三猿庚申塔/狭山市・堀兼神社

20170911

所在地:埼玉県狭山市大字堀兼 堀兼神社

狭山市の庚申塔を古い順に挙げてきましたが、板碑、仏像に次いで、三猿庚申塔にきました。いわゆる庚申塔らしいものの最も古いものです。

堀兼神社
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その境内に石仏が並んでおり、向かって一番左にあるのが今回の庚申塔。
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塔身:駒形
主尊:三猿
日月:筋彫
造立年代:寛文9年(1669)

塔身は駒形で、真ん中に主尊の三猿が彫られている。
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銘文詳細
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日月は、もっと時代が下がると浮き彫りになり瑞雲も付くが、ここでは未だ筋彫である。
三猿は、風化が激しく顔など分からなくなっているが、「見ざる聞かざる言わざる」の様子は判る。
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一番右に、施主の僧侶と思われる「仏心坊」とあり、中世の土豪層と思われる小沢平左衛門尉ほか10人の名前が刻まれている。
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名前に付いている「尉」であるが、これは奈良時代律令制における官位名である。
その頃、この地域で何らかの役目をしていた家系であろうが、中世までこういう名乗りをしていた。
寛文9年といえば、既に江戸幕府開府から66年経った年代だが、地方ではまだこういう状態だったことが判る。

しかし、同じく堀兼神社境内に一緒に並んでいる、延宝5年(1677)の庚申塔では、「尉」の付かない名前になっており、江戸幕府が中世の土豪的色彩の強い農民を改めさせ、幕藩体制を確立させたことを物語っている。


(了)


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高忍日賣大神(たかおしひめのおおかみ)/日本の神々の話

20170909

愛媛県伊予郡にある「高忍日賣神社」の祭神であり、箒神の一つである。

高忍日賣神社:
創祀年代は不詳である。伊予国伊予郡(現在の伊予郡とは多少異なる)にあって、南は山地や丘陵地帯、北は平野で水に恵まれ、早くから開けていたようで、大小の古墳群や大規模な祭祀遺跡、集落跡なども発掘されている。
当社は、古代より皇室の崇敬が篤く、出産の際には勅使が差遣されたと伝わる。『伊予国風土記逸文』には聖徳太子道後行啓の折に伊予郡を巡ったとあり、当社に参詣して「神号扁額」を奉納した。 奈良時代には、当社が開発領主となって付近一帯を開墾して神社の前を三千坊、後ろを千坊と称して境内八町余に及び、広大な神域を形成していた。また、神職の中には国府の役人を兼ねる者がおり、中央とも盛んに交流がなされ、伊予郡の文化的拠点ともなった。
平安時代には、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』巻九・十(延喜式神名帳)に記されており、また、『伊予国神名帳』にも載せられており、重視されていたことがわかる。

高忍日賣神社(たかおしひめじんじゃ、高忍日売神社)は、全国で唯一、高忍日賣大神を奉斎する神社であり、産婆・乳母の祖神として、特に全国の助産師や教育関係者等の崇敬を集めている。

高忍日賣神社に伝承している神話:
初代神武天皇の父君「日子波限建鵜葺草葺不合命」が生まれる際の伝承である。 日子穂穂手見命と豊玉毘売命とが仲睦まじく船で海を渡る際に、妻神が急に産気づき近くの海岸で産屋を建てて、出産することになった。 そこで、鵜茅(ウガヤ)で産屋を葺いてその中で出産するが、海から多くの蟹がはい上がり産屋まで入り大変な難産になった。
豊玉毘売命が「高忍日賣大神」と一心に唱えると高忍日賣大神が顕現し、天忍日女命と天忍人命と天忍男命を遣わされ、天忍人命と天忍男命には箒を作って蟹を掃き飛し、天忍日女命には産屋に入って産婆の役目をした。 これにより始めは難産だったが安産し、産屋が葺きあがらないうちに無事男児を産むことができた。日子穂穂手見命は、男児を日子波限建鵜葺草葺不合命と命名した。
この神話から、当社の祭神は産婆・乳母の祖神、また、箒の神として多くの人々から崇敬されている。



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穴師坐兵主(あなしにますひょうず)神社の狛犬

20170908

所在地:奈良県桜井市穴師1065 穴師坐兵主神社拝殿前
撮影日:2017年3月23日

青春18キップの旅で、奈良県を旅行していた時に、JR巻向駅から山の辺の道を歩いて、この神社まで来ました。
とても変わったところのある神社だったので。

穴師坐兵主(あなしにますひょうず)神社については、既に記事にしています。

その記事をみる


山の辺の道を歩いていくと、社号標と鳥居があり、山の辺の道が参道になります。
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実は巻向の駅の近くに一の鳥居があり、そこからずっと山の辺の道はこの神社の参道とも言えるのですが。

しばらく行くと、道が分かれて右が山の辺の道、左に入ると社殿の前に出ます。
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ここからの参道に、とても可愛い「浪花型」の狛犬が居て、更に拝殿前に居るのが今回の狛犬です。
拝殿前のが江戸狛犬だったので驚きました。
つまり、ここには江戸狛犬と浪花型の両方の狛犬が揃っていました。
今回は拝殿前のものです。
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年代:明和8年(1771)
材質:石造
型式:江戸尾立ち型

右側が阿形の獅子
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左側も吽形の獅子
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特徴:
・ここは湿度が高いらしくて、苔の付着がひどい。
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。
・耳は垂れ、口は大きく、阿形は舌をのぞかせ、顎髭は長くカールしている。
・いかつい顔だが、全てに丸みを帯びていて怖さは無い。
・前足は、前方に出して真っ直ぐ。脇に翼のような巻き毛の表現
・後足は蹲踞。巻き毛が長く伸びている。
・尾は、立っていて、炎型で巻き毛あり。

尾のかたち
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ちなみに参道にあった、大正?年奉納の「浪花型」狛犬を紹介しておこう。
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狛犬の記事一覧を見る



水陸両用バス「スカイダック」

20170907

9月1日に乗ってきました。

10月に歴史クラブで催行する企画があり、その下見です。
スカイツリーの下から出ているということで、押上(スカイツリー前)駅に10時に到着。
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まずはスカイダック営業所(発着場)に行きます。
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コースは、スカイツリーから、亀戸天神の前などを走って、東大島の旧中川・川の駅から旧中川に入り、水行を楽しんで、またスカイツリーに戻ってくるもの。
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そこで、予約の方法とか確かめて、その日の運行を確かめると、二回目の運行が12:25出発。
そのチケットを購入してから、「そらまち」で昼食、土産物店などを物色して時間をつぶした。

時間少し前に、発着場に行くとスカイダック号が待っていた。
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乗客が集まって来た。
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高い位置の座席まで、タラップで乗り込む。
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幸い座席は一番前だった。
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スカイツリーの前から出発。
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東武の特急「スペーシア」が停まっていた。
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運転席は、船の操縦関係の計器などが並び、面白い。
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運河を通過。
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亀戸天神前の、老舗「船橋屋」の前を通過。
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亀戸天神前
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そして、いよいよ東大島の旧中川・川の駅から、旧中川に乗り入れました。
ここから、荒川ロックゲートの手前、「平成橋」までの間を往復して楽しみました。
その様子は動画で撮ったので、動画を見てください。

その動画を見る


40分ほど楽しんだ後、再び川の駅に上がり、休憩です。
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なお、旧中川は、江戸時代には歌川広重の名所江戸百景「逆井の渡し」などで、情緒豊かな川であったことが知られています。

歌川広重の名所江戸百景「逆井の渡し」
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すぐ隣に、「中川船番所資料館」があったので、入り口まで行ってきた。
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ここから、再び陸路をスカイツリーまで戻りましたが、ガイドさんの案内で楽しく過ごしました。

亀戸は、昔は大根で有名だったそうで、今でも「亀戸大根」を使った料理を出してくれるお店があるそうで、その一つ、「すずしろ庵」。
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キャラクター「おしなりくん」は、ちゃんと家があるそうで、その前を通りましたが、折あしく留守みたいで、おばちゃんがパネルを一生懸命振ってくれた(笑)
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そして、無事にスカイツリー前まで到着。
楽しかったです。

(了)


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銅造聖観世音菩薩立像(庚申供養)/狭山市・円光寺

20170905

所在地:埼玉県狭山市柏原1027 円光寺

庚申塔としては、江戸時代に三猿や青面金剛を主尊とする庚申塔が確立されるが、それまでは仏像から採られているものが多く、狭山市で一番古いのが、先にアップした天文3年(1534)の板碑庚申塔です。
それに続くのが、今回の元亀3年(1572)に建立された銅造聖観世音菩薩立像です。

塔身:銅造聖観世音菩薩立像
主尊:聖観世音菩薩
造立年代:元亀3年(1572)

元亀3年といえば、徳川家康が武田信玄に惨敗した「三方ヶ原の戦い」のあった年です。

像高は46.5Cm
背中に「敬白大工神田 武州高麗郡柏原村 元亀三年 円光寺庚申供養」と刻まれており、庚申信仰の本尊であることがわかります。

銅造聖観世音菩薩立像
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背面の銘文
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銘文詳細
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また、この銘文から柏原の鋳物師「神田氏」が鋳造したものであることがわかります。

柏原という地は、応永年間(1394~1428)に奈良県の大和郡山から槍鍛冶の「増田大水正金」が移住してきて、槍鍛冶をしており、後北条氏(小田原北条氏)の領地だった時代は、年貢を槍と刀で納めていたことがわかっています。
当時は、入間川から採れる砂鉄を利用して、製鉄などで栄えていたようです。


ちなみに、お隣の川越市立博物館の企画展「民間信仰のかたち」での図録の巻頭をこの銅造聖観世音菩薩立像が飾っています。
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(了)


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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