季節の花/菩提樹の花

20180604

撮影場所:埼玉県狭山市 羽黒堂
撮影日:2018年6月4日

前日に、この辺の史跡めぐりのガイドをしていて通りかかったら花が咲いていたので、撮りにいきました。

地元では「羽黒堂の菩提樹」ということで有名です。
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菩提樹は、下記の三種類あるそうです。
①インド原産のクワ科イチジク属の常緑高木インドボダイジュ。ブッダが悟りを開いたのは、この樹の下。
②①に近縁な、インド原産のクワ科イチジク属の常緑高木ベンガルボダイジュ。
③中国原産のシナノキ科シナノキ属の落葉高木ボダイジュ。

今回の菩提樹は③である。
中国原産の落葉高木。高さは10mほど。花期は6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。日本へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられる。日本では各地の仏教寺院によく植えられている。
中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言われる。
またフランツ・シューベルトの歌曲集『冬の旅』第5曲「菩提樹("Der Lindenbaum")」に歌われる菩提樹は本種ではなく近縁のセイヨウシナノキである。

お堂の前に、高くそびえている。
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近くで車を降りたときから、なんとも言われぬ芳香が漂っていて、よい心地がしている。

葉が旺盛に茂っているので、ちょっと目では目立たないが、ビッシリ花が咲いている。
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下のほうは、花が散ってしまっていて、いい状態の花が写せないので、お堂の裏に子供の樹があり、そこで花を撮影した。
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ビッシリと花が咲いている。
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特徴なのは、葉の真ん中から花がぶら下がっていること。
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花は蠟梅に似た感じ。
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これは、2012年7月に撮ったもので、葉の真ん中から実がぶら下がっている状態。
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葉が落葉して、葉が風に乗って実を遠くまで飛ばす。

これはネットで探して、いただいた写真。
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渋谷から広尾の歴史探索(後半)

20180602

5月11日に、歴史クラブ行事で参加しました。
コースは、金王八幡宮(渋谷城跡)⇒渋谷氷川神社⇒温故学会⇒國學院大學・学食⇒国学院大学博物館⇒白根記念渋谷区郷土博物館⇒旧薩摩藩下屋敷跡⇒福田会広尾フレンズ

前半の記事で、國學院大學の学食まで記しました。
お腹が一杯で満足し、休憩したあとで、国学院大学博物館を見学しました。

【国学院大学博物館】
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國學院大學博物館は、大学が所有する学術資料や研究成果を発信する公開拠点として、また教育等に資する社会に開かれた施設として展開しています。
館内は、考古「移籍に見るモノと心」、神道「神社祭礼に見るモノと心」、校史「國學院の学術資産に見るモノとこ心」の3つのゾーンとテーマごとに展開される企画展示ゾーンの4つで構成されています。
國學院大學博物館は、年間数万人の来館者を迎え入れています。先人たちの膨大な知識と知恵を記憶する「本物」の資料と研究によって新たに創造された「知」を国内外への発信することは、國學院大學の使命なのです。

入り口から入ると、素晴らしい世界が広がっています。
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ここの博物館の特色は「神道」に関する展示が豊富です。
しかし、残念ながらそこは撮影禁止なので、記事にすることはできません。
時間の関係で、「校史」のゾーンも割愛させていただきました。
以上二つのゾーンは、過去に二回ここを訪れているので、きちんと拝見していますが、とても見ごたえのある素晴らしいものです。

今回紹介するのは、「考古」のゾーンです。

土偶
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火焔型土器
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石棒
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石刀と独鈷石
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石板
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奈良県大神神社「山ノ神遺跡磐座」の再現
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山ノ神遺跡から出土した「子持ち勾玉」
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山ノ神遺跡から出土したものが他にもたくさん展示されていたが割愛。

全国から採れた黒曜石
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長野県
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長野県、栃木県、山形県、岩手県
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東京都4(神津島)
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北海道
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貝層標本
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土偶
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玉砥石
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磨かれた玉類
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勾玉
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埴輪も大きなものが並んでいて壮観。
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群馬県太田市から出土した女子埴輪
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群馬県前橋市から出土した「靭型埴輪」
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縄文時代の耳飾り
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北海道の旧石器
場所柄、黒曜石ばかりだ。
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遮光器土偶
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見事にピンボケ(汗)
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土偶の内部を覗かせてくれている。
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【白根記念渋谷区郷土博物館】
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白根記念渋谷区郷土博物館・文学館は、1975年(昭和50年)、渋谷区議会議員の故白根全忠より寄贈された宅地、邸宅をもとに、渋谷区に関する資料の保管・展示の場として「渋谷区立白根記念郷土文化館」が開館した。2005年(平成17年)、この建物を全面改築し新たに文学館を併設した。
常設展示では、渋谷の先史から現代までの歴史展示、特別展示、文学館展示などがあり、戦前の住宅が再現され、江戸時代の道具や縄文土器に触れることができる。特別展は、年2~3回開催するほか、情報コーナーで収蔵資料を検索したり、渋谷の地理・歴史・民俗などを総合的に学ぶことができる。

昔の渋谷駅前の再現
ハチ公が白くとんでしまった。
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「昭和20年代の澁谷」展をしていた。
常設展も含めて、撮影禁止のため、紹介できず。
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ここを出て、すぐのところに「常磐松の碑」があり。
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【旧薩摩藩下屋敷跡】
常盤松御用邸と呼ばれる常陸宮邸は、元は薩摩藩島津家の屋敷でした。薩摩から江戸に上った篤姫は、いったん三田の薩摩藩上屋敷に入りますが三田の屋敷が安政の大地震で被災。さらに海に近い上屋敷は黒船からの砲撃を受けるかもしれないと、嫁ぐ前の篤姫は渋谷の下屋敷に移ったそうです。安政3年(1856年)に篤姫はこの屋敷から将軍家に嫁いでいます。篤姫輿入れの支度係を務めたのは西郷隆盛でした。嘉永5年(1852年)に薩摩藩屋敷が江戸の外れ、吸江寺近くに造られ、その後拡張されて1万8000坪の広大な敷地となったそうです。かつて「常盤松」という大きな松があり、これが島津家ゆかりとの口伝があったことから、ビルの片隅に島津斉彬の家来が建てた常盤松の碑が今も残されています。

常陸宮邸ということで、静かにその前を通りました。
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旧日赤病院の跡地に作られた「広尾ガーデンパレス」という超高級マンションの前にある「堀田坂」を下ります。
下りきって振り返ったところ。
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【福田(ふくでん)会広尾フレンズ】
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1876年(明治9年)仏教各宗の高僧の発議により福田会を創立。寺院を中心に児童養護施設里親委託等を開始し、現在は老人ホームも運営しています。
1920年(大正9年)シベリアで孤児となったポーランドのこどもたち365名をこの会で受け入れました。この話はポーランドの教科書に載り、ポーランド人で知らないものはいません。
ところが日本では全く忘れられておりました。
10年ほど前にポーランドの大使がこの前を散歩した折、表札をみてここが自分のよく知る福田会であることを発見しました。
それ以来、ポーランド国と福田会はつながりを持っております。
来年は福田会がポーランド孤児を受け入れて100年目、再来年はポーランドに孤児が帰国して100年目となります。ポーランドでは国を挙げてこれを祝う計画があるそうです。
ここはポーランド人にとってリトアニアで杉原千畝がビザを発給した日本領事館のようなところです。

中に入れていただき、説明をしていただきました。
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庭に、ポーランド国から送られた芸術作品「あらゆる生命を生み育てる宇宙」が置かれていました。
開いたところから覗き込むと、中に幾つかの星が浮かんで見えます。
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これで、全ての予定を終了。
聖心女子大学の前を通って、地下鉄「広尾」駅から帰途につきました。


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建内宿禰命(たけうちのすくね) /日本の神々の話

20180601

『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」、他文献では「建内足尼」とも表記される。
「宿禰」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」の意とされる。

景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖であるとされる。

『日本書紀』景行天皇紀では、屋主忍男武雄心命と、菟道彦(紀直遠祖)の女の影媛との間に生まれたとする。孝元天皇紀では、孝元天皇(第8代)皇子の彦太忍信命を武内宿禰の祖父とすることから、武内宿禰は孝元天皇三世孫にあたる。なお、応神天皇紀では弟(母は不明)として甘美内宿禰の名が見える。

『古事記』では、孝元天皇皇子の比古布都押之信命(彦太忍信命)と、宇豆比古(木国造)の妹の山下影日売との間に生まれたのが建内宿禰(武内宿禰)であるとし、孝元天皇皇孫にあてる。同書においては、異母兄弟(長幼不詳)として味師内宿禰(甘美内宿禰)の名が見える。

子は男七人、女二人。
波多八代宿爾は、波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖先である。
許勢小柄宿禰は、許勢臣・雀部臣・軽部臣の祖先である。
蘇賀石河宿禰は、蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣らの祖先である。
平群都久宿禰は、平群臣・佐和良臣・馬御樴連らの祖先である。
木角宿禰は、木臣・都奴臣・坂本臣の祖先である。
久米能摩伊刀比売、次に怒能伊呂比売である。
葛城の長江の曾都毘古は、玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣らの祖先である。
また若子宿爾は、江野間臣の祖先である。(以下省略)≫

謎の人物である。
記紀に書かれた事蹟を全部認めたら、300歳ほどの年齢になってしまう。
これについては、二倍年数記録説とか、父と子が同じ名前だったとか、色々な説がある。

ここでは、古事記に記載されていることのみを述べる。
第13代成務天皇の御世、大臣となり、大小の国々の国造を定め、国々の堺を定め、大小の県の県主を定めた。
第14代仲哀天皇が、筑紫国(現 福岡県)の訶志比宮(かしいのみや)にて、熊襲国を征伐しようと、神功皇后が神懸りとなり、仲哀天皇が琴を弾いていた時、神のお告げを聞こうと庭に控えていた。
神功皇后から発せられた神の言葉に対して、反抗的な態度をとった仲哀天皇を諫めるものの、仲哀天皇は急死する。
改めて、神功皇后が神懸りの神事を執り行った時、神と対話する。
三韓征伐後、九州に戻り、後の応神天皇を出産した神功皇后ともども都に戻ろうとするが、香坂王と忍熊王による反乱に遭う。
それを制して、(幼子であった)応神天皇とともに、近江、若狭を経て、越前の敦賀に禊にやってくる。そこで夢に伊奢沙和気大神之命が現れ、応神天皇との名前の交換に応じる。
都に戻ると、神功皇后が勝利の宴を用意しており、お酒を振舞われ、神功皇后の常世の国の少名毘古那神のお酒を召し上がれ~という歌に対して、応神天皇の代理で歌を返す。
第15代応神天皇が見つけてきた日向の美女髮長比売を、大雀命が一目惚れしたため、大雀命から頼まれて、父子間の美女の授受の仲介役を担う。
応神天皇の頃、半島との交流が活発となり、渡来してきた新羅の人々を率いて、堤の池に渡って、百済池を造成。
大雀命が即位して、第16代仁徳天皇の御世、天皇が姫島で雁が卵を産むのを見つけたので、召されて歌によって質疑を受けた。歌によって応答し、さらにもう一首、寿ぎの歌を歌った。


武内宿禰は気比神宮(福井県敦賀市、越前国一宮)、宇倍神社(鳥取県鳥取市、因幡国一宮)、高良大社(福岡県久留米市、筑後国一宮)を始めとする各地の神社で祀られている。
特に高良大社では、祭神の「高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)」が中世以降に八幡神第一の伴神とされたことから、応神天皇(八幡神と同一視される)に仕えた武内宿禰がこれに比定されている。その結果、石清水八幡宮を始めとする全国の八幡宮・八幡社において、境内社のうちに「高良社」として武内宿禰が祀られる例が広く見られる。

私が参拝しているのは、
気比神宮(福井県敦賀市、越前国一宮)
薭田神社(東京都大田区蒲田)
御田八幡神社(東京都港区三田)
八幡神社境内高良社(長野県佐久市 中山道八幡宿)
白髭神社(埼玉県狭山市笹井)

浮世絵に見る武内宿禰
武内宿禰と神功皇后(歌川国貞画)
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武内宿禰と応神天皇(歌川国芳画)
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渋谷から広尾の歴史探索(前半)

20180531

5月11日に、歴史クラブ行事で参加しました。
コースは、金王八幡宮(渋谷城跡)⇒渋谷氷川神社⇒温故学会⇒國學院大學・学食⇒国学院大学博物館⇒白根記念渋谷区郷土博物館⇒旧薩摩藩下屋敷跡⇒福田会広尾フレンズ

【金王八幡宮(渋谷城跡)】
鎮座地:東京都渋谷区渋谷3-5-12
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社伝によれば1092年(寛治6年)現在の渋谷の地に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)によって創建されたとされる。江戸時代には徳川将軍家の信仰を得、特に3代将軍徳川家光の乳母春日局は神門、社殿を造営したとされる。なお、江戸時代末期まではこの神社に隣接する澁谷山親王院 東福寺(天台宗)が別当寺であった。当初は渋谷八幡と称していた。社名にある「金王」は、重家の嫡男常光がこの神社に祈願して金剛夜叉明王の化身として生まれたことにより金王丸と称したことによるとされる。

このお宮さんについては、境内に名桜「金王桜」があり、その桜を訪ねたときに記事にしています。

その記事を見る


前記のブログに載せてなかった部分を載せておきます。

〇渋谷城の石
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桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(現在は武甲山)に納め八幡宮と崇め奉りました。
武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役の源義家の軍に300騎余を従え1番で参向し、仙北金沢の柵を攻略しました。その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請しました。
重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城としました。渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されています。渋谷氏が武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していたので、当八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂 道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。
当八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称しておりましたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになりました。
境内にある渋谷城跡は、平安時代末期から渋谷氏の住居があったところ。城には渋谷川を水源に水堀をめぐらされていました。大永4年(1524年)の北条氏綱による関東攻略の際に、この城は後北条氏の別働隊によって焼失し、渋谷氏は滅びました。、境内には城の石とされる石が1点保存されています。神社の前に有る道路は堀を兼ねた小川であったとも言われています。

境内には「金王丸御影堂」があり、金王丸が17歳で出陣の折、自分の姿を彫刻し母に形見として残した木像が納められています。

〇金王丸御影堂
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その前には、宝暦9年(1759)奉納の「宝珠・角型」狛犬が居たが、なかなか顔が良い。
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ここは、本や映画「天地明察」の舞台であり、算額が登場する。
それで2011年3月11日に、算額が見たくて行ったときには、ずいぶん多くの算額が絵馬掛けのところに下がっていた。

その記事を見る


今回も期待していたのだが、ほとんど見当たらなかった。
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これが唯一、算額ではないが算術に関したものだった。
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金王八幡を出て、一の鳥居のある交差点に行く。
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この参道に交差しているのが旧鎌倉街道中つ道である。

代々木鳩森八幡方面
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中目黒方面
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【渋谷氷川神社】
鎮座地:東京都渋谷区東二目5番6号
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古くは氷川大明神といって旧下渋谷村、豊沢村の総鎮守であった。創始は非常に古く、今これを詳かにすべきものがないが、1605年(慶長10年)に別当宝泉寺第百代の住職宝円の記した「氷川大明神宝泉寺縁起」によると、景行天皇の皇子日本武尊東征のとき、当地に素盞嗚尊を勧請し、その後嵯峨天皇の弘仁年中慈覚大師(円仁)が宝泉寺を開基し、それより同寺が別当となったとあり、1713年(正徳3年)宝泉寺から幕府に出した書上には「起立の年数知れ不申候」と見えている。1782年(天明2年)正月5日阿部備中守へ差出した書類に別当宝泉寺の庫裡から出火2間3間の土蔵が炎上したことが記され、宝物史料などは、この時焼失したと伝えられている。
渋谷地区の最古の神社で、源頼朝が勧請したとか、金王丸が信仰したというのは後世に附いた伝説と見え、1732年(享保17年)に出来た「江戸砂子」にあるのが始めである。往時は松杉の類が欝蒼と茂り真に昼猶暗く渋谷川が門前を流れていかにも神さびた宮であったらしいことは「江戸名所図会」の絵にもうかがわれる。

〇相撲場
「渋谷の相撲」「金王の相撲」などといわれ、近郷近在は勿論、江戸表からも見物人が多く集まり、ある年凶年のため休んだところ、集まった面々によって遂に大相撲になった事もあるという位で、将軍家でさえ「渋谷の相撲なら見に行こう」といわれたと伝えている。昔からなかなか有名なもので、今でも神事の一つになっている。
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そこから少し石段を上がると、脇の参道があり、そこに明治29年(1896)奉納の狛犬があり、両方の子獅子が良い感じだった。
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それから更に石段を上がりきって、左に折れると社殿となる。
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続いて、境内社だが八幡神社(品陀和気命)、秋葉神社(火産霊神)、稲荷神社(宇迦御魂命)については、時間の関係で撮影できなかった。
厳島神社(市杵島姫命)の前に、江戸時代の狛犬が二組あり、これは撮影できた。

厳島神社
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その前に二組の狛犬が居た。

手前側は、明治8年(1875)奉納の「江戸流れ尾型」狛犬。
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奥側に居るのは、寛政6年(1794)奉納の「江戸尾立ち型」狛犬。
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これで氷川神社の参拝を終え、近くの「温故学会」に。

【温故学会】
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〇『登録有形文化財』の温故学会会館
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温故学会会館は、『群書類従』版木(国・重要文化財、17,244枚)を管理・保存する目的で、斎藤茂三郎初代理事長が渋沢栄一、三井八郎右温故学会会館衛門ら各界の著名人に呼びかけ、全国からの協賛を得て、大正15年8月に着工され、昭和2年3月に完成した。
  会館の設計・施工には清水組(現・清水建設)が担当し、堅固・耐震耐火構造を基本方針として建設された。
  会館は、鉄筋コンクリート二階建で、正面からは鳳凰が両翼を広げたような形をしており、玄関向かって右側は、1階・2階ともが版木倉庫、左側は、1階が事務室などで2階が講堂となっている。講堂は27畳と床の間を配置し、和洋折衷の珍しい構造となっている。
  関東大震災の経験を生かし建設された会館は、すでに80年を経ているが、空襲にも耐えずっしりとした風格は今日でも変わらない。
平成12年4月文化庁より『登録有形文化財』の指定を受けた。

前庭に、全盲の国学者・塙保己一の銅像がありました。
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講堂(二階)で、現在の理事長さんから説明を受けました。
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温故学会会館は、江戸時代後期の全盲の国学者・塙保己一が41年間をかけて、全国各地に散在していた貴重な書物を集め、校訂を加え、種類ごとに分けて編纂した文献集である『群書類従』の版木を管理・保存する目的で、斉藤茂三郎第2代温故学会理事長が渋沢栄一、三井八郎右衛門ら各界の著名人に呼びかけ、全国からの協賛を得て建てられた。
本会は、塙保己一の偉業顕彰の目的から、明治42年に子爵渋沢栄一、宮中顧問官井上通泰、文学博士芳賀矢一、保己一曾孫塙忠雄の四氏により設立され、以来百年の歴史を刻んでいる。
 保己一の精神である温故知新(論語・ふるきをたずねてあたらしきをしる)の趣旨に基づき活動するとともに、重要文化財指定の『群書類従』版木の保管、盲人福祉事業、各種啓発事業に努力している。

ヘレン・ケラーも、ここを訪ねている。
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渋沢栄一氏筆の「温故而知新」額
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『群書類従』の説明
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現在、私は鎌倉公方足利氏、関東管領上杉氏、同時代の東国武士の経歴を知りたくて、『鎌倉大草紙』を研究しているが、『鎌倉大草紙』も『群書類従』本として生きながらえているようである。
『群書類従』は、本当に貴重なのです。

国立国会図書館蔵『群書類従』本/『鎌倉大草紙』
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『群書類従』版木を見せていただく。
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火災の場合、水をかけると版木が傷んでしまうので、炭酸ガス消火の設備になっている。
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版木
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現在も、希望に応じて印刷しているそうだ。
高いが(汗)
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これで、午前の部は終了。
國學院大學の学食で昼食。
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ワンコインのローストビーフ丼、美味しかった(嬉)
今の学生さんは贅沢ですな。


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5月の花/シモツケ、チャーミーの実、昼咲き月見草、ベロニカロイヤルキャンドル、アルストメリア(ユリズイセン)

20180529

撮影場所:狭山市緑化植物園
撮影日:2018年5月29日

智光山公園にウォーキングに行き、緑化植物園で咲いている花を撮ったあと、ウォーキングをしました。

【下野 シモツケ】
・薔薇(ばら)科。
・学名: Spiraea japonica 
Spiraea : シモツケ属  japonica : 日本の 
Spiraea(スピラエ)は、ギリシャ語の 「speira(螺旋(らせん)、輪)」が語源。
・開花時期は、 6/ 1 ~ 8/10頃。
・ピンクまたは白色の花が密生する。
・下野国(栃木県)で最初に発見されたことから、「下野」と名づけられた。
※「シモツケ」と「シモツケソウ」は異なります。

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【チャーミーの実】
1月に花が咲いているのをアップしたが、今日横を通ったら実をたくさん付けていたので撮影した。
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【ブルーサルビア】
シソ科アキギリ属の多年草で、学名は Salvia farinacea。
アメリカの南西部、テキサス州からニューメキシコ州、それにメキシコに分布しています。わが国には昭和時代の初めに渡来しました。高さは60センチほどになります。葉は卵形から線形で対生し、縁にはわずかに鋸歯があります。5月から10月ごろ、茎頂や葉腋から輪散花序をだし、青色から紫色の花を咲かせます。
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【昼咲き月見草】
学名:Oenothera speciosa)は、アカバナ科マツヨイグサ属の多年生植物。
観賞用として栽培されている。
草丈は30-60cmくらい。葉は披針形で互生する。5-7月頃に、4-5cmくらいの大きさの、白または薄いピンク色の花を付ける。花弁の数は4枚で、8本の雄蕊と、先端が十字型をした雌蕊がある。
北米原産の帰化植物であり、観賞用として輸入・栽培されていたものが野生化している。名称の由来は、宵に咲くツキミソウと違って、昼間にも開花していることによる。
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【ベロニカロイヤルキャンドル】
科名:ゴマノハグサ科
属名:ベロニカ属
耐寒性宿根草:耐寒温度 約 −25℃
原産地:ヨーロッパ中部、北アジア
花期:5月〜9月
草丈:30〜40cm
鮮やかな青紫の花穂と締まった草姿が魅力です。
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【アルストメリア/ユリズイセン】
学名:Alstroemeria
和名:ユリズイセン  その他の名前:ユメユリソウ、インカノユリ
科名 / 属名:ユリズイセン科 / ユリズイセン属(アルストロメリア属)
南米に100種類ほどが自生し、多くのものはチリタイプとブラジルタイプに大別され、種によって高地から低地、乾燥地から湿地と、生育環境はさまざまです。ほとんどは年に1回、春から夏に咲く一季咲きですが、オーレア種のように場所や環境によって長期間咲き続けるものもあります。
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これで、花を撮るのをやめ、ウォーキング。

お気に入りの道は、今日も爽やかだった。
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花菖蒲園は、花が咲きだしていた。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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