妙義神社

20170523

鎮座地:群馬県富岡市妙義町妙義6
参拝日:2017年5月10日

歴史クラブの春季定例見学会で、世界遺産・富岡製糸場、城下町小幡を見学した後、当社に参拝しました。

銅鳥居
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それまで何とか天気が持っていたのだが、ここにきてとうとう雨が降り出した。
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少し上った所に社号標があり。
旧県社
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妙義神社は奇岩と怪石で名高い妙義山の主峰白雲山の東山麓にあり、老杉の生いしげる景勝の地を占めている。
創建は「宣化天皇の二年(今から千四百余年前)に鎮祭せり」と社記にあり、元は波己曽の大神と称し後に妙義と改められた。
そもそも妙義と云う所以は、後醍醐天皇に仕へ奉りし権大納言長親卿、此の地に住み給いて明明魏魏たる山の奇勝をめで、明魏と名づけしものを後世妙義と改めたと思われる。
古くより朝野の崇敬殊に篤く、開運、商売繁盛の神、火防の神、学業児童の神、縁結びの神、農耕桑蚕の神として広く世に知られ、関東、甲信越地区より参拝するものが多い。

江戸時代は歴代将軍を始め、加賀の前田公外諸大名の崇敬篤く、中古よりは上野東叡山の宮、御代々御兼帯御親祭の神社となりその御宿坊を宮様御殿叉は単に御殿とも称した。
この御殿よりの、東面の景色は素晴しく、前庭の植え込みは何れも低く地をはうようにつくられ、関東平野を一望に集め借景庭園として見事なものである。

本殿拝殿を初めとする境内の諸建造物は、今から三百余年前から二百年前の間の建造物にして、江戸時代建築の趣をもった壮麗なもので、老杉の巨木鬱蒼たる神域に、輪奐の美を連ね、高さ十メートルの旧御殿下の石垣をはじめとする各所の石垣はその技工の巧なること比い無く、諸建造物、青銅の大鳥居と共に、文化財に指定されている。
-『平成祭データ』-

境内図
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総門前の石段を上がる。
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〇総門<安永2年(1773) 重要文化財>
旧石塔寺の仁王門であった。
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ここの彫刻も華麗。
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〇石垣
総門の右手にある石垣が見事。
江戸半ばに妙義山の安山岩で築造。県重要文化財。
上に見えるのが「旧宮様御殿」
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また一段上がる。
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右手には、「旧宮様御殿」に通じる石段があるが、今日は寄りませんでした。
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左手には境内社。

稲荷社
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和歌三神社<玉津島神社(稚日女尊・息長足姫尊・衣通姫尊)、人丸神社(柿本人麿)、住吉神社(底筒男命・ 中筒男命・表筒男命・神功皇后)>
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更に、妙義神社の大杉の跡がある。
昭和四十六年に倒壊した元国指定天然記念物。
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ここから、また石段を上がる。
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〇銅鳥居<寛文8年(1668) 県重要文化財>
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鳥居の根元の装飾が面白い。
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【波己曾社(はこそしゃ)】
明暦2年(1853) 県重要文化財
建立当初から約100年は、現在の御本社エリアに鎮座していた。
昭和44年に現在地に移築し大修理、建立当初の姿に復元された。
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3月の初めに下見に来たときには、修復中で見られなかったが、今回綺麗な姿で見ることができた。
こちらも、綺麗なものだ。

拝殿
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拝殿内部
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拝殿横の装飾
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本殿
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本殿背後の外観
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波己曽社横の厳島神社。
(3月7日下見のときの写真)
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石の太鼓橋
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3月7日下見のときの写真
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御本殿に至る165段の石段。
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エッチラ、オッチラ登っていくと、巨木の根のせいで石段がめくり上がっている。
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随身門
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豊石窓神(とよいわまどのかみ)
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こちには虎の皮を敷いている。
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櫛石窓神(くしいわまどのかみ)
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こちらは豹の皮を敷いている。
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内側には、青鬼と赤鬼が頑張っている。
それぞれ、腰に虎の皮と豹の皮を巻いている。
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随身門をくぐって、ちょっと横にずれて唐門に通じる石段を上がるが、ここで後ろを振り返ると、大パノラマが広がっている。
この日はあいにくの雨なので、眺めは良くなかったが、3月7日の下見のときの写真を載せておく。
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唐門に通じる石段を上がる。
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【唐門】
宝暦6年(1756) 重要文化財。
妻を唐破風にした銅葺き平入りの門で、周囲は彫刻で埋められ、その素晴らしさは著名である。
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細部の彫刻が素晴らしい。
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袖の彫刻が、クリアパネルで覆われているので、撮るのが難しい。
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天井には見事な龍の絵があり。
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内側の彫刻も素晴らしい。
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【御本社(本殿・幣殿・拝殿)】
宝暦2年 重要文化財
権現造りで、龍や鶴、竹林七賢人など多くの素晴らしい彫刻が各所にみられる。
本殿は、拝殿と共に黒漆塗り銅葺き入母屋造りであり、拝殿は正面に千鳥破風をおき、その前に唐破風の向背屋根を張り出している。
※吉宗の贅沢禁止令によって、金箔を使用した華美な権現造りは以後造られなくなった。妙義神社はその直前に完成していたため、妙義神社が最後の作例となっている。

拝殿
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御本社拝殿北側には神餞所(宝暦六年・重文附)が附属する。
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向背屋根の唐破風。
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向拝屋根正面の彫刻
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向背柱木鼻部分の彫刻
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向背柱にも繊細な彫刻が施されている。
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社号額
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拝殿内部にも、華美な装飾が溢れている。
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幣殿正面
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拝殿天井には花鳥風月が描かれた格天井。
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外回りの、華美な彫刻を見ていく。
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金箔を貼った、華麗な海老虹梁。
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彩色された手挟みの彫刻
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右脇障子の彫刻「竹林七賢人」
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左脇障子の彫刻「竹林七賢人」
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拝殿外欄間の彫刻は、彫刻に使用された板が厚いもので、彫刻に深みがあり、見事。
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本殿
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幣殿から本殿にわたる外部の装飾が素晴らしい。
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本殿後方の天狗社。
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本殿の横に石があるが、礎石だろうか?
どうも、磐座ではないかと思われる。
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本殿屋根の横の装飾も素晴らしい。
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神餞所玄関の装飾
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御祭神は、日本武尊(倭建命)
配祀神は、菅原道眞公 権大納言長親卿、豊受大神(あるいは 丹生都姫命)

古くは波己曾明神と称し、『三代実録』の貞観元年(859)三月二十六日に、「授上野國正六位上波己曾神從五位下」とあり『上野国神階帳』に「従二位 波己曾大明神」とある古社。

妙義山の中の白雲山周辺の地は「七波己曾」と呼ばれ、山麓に波己曾神社が分布して、丹生都姫命を祀っていたらしい。本来、当社も波己曾神を主祭神としていたが、いつの頃か、別に妙義大権現が成立して、本社となり、波己曾神は境内社に遷された状態になったようだ。

ということは、当社の元の主祭神、地主神は丹生都姫命であり、『平成祭データ』などには祭神の中に名が記されているのだが、境内の由緒では、豊受大神となっている。

また、妙義山の中の金洞山には、倭建命を祀る中之嶽神社が鎮座。さらに、妙義山の中の金鶏山には、菅原道眞を祀る菅原神社が鎮座しており、当社は、これら妙義山の三山(白雲山・金洞山・金鶏山)の神々を合わせ祀った状態になっている。


北門から「女坂」を下りながら、境内社に参拝。
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北門を出た左手に、磐座があり、中に祠が祀られている。
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ここから、境内社が点在している。
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水神社
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愛宕社
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そこから少し下ったところに磐座があり、石祠が祀られているが、祭神は不明。
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そこから女坂を下って、正面石段(男坂)と合流して、参拝は終了。
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世界遺産・富岡製糸場、城下町小幡、そして妙義神社と回って来た、歴史クラブの定例見学会も無事に終了し、満足して帰途につきました。


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世界遺産・富岡製糸場、城下町小幡

20170520

5月10日(水)に、歴史クラブの定例見学会が行われました。

コースは、富岡製糸場、城下町小幡、妙義神社。

朝7:00に狭山市駅前を貸し切りバスで出発。9時ころに富岡製糸場に着きました。

 富岡製糸場は1872年(明治5年)に明治政府が殖産興業政策のもと、製糸業の近代化を図るため、フランス人のポール・ブリュナの指導のもとに設立した官営模範工場です。建設費は当時の金額で24万5,000円で、この建物実現には伊藤博文、大隈重信、渋沢栄一、尾高惇忠などがその中心的な役割を果たしました。
 工場の敷地面積は約5万7,000㎡、延床面積2万4,000㎡で、当時の製糸工場としては世界最大規模を誇っていました。
 歴史的な価値が高い瓦ぶき、木骨レンガ造りの特色ある建物群が140年以上経った現在もほぼ建設当初のまま保存されています。

 富岡製糸場は官営模範工場として日本各地に器械製糸技術を伝えるとともに、器械製糸場の設立を進める役割を果たしました。また、富岡製糸場で生産された生糸は当初はフランスへ、やがてアメリカへと輸出され、明治末期には日本は生糸の生産量・輸出量ともに世界一となり、世界的な綿の大衆化に貢献しました。

 器械製糸の普及と技術者育成という目的が果たされた1894年(明治27年)に民間に払い下げられた後、主要な建造物群はそのまま活用する一方、建物や構造物の増改築をしながら115年間生産活動を続け、1987年(昭和62年)にその長い歴史の幕を閉じました。
 その後2005年(平成17年)に国史跡指定、2006年(同18年)に設立当初期9件の建造物が国重要文化財に指定され、2014年(同26年)には世界遺産に登録されて今日に至っています。

※参考までに世界遺産に登録される以前の平成20年度~25年度の入場者数は各年度20万人~30万人(25年度は31万4,000人)でしたが、6月に登録された26年度は133万7,000人と一挙に4倍強に増え、その後は若干減りつつあるが27年度114万5,000人、28年度80万人となっています。

駐車場から、製紙場前の通りを歩くと、休憩コーナーなどが花で飾られ、とても良い雰囲気でした。
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製紙場に到着。
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製紙場レイアウト。
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記念碑
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ガイドを頼んでおり、イヤホンが全員に配られたので、人数が多くても大丈夫。

東置繭所から案内開始。
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東置繭所正面
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アーチの真ん中に、誇らしげに「明治5年」と。
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検査人館
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女工館
一般の女工でなく、指導に来たフランス人教師の住居。
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操糸所
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内部は、ズラッと機械が並んでいる。
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トラス構造
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機械は、動いていないので、どういう仕組みになっているかわからない。
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釜に湯を供給するコンベア。
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官営時代の写真
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操糸作業の再現
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官営富岡製糸場の伝習工女で、『富岡日記』を著した和田 英
英は17歳で故郷を離れ富岡に着任するが、工女募集責任者である父・横田数馬の影響をうけ、国益と家名のために自ら進んで工女となっている。
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ブリュナ館
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診療所
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榛名寮
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寄宿舎
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東置繭所のガイダンス展示場で、糸とりの実演をしていた。
4つくらいの繭から合わせて糸を取っていく。どれかの繭が終わると新しい繭からの糸をつなぐ。
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回転蔟(まぶし)
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「人工飼料育」
私が子供の頃には、家で蚕を飼っていたので、桑の葉にたくさん蚕が居るのが普通であり、これには驚いた(笑)
これは、本物の蚕です。
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見学を終わって入り口付近に居たら、生徒が見学している列が通過。
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今年の秋に、ここの製糸所が舞台の映画が公開されるそうです。
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午後の城下町小幡見学の際に、離れていて行けないので、先に「織田家七代の墓所」に立ち寄った。
織田信長の次男信雄が、大和松山とここの領主となり、以後七代までここを治めた。
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織田信雄の五輪塔
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ずいぶんと傷んでしまっている墓もある。
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道の駅「甘楽」のレストランで昼食。
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昼食後、二班に分かれてガイドさん(有料)の案内で、城下町小幡を散策。

 甘楽町の遺跡・遺構は旧石巻時代から確認され、平安時代の『延書式』には上野国の御牧の一つである「新屋の牧」が開設されたとあり、当町の新屋地区内であると想定されている。
 鎌倉時代にはいると、小幡氏の活躍がみられる。小幡氏は、武蔵七党系図によると児玉党の一派で、この党の中に小幡平太郎の名が見られ、13世紀初頭には小幡の地に居住し、勢力を確立していたと推考されている。
 小幡氏は西上州において大きな役割や影響を及ぼした。居城の国峰城(楽山園の南西約2Km先にある城山)は中世における大城郭で、他には見られない特異な構成であり、山城部・丘城部・平城部が、東西2km、南北2.5kmの広範囲に展開しており、高低差は244mをはかる。のち、武田信玄の幕下に加わり、武田軍団の先陣として武勇をはせ「朱備え」着用を許され、上州の朱武者として恐れられたといわれ、武田24将の一人にも数えられた。

武田氏滅亡後は織田信長配下の滝川-益に従い、本能寺の変以後は小田原北条氏の勢力下に入ったが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城攻めに際して、国峰城も前田利家隊などの秀吉軍により落城した。

 元和元年(1615)7月、京都の二条城で「禁中並公家諸法度」布達の際に、織田信長の二男信雄(官位正二位、内大臣)に大和国宇陀郡3万石・上州小幡2万石が与えられ、翌元和2年(1616)に信雄の子信良が福島の御殿に入り、織田氏による小幡支配が開始された。
 楽山園の造営年代・造営主については不明な点が多いが、『楽山園由来記』では元和7年(1616)に織田信雄が造営したと伝えられている。この由来記が正しいとすれば、最初に信雄こよって作庭が行われ、お茶屋が営まれた後、藩邸として再構成された可能性がある。庭園の構成から考えると、藩邸ができる前から、庭とともに別荘的な建物が存在したと考えられる。織田氏は8代152年にわたり小幡藩を統治した。
 織田家移封の後、明和4年く1767)9月に若年寄を勤めていた松平忠恒。4代続き明治となる。

案内図
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まずは、楽山園をめざします。
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楽山園の案内図
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中門
非常に重厚な門で、高さ7m、柱間4.5m、奥行き2.9mです。
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屋根は、切妻トチ葺きで、約11,000枚のスギ材で葺かれています。
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入ると土塁がそびえる。
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拾九間長屋
藩邸の使用人たちが暮らしていた。
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室内
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その前に、信長と秀吉が餅つきをしている。
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「天下一の力(もち)」
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土塁の内側が藩邸
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北門から入る。
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藩邸の建物は、まったく残っていない。
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玄関のあった場所から。
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庭門から庭に入る。
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昆明池の向こうに腰掛茶屋と梅の茶屋
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ちょうど花菖蒲が綺麗だった。
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歴史クラブのもう片方の班が、梅の茶屋でくつろいでいた。
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鯉は、新潟地震のときに疎開してきたものだそう。
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羽衣石
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腰掛茶屋で一休み。
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梅の茶屋
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梅の茶屋からの、素晴らしい眺め。
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樹齢400年の梅の木。
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羽衣石から腰掛茶屋。
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これで、楽山園の見学を終え、「御殿前通り」から武家屋敷に向かう。
右は中学校。
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「食い違い郭」
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広い道の「中小路」をゆく。
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「松平家大奥」
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「中小路」片側の、石垣と竹藪。
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反対側には、石垣の上に花が綺麗だ。
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武家屋敷「高橋家」
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「高橋家」の庭には色々と見事なものあり。

樫の樹
勘定奉行という役職は、藩の財政を豊かにし、他の藩に金を貸すくらいになって欲しいと植えられた。
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心字の池
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富士山を象った石
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小幡の町は、どこを歩いていても、花が見事でした。
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オダマキの花
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これで、城下町小幡の散策を終えたが、ガイドさんに案内してもらったおかげで、地元の人でないと語れない話がずいぶんと聞くことが出来て、楽しかった。

次いで、バスで妙義神社に向かいました。


続いて「妙義神社」の記事を見る



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大國魂神社境内・東照宮の狛犬

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所在地:東京都府中市宮町 大國魂神社境内・東照宮前
参拝日:2014年6月17日

年代:寛保2年(1742)
材質:石造
型式:江戸尾立ち型

大國魂神社については、既に記事にしています。

その記事を読む


大國魂神社には6組の狛犬が居るが、その中で年号がはっきりしているのが三組あり、一番古いのがこの狛犬である。

大國魂神社境内の東照宮門前に置かれている。
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右側の阿形獅子
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左側の吽形獅子
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特徴:
・右側が阿形、たてがみが巻き毛であり獅子。
・左側は吽形、たてがみが同様に巻き毛であり獅子。
・耳は横に開き、聞き耳を立てている。
・顔はユニーク。目は鋭く、口は口元が耳まで裂けてバカでかく、威嚇的。
・首が長いので、体型的にユニークな造形になっている。
・胸が張り、たくましく勢いがある。
・前足は、真っ直ぐで、少し前に出し気味。
・後足は蹲踞だが開き気味で勢いが感じられる。
・尾は、天狗の羽団扇型でまっすぐ立ち、根元に巻き毛がある。

江戸狛犬は、当初「はじめ型」で比較的和犬に近く、地面近くに置かれた。尾は身体に付いていた。
それが高い台座の上に置かれ、尾はまだはじめ型のように身体に付いているのが「江戸付き尾型」。
そして、尾が立ち威勢が良くなり「江戸尾立ち型」、次いで尾が流麗に流れるようになり「江戸流れ尾型」と続く。

ただし、この狛犬は悩んだ末、一応「江戸尾立ち型」に入れるが、首が長くて身体をそらした、ユニークな体型で、江戸狛犬らしくはない。

年号は寛保2年(1742)。
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尾は、天狗の羽団扇型でまっすぐ立ち、根元に巻き毛がある。
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豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)/日本の神々

20170516

『日本書紀』では「豊鍬入姫命」「豊耜入姫命」、『古事記』では「豊鉏入日売命」「豊鉏比売命」と表記される。
第10代崇神天皇の皇女で、天照大神の宮外奉斎の伝承で知られる巫女的な女性である。

『日本書紀』『古事記』によれば、第10代崇神天皇と、紀国造の荒河戸畔(あらかわとべ、荒河刀弁)の娘の遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまくわしひめ、遠津年魚目目微比売)との間に生まれた皇女である。同母兄に豊城入彦命(豊木入日子命)がいる。
豊木入日子命は上毛野の君、下毛野の君等の祖となった。 豊鉏入日売命は、伊勢皇太神宮の祭主となった。

なお『日本書紀』では、「一云」として、母を大海宿禰の娘の八坂振天某辺(やさかふるあまいろべ)とする異伝を載せる。

『日本書紀』崇神天皇6年条によれば、百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際、天皇はその原因が天照大神(のちの伊勢神宮祭神)・倭大国魂神(のちの大和神社祭神)の2神を居所に祀ったことにあると考えた。そこで天照大神は豊鍬入姫命につけて倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀らせ、よって磯城(しき)の神籬(ひもろぎ)を立てたという。一方、倭大国魂神は渟名城入姫命につけて大市の長岡岬に祀らせた。

皇女豊鍬入姫命はさらに大宮地を求めて丹波、大和、紀伊、吉備などの各地を巡り、 ついで第十一代・垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が代わって大御神さまにお仕えし、 大御神の永遠にお鎮まりになるべき大宮地を求めて、各地を苦心してご巡幸されたのち、 「この地は、朝日夕日の来向ふ国、浪音の聞えざる国、風音の聞えざる国、弓矢・鞆の音 聞えざる国、大御神の鎮まります国ぞ」 と申されて、垂仁天皇二十六年九月、伊勢の五十鈴川上の現在の地にお鎮まりなった。
その後、代々皇女が神宮の司祭に選任されている。

豊鍬入姫命と倭姫命とは、ともに伊勢神宮の斎宮の起源に求められる(ただし、制度上の最初の斎宮は天武皇女の大来皇女)。また上記伝承から、伊勢神宮の神格成立の要素として、豊鍬入姫命が出自とする紀国造の氏神の日前神や、三輪山(一説に笠縫邑祭祀と関連)での日神信仰の存在が指摘される。

そのほか名前の「豊(とよ)」から、豊鍬入姫命を邪馬台国における卑弥呼宗女の台与(壹與/臺與)に比定する説がある。

豊鋤入姫命には、奈良県桜井市の大神神社摂社・桧原神社の境内 豊鍬入姫宮にて参拝しました。


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桧原神社(倭笠縫邑)

20170514

鎮座地:奈良県桜井市三輪字桧原
参拝日:2017年3月23日

青春18キップの二日目、大神神社、狭井神社参拝のあと、出雲屋敷跡など山の辺の道を歩いて、ここに到着。

山の辺の道を大神神社の方から来ると、この入り口になる。
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境内に入ってから、正面の入り口に回った。
大神神社と同じく、注連柱が立つ。
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社号標
式内社 大和國城上郡 卷向坐若御魂神社 大 月次相嘗新嘗、大神神社摂社
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この神社には、二つの系統の神統があることがわかる。
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私がここまで足を延ばしたのは、ここでは大神神社と同じ三つ鳥居を介して三輪山を拝することができるとあったからである。
ここが「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」の地であることは、頭になかったので、大事な場所に来れたことに感謝した。

まずは、三つ鳥居を拝して、三輪山に参拝。
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大神神社摂社として、社殿は無いが、
御祭神は、天照大神若御魂神、伊弉諾尊、伊弉册尊

〇豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)
ご祭神:豊鍬入姫命
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 桧原神社は、万葉集などに「三輪の檜原」と数多くの歌が詠まれた台地の上にある。大和国中が一望できる絶好の場所に位置し、眼下に箸墓の森が見え、二上山の姿も美しい。 かってこの付近は大和の笠縫邑と呼ばれた。そのため境内には「皇大神宮倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)」と書いた大きな石碑が立っている。

 檜原台地に建つ桧原神社は、大神神社付近の摂社群の中では、最も北に位置している上に社格も最も高く創建も古い。天照大神が伊勢神宮に鎮座する前に、宮中からこの地に遷され、この地で祭祀されていた時代がある。伊勢神宮へ遷されると、その神蹟を尊崇して、檜原神社として引き続き天照大神を祀ってきた。そのため、この神社は広く「元伊勢」の名で親しまれている。

第十代・崇神天皇は、木(紀)国造である荒河刀弁の娘・遠津年魚目目徴比売を妻として 豊木入日子命と豊鉏入日売命の男女二人をもうけられた。 豊木入日子命は上毛野の君、下毛野の君等の祖となった。 豊鉏入日売命は、伊勢皇太神宮の祭主となった。

『日本書紀』崇神天皇6年条によれば、百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際、天皇はその原因が天照大神(のちの伊勢神宮祭神)・倭大国魂神(のちの大和神社祭神)の2神を居所に祀ったことにあると考えた。そこで天照大神は豊鍬入姫命につけて倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀らせ、よって磯堅城の神籬を立てたという。一方、倭大国魂神は渟名城入姫命につけて祀らせた。

皇女豊鍬入姫命はさらに大宮地を求めて丹波、大和、紀伊、吉備などの各地を巡り、 ついで第十一代・垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が代わって大御神さまにお仕えし、 大御神の永遠にお鎮まりになるべき大宮地を求めて、各地を苦心してご巡幸されたのち、 「この地は、朝日夕日の来向ふ国、浪音の聞えざる国、風音の聞えざる国、弓矢・鞆の音 聞えざる国、大御神の鎮まります国ぞ」 と申されて、垂仁天皇二十六年九月、伊勢の五十鈴川上の現在の地にお鎮まりなった。
その後、代々皇女が神宮の司祭に選任されている。

『古事記』では、豊鉏比売命(豊鍬入姫命)は伊勢の大神の宮を祀ったと簡潔に記されている。

砂利の境内は清潔というか清廉な雰囲気。
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瑞垣のすぐ前には、北白川房子氏の歌碑があります。
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檜原神社からは、古来から大和の国人々から聖なる山として崇められた「二上山(にじょうざん)」の姿が美しく見られます。檜原神社からはほぼ真西の方角にあたり、春分・秋分の日の頃には、二上山の雄岳と雌岳の間に夕陽が沈むため、神聖視されてきました。
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参道に立つと、注連柱の間から二上山が、うっすらと見えた。
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前川佐美雄氏(日本芸術院会員)の歌碑
春がすみ いよいよ濃くなる真昼間の なにも見えねば 大和と思え
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池田黙々子氏歌碑
「観月や 山の辺道を 桧原まで」
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これで、桧原神社の参拝を終え、できるだけ大神神社の摂末社に参拝するため、来た山の辺の道を大神神社の方に引き返しました。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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