度でしか撮れなかった。
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左側の吽形狛犬
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特徴:
・身体が茶色、たてがみ・眉・顎鬚・尾は白に彩色されている。
・右側が阿形、たてがみが流れていて狛犬。
・左側は吽形、たてがみが流れているので狛犬。
・左側吽形の頭には角がある。
・眉&顎鬚がたてがみと同様白く塗られている。
・眼は玉眼
・あまり顔がデフォルメされていなくて、表情もおとなしい。
・前足は、やや前方に出して真っ直ぐ。
・後足は蹲踞。
・尾は、一筋背中に沿って長く付いている。



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玉依日売命(たまよりひめのみこと)/日本の神々の話

20170416

記紀・風土記などに見える女神で、それぞれ別の女性を示す。
『古事記』は玉依毘売命、『日本書紀』は玉依姫尊と表す。

①日本書紀第七の一書に、「一に云はく」として高皇産霊神の子の児萬幡姫の子として玉依姫命が見える。ここでいう児萬幡姫は栲幡千千姫命の別名で、天火明命と瓊瓊杵尊の母である。

②日本神話で、海神の娘。ウガヤフキアエズノミコト(鸕鷀草葺不合尊)の妃となり、四子を産んだ。末子は神武天皇(カンヤマトイワレビコノミコト、神日本磐余彦尊)。

③賀茂伝説で、タケツヌミノミコト(建角身命)の娘。丹塗矢(本性は火雷神)と結婚し、ワケイカズチノカミ(別雷神)を産んだ。

一般には、玉依姫命の玉依は霊依で、タマは神霊、ヨリは人間に憑る(ツク)ことであり、 神霊が憑依する女、即ち巫女のこと。よって、似た神名は古典にたびたび登場し、混同される場合も多い。

②、③の二つを、もう少し詳しく載せておく。

【②記紀など日本神話に登場するタマヨリヒメ】
綿津見大神(海神)の子で、豊玉姫の妹である。天孫降臨の段および鸕鶿草葺不合尊の段に登場する。トヨタマビメがホオリとの間にもうけた子であるウガヤフキアエズ(すなわちタマヨリビメの甥)を養育し、後にその妻となって、五瀬命(いつせ)、稲飯命(いなひ)、御毛沼命(みけぬ)、若御毛沼命(わかみけぬ)を産んだ。末子の若御毛沼命が、神倭伊波礼琵古命(かむやまといはれびこ、後の神武天皇)となる。

『古事記』および『日本書紀』の第三の一書では、トヨタマビメは元の姿に戻って子を産んでいる所をホオリに見られたのを恥じて海の国に戻ったが、御子を育てるために、歌を添えて妹のタマヨリビメを遣わした、とある。『日本書紀』本文では、出産のために海辺に向かう姉に付き添い、後にウガヤフキアエズの妻となった、とだけある。

第一の一書では、トヨタマビメが海の国へ帰る時に、御子を育てるために妹を留め置いた、とある。第四の一書では、一旦トヨタマビメは御子とともに海に帰ったが、天孫の御子を海の中に置くことはできず、タマヨリビメとともに陸に送り出した、とある

上総国一宮・玉前神社、下鴨神社摂社・河合神社では、神武天皇の御母神として祀っているので、この神が該当する。

【③賀茂伝説のタマヨリヒメ】
『山城風土記逸文』にでてくる賀茂神社縁起の玉依日売。
日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して大和の葛木山に宿り、 さらに山代国岡田の賀茂に移り、その後、久我国の北山基に鎮座。 丹波国神野の神伊可古夜日売を娶り、玉依日子・玉依日売が生まれた。
ある日、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、 大山咋神が化した丹塗矢が川上から流れ下って来た。 これを床のまわりに置いていたところ、玉依日売は妊娠し、男子(賀茂別雷命)を産んだ。

よって、賀茂系の玉依日売命を区別して鴨玉依姫命などと呼称する場合もある。
こちらが、賀茂御祖神社(下鴨神社)のご祭神である。



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河合神社

20170415

鎮座地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
別名:鴨川合坐小社宅神社(かものかわいにいますおこべそじんじゃ)
参拝日:2017年3月22日

青春18キップの旅の初日、比叡山坂本の日吉大社に参拝してから京都に出て、大田神社、山城国一之宮・賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)に参拝し、その後、出雲路・幸神社に参拝した後、鴨川デルタから北上して当社に参拝しました。

糺の森に入ってすぐに、河合神社はあります。
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社号標
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賀茂御祖神社(下鴨神社)の摂社では一番大きく、第一摂社であるとされています。
境内の糺の森の中にある「瀬見の小川」の西側にあります。
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創建年は定かではないが、神武天皇の頃と考えられている。
ご祭神は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神・賀茂別雷命の母玉依媛命(たまよりひめのみこと)。
現在の社殿は、下鴨神社の1679年(延宝7年)の式年遷宮の際に、古殿舎を修造したもの。
美人の神として女性からの人気が高く、手鏡の形をした「鏡絵馬」に化粧を施したものが奉納されている。
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鳥居を入るとき、美人祈願を終えた若い人たちとすれ違った。
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手水鉢
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神門
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神門を入ると、まず舞殿があり。
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拝殿
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本殿の回廊に、美しい獅子・狛犬が居た。
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拝殿前から本殿を拝する。
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ご祭神は玉依比売命(たまよりひめのみこと)
神武天皇の御母神にあたります。
古くから女性の美の神様として信仰されており、安産・育児・縁結び・学業・長寿の神様ともいわれています。

依り代である鏡の下に白いものが見えていますが、これは「御白石」だそうです。
美肌になれるパワーストーンとして有名で、この石を触った手で顔をなでると、すべすべの色白肌になれるのだとか。
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河合神社の絵馬は、日本古来の柄鏡の形をしている珍しい「鏡絵馬」。
顔の描かれた表面を、自分の顔と見立てて、自分のメイク道具で願いを込めて化粧し、裏面には、願い事を書くのだそうです。
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奉納された絵馬
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本殿の左に、境内社貴布禰神社、更に左に境内社任部社(専女社)が並びます。

〇貴布禰神社(きふねじんじゃ)
御祭神: 高龗神 (たかおかみのかみ)
応保元年(1161)収録の「神殿屋舎等之事」に、河合神社の御垣内にまつられていたことが収載されている神社で水の神として有名。
鞍馬にある貴船神社がこの貴布禰神社の総本宮にあたる。
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ここにも、きれいな獅子・狛犬が居ました。
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〇任部社(とうべのやしろ)又は専女社(とうめのやしろ)
御祭神:八咫烏命(やたがらすのみこと)
河合神社創祀のときよりまつられている社である。
古名「専女」とは、稲女とも書き食物を司る神々がまつられていたことを示している。
のちに「百練抄」安元元年(1157)十月二十六日の条にある「小烏社」と合祀された。昭和六年(1931)、御祭神の八咫烏命が日本の国土を開拓された神の象徴として日本サッカー協会のシンボルマークとなって以来、サッカー必勝の守護神として有名である。
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サッカーボールなどの奉納品
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〇六社(むつのやしろ)
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〇鴨長明が晩年に暮らした方丈の再現
当社は、鴨長明とのゆかりが深い神社。
鴨長明はもともと、下鴨神社の神事を司る禰宜の家系に生まれたものの、家系の争いに敗れて神職に就けず、失意の日々を過ごした後に随筆「方丈記」を完成させていく事になります。この河合神社は禰宜の欠員が出た際に、鴨長明がその候補となっていた、本人にとっては忘れ難い神社なのだそうです。
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河合神社の参拝を終え、糺の森を北上します。
時期が良ければ、青々とした木立の下を気持ちよく歩けるのですが、残念。
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「瀬見の小川」
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更に、糺の森を北上。
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根元をきれいな形で養生していた。
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「あけ橋」まで来たら、もう下鴨神社の鳥居が見えます。
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次回は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の記事をアップします。



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出雲路幸神社・鴨川デルタ・出雲郷ゆかりの地

20170413

3月22日、青春18キップの旅の初日、日吉大社、大田神社、山城国一之宮・賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)に参拝し、バスで地下鉄「北山駅」に出て、地下鉄「今出川」駅に移動しました。
これから訪ねるのは、鴨川西岸に広がる出雲路町です。この地域は古代・中世の愛宕郡出雲郷に由来します。

このことを知ったのは、岡本雅享氏の「出雲を源郷とする人たち」によってでした。
埼玉県に出雲系の神社が多く、自然と出雲族の痕跡に関心が強くなったので、今回の「18キップの旅」のサブテーマを「出雲族の痕跡」としています。

賀茂川と高野川が合流し鴨川となるY字地帯(京都市左京区下鴨)に鎮座する賀茂御祖神社(下鴨神社) の境内に、山城(背)国愛宕郡の式内社、出雲井於(いのへの)神社の比定社(通称比良木社)がある。この出雲社に近い西鳥居を出て賀茂川へ向かうと、出雲路橋を渡り、同川西岸に広がる出雲路(松ノ下・立テ本・俵・神楽)町に至る。そのまま鞍馬口通を西へ向かい、出雲路橋郵便局方面へ曲がって南へ進むと、出雲寺跡といわれる御霊神社に辿り着く。その200mほど南西には現出雲寺がある。この賀茂川西岸に分布する出雲の地名や社寺は、古代・中世の愛宕郡出雲郷に由来する。

八世紀、神賀詞奏上のため60年間で15回という頻度で大和入りしていた出雲国造たちは、途上にある山背の出雲郷に立ち寄り、藤原・平城京で官人として働く出雲臣たちから畿内政権の動向など聞いていたのだろう。出雲国造は延暦17(798)年まで大領として政治権力を維持していた。山背の出雲郷は、その出雲国造の意向で作られた、出雲人の一大拠点だったのではないかと推定されている。

その出雲郷の跡に、「出雲路」という地名が残っている。
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上賀茂神社のあと、下鴨神社に参拝するのは当然ですが、この日はまだ時間に余裕があるので、このようにルートを決めました。
逆時計回りに回ることにして、今出川駅⇒出雲路・幸神社⇒鴨川デルタ⇒河合神社⇒糺の森⇒賀茂御祖神社(下鴨神社)⇒出雲路橋⇒出雲路郵便局前⇒御霊神社⇒出雲寺⇒出雲路神楽町。

鴨川デルタを入れたのは、テレビで良く見ているので、ぜひ渡ってみたいという、いかにも子供っぽい気持ちから(笑)

地下鉄今出川駅を降りて、今出川通りを鴨川に向かって歩く。
左側が同志社大学、右側が御所。
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同志社大学
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京都御所今出川御門
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京都御所が切れたところでちょっと北に出雲路・幸神社がある。
下図で赤字のところ。
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京都御所の角を左折していくと、突き当たりにある。
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出雲路・幸神社(さいのかみのやしろ)】
鎮座地:京都府京都市上京区幸神町303
参拝日:2017年3月22日

社号標
「皇城鬼門除 出雲路幸神社」とある。
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当社の祭祀は遠く神代に始まり、天武天皇の白鳳元年(661年)に再興。桓武天皇の延暦13年(794年)、平安京の鬼門除守護神として改めて社殿を造営。2年後のこととも。平安遷都後初めての神社とも言われる。

『延喜式』に、外国使臣の来朝に際し、洛中洛外の境である当所において、使臣などの入京に先立ち、祓の麻を賜い、神事を修すとある。現今、諸方の神社で御礼(大麻)、御守(小麻)を授与することの原形とされる。

『百練抄』と当社所蔵の旧記によれば、朱雀天皇の天慶2年(939年)に御分霊を内裏に奉遷、庚申祭を執行した。また、同旧記によれば、一条天皇の長保元年(999年)、天慶同様の儀を執行した。

『本朝世記』では、近衛天皇の久安4年(1148年)3月4日の皇宮炎上によって類焼とみえ、『明月記』に、後堀河天皇の嘉緑2年(1226年)、近隣民家の出火で類焼とある。

社号に幸の字をあてた時代は判明しないが、天和2年(1682年)、神主奥村右京の記した縁起や、権律師長学院光栄の筆になる縁起に現社号がすでに見られる。

応仁の乱において、細川勝元が当地に陣し、西の山名宗全と合戦、その兵火によって焼失。社地は荒廃したが、祭祀は受け継がれ、当社旧記に種々の記録が見える。

慶長年間(1596年-1615年)、豊臣秀吉による京都整備において、封域を大幅に縮小させられて、小祠となった。

しかし天和2年(1682年)、会津藩出身の奥村右京仲之が神主として復興、次いで宝永2年(1705年)、僧光栄が立願して再建、西隣を社地に編入する。翌3年には神輿を奉造する。

同5年、類焼して灰燼に帰したが、翌6年に再建、さらに東隣を社地に加え、往時の姿を整える。寛保3年(1743年)には桜町天皇が神輿を寄進。天明8年、京都の大火でまた類焼し、その後再建。

明治6年(1873年)に村社に列格、明治25年(1892年)に公費供進社に指定される。

入り口の鳥居
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由緒書き
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中に入る。
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手水舎
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享保2年(1717)の石灯篭
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拝殿
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社額
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本殿
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本殿の東側に祀られている木彫りの猿の神像
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御祭神は、猿田彦神

相殿神が、天之御中主日御神、可美葦牙彦舅尊、天照皇太神、皇孫瓊々杵尊、天鈿女命、大国主尊、少彦名太神、事代主命。

境内北東、結界の中に石神がある。
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神石の脇にも境内社が一つあり、猿田彦社だと思われる。
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石神
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出雲路の道祖神社では、本殿の右裏手の 結界の中に鎮座する陽石が実質的な愛法神の御神体である。狂言の「石神」には、夫と離縁したい妻がこの石神で占いをする場 面がある。これは、相談をもちかけられた 仲人が「出雲路の夜叉神を引いてあなたの心を決めなさい」と勧めたためだ。夜叉神は石神(しゃくじんn)が訛ったという説もあるが、東寺の夜叉神の例を思いあわせれば納得される名だ。願いをかけながら石神を持ち上げて みて、上がればよし、上がらぬときは不成就というのが「夜叉神を引く」占いの方法 である。これには裏があって、離縁したくない夫は先回りして夜叉神に化け、何とか妻を思いとどまらせようとするのだ。いざ占おうとするとき妻が歌う、「わが恋は遂ぎよずやらう、末遂ぎよずやらう、上がれ 上がれ、上が上がらしめの石神」という謡から推測すると、恋の行方を占うために石神を待ち上げてみる、というのが本来のあり方のようである。 結局夫の企みは失敗し、妻が「やるまいぞ」と追いかけて終わりになるが、不思議なのはこの妻が、「私は神子の子孫だから 神に御苦労をかけたお詫びに神楽を舞って帰りましょう」という狂言のせりふである。 神子とは巫女と同義だから、道祖神の前で法楽の舞を舞う妻の姿に、愛法神を祀る伊賀専女のような巫女の古代的イメージを重ねあわせてみるのもいいかもしれない。
-『京都魔界めぐり』-

境内社は、三天社、稲荷社、竃神社、天満宮、淡島社、春日社、厳島神社、稲荷神社、金毘羅社、疫神社。
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これで、出雲路・幸神社の参拝を終え、再び今出川通りを鴨川に向かって歩くと「賀茂大橋」に出る。
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鴨川デルタ
「鴨川デルタ」と呼ばれる京都・出町柳の鴨川三角州。
京都の川の代名詞と言えば「鴨川」ですが、市内中心部を流れる情緒豊かな川は実は「鴨川デルタ」が出発点です。東から流れてくる高野川と西から流れてくる賀茂川が合流して、鴨川となります。
この合流点に「飛び石」が置かれ、休日ともなると学生や親子連れで賑わう市民の憩いの場。近年では映画やアニメのロケ地として観光客にも有名となりました。

賀茂大橋のすぐ近くにある「飛び石」
飛び石を渡って興じる若者たちを、老夫婦がのんびり眺めていました。
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私も渡っていきます。

亀や千鳥の形の飛び石もあり、亀の頭に乗って楽しんでいる。
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賀茂川の上流方向
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楽しそうです。
私は独り(苦笑)
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悠然と上流を見つめる亀。
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ちょっと流れの速いところは、ちょっとスリルもあり。
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デルタに渡った。
しばらく若者が興じている様子を眺めた。
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高野川のほうにも飛び石があるが、私はデルタを北上するので、こっちは渡らず。
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白鷺ものんびりと。
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北上します。
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河原にあったマップを見ると、飛び石は三か所あるんですね。
私が渡ったのはデルタの先端を介している、一番上流のものだった。
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河原から上に上がると、「出町橋」のところです。
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ここから、「鴨川公園」に入る。
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少しいくと、「糺(ただす」の森になります。
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糺の森(ただすのもり、糺ノ森とも表記)は、京都市左京区の賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある社叢林である。
賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林で、およそ12万4千平方メートル(東京ドームの約3倍)の面積がある。森林の全域が1983年(昭和58年)に国の史跡として指定を受け、保存されている。また、1994年(平成6年)には下鴨神社全域が世界遺産に登録されている。

糺の森を進むと、「河合神社」、賀茂御祖神社(下鴨神社)があり、それに参拝しました。
これは別途記事とします。

賀茂御祖神社(下鴨神社)の参拝を終え、出雲路地区を散策します。
コースは、出雲路橋⇒出雲路郵便局⇒御霊神社⇒出雲寺。
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出雲路地区
出雲路橋を渡ると、賀茂川西岸に広がる出雲路(松ノ下・立テ本・俵・神楽)町がある。そのまま鞍馬口通を西へ向かい、出雲路橋郵便局方面へ曲がって南へ進むと、出雲寺跡といわれる御霊神社に辿り着く。その200mほど南西には現出雲寺がある。この賀茂川西岸に分布する出雲の地名や社寺は、古代・中世の愛宕郡出雲郷に由来する。

八世紀、神賀詞奏上のため60年間で15回という頻度で大和入りしていた出雲国造たちは、途上にある山背(山城)の出雲郷に立ち寄り、藤原・平城京で官人として働く出雲臣たちから畿内政権の動向など聞いていたのだろう。出雲国造は延暦17(798)年まで大領として政治権力を維持していた。山背の出雲郷は、その出雲国造の意向で作られた、出雲人の一大拠点だったのではないかと推定されている。

出雲路橋
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出雲路橋上からの賀茂川の眺め。
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出雲路橋を渡ってすぐのところに、賀茂御祖神社(下鴨神社)の社号標がある。
ここまで、かっては下鴨神社の社域だった。
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鞍馬口通り
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出雲路橋郵便局がある道に左折してすぐに、出雲路橋郵便局があり。
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出雲寺跡といわれる御霊神社に着きました。
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御霊神社については、別記事とします。

御霊神社参拝のあと、現在の出雲寺を探しましたが、ちょっと苦労しました。

出雲寺
所在地:京都府京都市上京区藪之下町

一時荒廃し、江戸中期には観音堂が残るのみだった。『山州名跡志』に、御霊社の観音堂は 「神殿北に在り。本尊聖観音(立像五尺四寸)……此の地始め伽藍あって上出雲寺と号す。其の一堂の本尊なり」 とある。
その観音堂は明治維新の神仏分離に伴い、光明山念仏寺に遷された。
戦後、出雲寺に改称した念仏寺が、今の出雲寺だ。

入り口の門
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境内は狭い。
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本堂
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境内
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本尊を拝したかったが、もう17時を過ぎており、人の気配もなかった。

近年、出雲寺をめぐる考古学上の発見が続いているそうだ。2004年、京都市埋蔵文化財研究所が相国寺境内で行った調査では、古代出雲郷の集落跡とみられる、七世紀後半の竪穴住居20棟と八世紀前半の掘立柱建物二棟が見つかった。江戸前期の『薙州府志』は 「出雲寺町は相国寺慈照院の北に在り……是れ古の上出雲寺の有る所也」と伝える。慈照院は相国寺境内の北西角にあり、上御霊神社にも近い。竪穴住居跡では、鞴(ふいご)の羽口など鉄製品を作る道具や鉄くず、白鳳時代の瓦も発見された。
発掘を担当した東洋一氏は、大型の掘立柱建物は出雲郷計帳に載る出雲臣の屋敷で、それに先立つ竪穴住居には製鉄技術を備えた出雲人が住み、出雲寺の建設に関わっていたとみる。
2015年夏にも、御霊神社西隣の上京遺跡で七世紀後半の建物跡が見つかった。発掘にあたった古代文化調査会の家崎孝治代表は、出雲郷計帳の有力出雲臣の早期屋敷跡とみる。


これで、出雲路地域の探訪を終え、「出雲路神楽町」のバス停でバスに乗ろうとしたが、ここからは京都駅には出ない路線だった。
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さっき鴨川デルタから北上したときに、鴨川公園入口のバス停「新葵橋」にけっこう続けてバスが来ていたのを思い出し、賀茂川の反対側に向かった。
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バス停「新葵橋」からバスで、京都駅に出た。
今夜の宿泊は、JR奈良駅近くのホテルを予約してあるので、JR奈良線で奈良に向かった。


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伊豆国一之宮・三嶋大社の桜

20170410

所在地:静岡県三島市大宮町2丁目1−5
撮影日:2017年4月9日

4月9日(日)に、「全国一之宮めぐり」ということで参拝しました。
まだ「青春18キップ」が残っていて、使用期間が4月10日まででした。
福島県三春の滝桜が昨年は11日が満開だったので、それに使う予定でしたが、今年は全然開花していないので、あきらめました。
それではということで、自宅の最寄駅から普通列車を乗り継いで3時間程度で行ける、静岡県三島にある「伊豆国一之宮・三嶋大社」に参拝することにしました。

それで、行ってみたら桜の名所だということで人出がすごくてビックリしました。

「三嶋大社」については後日記事にするとして、見事な桜について紹介しておきます。

三嶋駅からのんびり歩いて10分足らずで三嶋大社に到着。
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あいにく、このころからポツリポツリと雨が降り出しました。

鳥居をくぐると、若山牧水の歌碑があります。
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驚いたことに、池の真ん中に築いた参道が桜並木です。
参道の右側から。
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同じく参道の左側から。
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参道は桜のトンネル。
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参道から池を介して、池の縁の見事な桜を眺められます。
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桜のトンネルの下を、傘の行列が行きます。
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桜の種類が多いので、その取り合わせの景色が素晴らしい。
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参道の狛犬も、桜が咲いて嬉しそう。
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総門の近くに、傾いて延びている頑張り屋の桜が(笑)
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立派な総門です。
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総門の中も桜並木が続きます。
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古木がありました。
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きれいに花を咲かせている。
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神鹿園にも桜の木があります。
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鹿も花見
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小さい子も嬉しそう。
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境内では、結婚式も行われていた。
満開の桜の下での結婚式。新郎新婦には素晴らしい思い出となったことでしょう。
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また、古木があり。
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若芽が開花していました。こんなの、いいですね。
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「全国一之宮めぐり」で参拝したら、思いがけず目の保養となりました。
やはり桜は素晴らしい。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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