入間川沿いウォーキング

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台風が昨夜日本海のほうに抜けて、朝起きたら雨が上がっていたので、朝食後入間川沿いに歩いた。

高校の辺で、入間川が分流して、一部が手前に流れてきている。
いつもは水量が少ないのだが、さすがに今日は多い。
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いばらく、こちらの岸沿いに流れて、また本流に戻る。
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合流地点に、たくさんの白鷺などが居たので、休憩を兼ねて撮った。

これは「カワウ」
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左側の岸に白いのと灰色のサギが。
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その向こうの方にも、色々な鳥が居る。
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右側の岸には、けっこう沢山の白鷺が居る。
子供も混じっているようだ。
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ウォーキングから戻る途中、サイクリングロードの、高校のフェンス沿いにたくさん花が咲いていて撮った。
調べたら、「悪茄子(ワルナスビ)」だった。
雑草で、嫌われ者らしい(笑)
だが、綺麗だったので、載せておきます(笑)
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(了)


王子稲荷神社の狛犬

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所在地:東京都北区岸町 王子稲荷神社正面参道
撮影日:2013年7月3日

この狛犬は、王子稲荷神社の正面参道の石段を上がったところにある。
ところが、この正面参道は現在保育園の敷地内にあるので、平日は入ることが出来ない。

王子稲荷神社については、既に記事にしてあります。

その記事を見る


事前に調べてそのことがわかったので、出来れば境内社全部に参拝したいと日曜に出掛けました。

王子稲荷の下の角まで来ると、こういう案内があります。
ウィークディは、正門から入れないので、こっちの坂を上がって脇から入ってください、ということです。
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この日は日曜なので、正門が開いていて、正門から入れます。
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入ると、正門からの参道が幼稚園の敷地内だということがよくわかります。
鳥居の石段を上がりきると、拝殿前です。
平日は石段最上部の門が閉じていて、拝殿側からこの石段を降りられないようになっています。
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年代:宝暦11年(1761)造立、文化9年(1812)再建
材質:石造
型式:宝珠・角型

正面参道の石段を上がったところに居ます。
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王子稲荷神社拝殿
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右側が、阿形獅子で頭に宝珠を載せている。
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狛犬のすぐ外側に柵があり撮れないので、社殿側から側面は撮った。
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斜め後ろから。
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阿形の、正面からの顔
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左側が、吽形獅子で頭に角があり。
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同様に社殿側から。
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吽形の、正面からの顔
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。
・たてがみ、顎髭が長く流れて、江戸狛犬の特徴が良く出ている。
・顔は、耳が横に広がり、眉にも巻き毛があるほど極端に長くかぶさり、眼がわからないほど。
・歯や牙も丁寧に彫られ、顎髭にも巻き毛があるほどかなり大きく目立つ。
・いかめしい顔が笑っているような表現で、親しみを感じる。
・前足は、太く真っ直ぐ。爪が大きく迫力がある。脇に巻き毛の表現
・後足は蹲踞。筋肉の表現がありたくましく、爪が大きくて迫力がある。
・尾は、中央の巻き毛が上に立っていき、脇にもかなり流れている。「尾立ち」から「流れ尾」に移行段階の表現ともいえる。

たてがみ、顎髭が長く流れて、江戸狛犬の特徴が良く出ている。
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前足は、太く真っ直ぐ。爪が大きく迫力がある。脇に巻き毛の表現
後足は蹲踞。筋肉の表現がありたくましく、爪が大きくて迫力がある。
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尾は、中央の巻き毛が上に立っていき、脇にもかなり流れている。「尾立ち」から「流れ尾」に移行段階の表現ともいえる。
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文化9年(1812)に再建したときのものだろうが、台座の彫刻が秀逸。
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宝珠が大きめで、角も太くて立派なのが、とてもいい。
たてがみや顎髭など、毛の表現が豊かで、実に江戸狛犬らしい見事な出来である。



狛犬の記事一覧を見る



比々多神社(延喜式内論社)/神奈川県伊勢原市

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鎮座地:神奈川県伊勢原市三ノ宮1472
参拝日:2017年6月30日

この日は、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」、相模国式内社の二回目で、寒田神社、実朝の首塚、大山阿夫利神社に続き、訪れました。

伊勢原市のガイドマップから概略の場所
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近くの駐車場でバスを降り、神社の入り口に。
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社号標
社格等:相模国三宮、式内社(小)、郷社(旧社格)
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『延書式神名帳』記載の比比多神社(相模国の延喜式内社十三社の内の一社)とされるが後述のように論社も存在する。

・相模国三の宮の社格を持つ神社。大磯町国府本郷で行われる国府祭(こうのまち)に参加する相模五社の1社で相模国三宮に当たり、大磯で行われる国府祭の座問答では、一の宮寒川神社、二の宮川勾神社の首座 争いを「いずれ明年まで」と収める役となっている。所在地名の「三ノ宮」は当社にちなむ。

・境内地や近隣地からは古代祭祀の遺構と考えられるものが発掘され、歴史は縄文時代にまでさかのぼるのではないかと云われている。
社殿裏には東名高速道路工事の際に出土した配石遺構が復元移設されている。境内には郷土博物館もあり、様々な出土品や社宝が展示されている。毎年5月第3土、日曜日の「まが玉祭」の際には終日無料開館される。

・4月22日の例祭には、「イヤートーサッセ(「弥遠に栄えたまへ」の意とのこと)」の掛け声と共に神輿が渡御し、三基のカラクリ人形山車の巡幸もあり、境内は熱気を帯びる。当社の神輿渡御は縦横無尽の暴れである。

・神武天皇6年(紀元前655年)、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最良と選定し、大山を神体山とし豊国主尊を日本国霊として祀ったことを起源としている。『比々多神社参拝の栞』
・崇神天皇7年(紀元前91年)に神地神戸を寄せられ、垂仁天皇27年(紀元前3年)8月には神祇官が詔を受け弓矢を奉幣している(『比比多伝記』)
・大化元年(645年)大酒解神と小酒解神の2柱を合祀し、その際「鶉瓶」(うずらみか)と呼ばれる須恵器が納められたのだと言う。(『比々多神社参拝の莱』)
・持統天皇6年(692年)に国司布施朝臣色布智(ふせのあそんしこふち)が社殿を修復すると共に木彫り狛犬1対を奉納している。(『比々多神社参拝の栞』)
・天平15年(743年)武内宿禰の裔孫である紀朝臣益麿(きのあそんますまろ)を初代宮司に迎えると共に、聖武天皇より荘園を賜った。
・天長9年(832年)には国司の橘朝臣峯嗣(たちばなのあそんみねつぐ)を勅使として相模国総社「冠大明神」の神号を淳和天皇より賜ったとされる(『比々多神社参拝の栞』)
・元暦元年(1184年)源頼朝が大規模な社殿再建を行い、文治元年(1185年)には天下泰平祈願の御願書を奉っている。
・また、『吾妻鏡』建久3年(1192年)8月9日の条に源頼朝が北条政子の安産を「三宮冠大明神」に祈願し、神馬が奉納されたとある。明応年間頃(1492年・1501年)に兵火により社額を失い、社人供僧も離散して大きく衰微したのだと言う。神戸村の名称は往古に封戸であった遺名であると言われる。さらに同書によれば、天正年間(1573年・1593年)の初めに社地を埼免(らちめん)から現在地に移し、小社を建てて遷座したのだと言う。
(『新編相模国風土記稿巻之50』)
・天正19年(1591年)11月、徳川家康より朱印状が下され社額10石が寄進された。『新編相模国風土記稿巻之50』短】では、これにより当社はようやく復興を見たと述べている。その後も歴代の将軍より寄進を受け、明治に至っている。
・明治6年(1873年)に郷社に定められて16ケ村の総鎮守となり、明治41年(1908年)には神僕幣南供進神社に指定された。現在では神奈川県神社庁による献幣使参向神社となっている。

論社について:
 『延書式神名帳』記載の比比多神社とされるが『新編相模国風土記稿巻之50』によれば、当社の他に上糟屋村(現伊勢原市上粕屋)の子易明神社も式内社「比比多神社」と言い伝えられているのだと言う。同書では、当社宮司が語った、「比比多神社」と書かれた古額を子易明神社の神主に貸したがついに返さず、子易明神社がこれを掲げて式内社と称したという話を紹介したうえで、この諸に証拠は無く、さらに当社も子易明神社も式内社「比比多神社」である考証は無いため、どちらが式内社か判断はし難いと述べている。
『日本の神々-神社と聖地・11関東』では、当地が古代官道を見下ろす位置にあって相模国第2期国府の有力な所在推定地とされていることに加え、史伝では国府所在時の総社であったとされること、また江戸時代に子易
明神土と当社に下された朱印状の内容から見て、当社が式内社「比比多神社」であろうと考察している。

境内図
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鳥居をくぐる。
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手水舎
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目力のある狛犬です。
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右の狛犬の後ろには、立派なご神木が。
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石段を上がると、左に鐘楼があり。
かっては、染屋太郎大夫時忠を祀ったと言う銘文入りの梵鐘があったが、太平洋戦争の最中、金属資源回収の戦時供出により失われた。現在ある梵鐘は昭和25年(1950年)に作製されたものである。
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参道の左右に、紫陽花の花があった。
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ここにも、ご神木があり。
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拝殿前に至る。
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拝殿前に、干支の酉の像が置かれていた。
干支が描かれた大きな絵馬は珍しくないが、干支の像が置かれているのは珍しい。
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拝殿
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鈴の沢山付いた鈴緒であった。
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火消しの人達が奉納した社額
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社額
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拝殿の内部
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本殿の覆い屋
本殿の様式は、三間社流造とのこと。
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本殿の覆い屋は、しっかり石垣を組んだ高い地面に建てられている。
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ご祭神:
主祭神、豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)、天明王命(アメノアカルタマノミコト)、雅日女尊(ワカヒルメノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の4柱。
相殿神は、大酒解神(オオサカトケノカミ=大山祇神)、小酒解神(コサカトケノカミ=木花咲耶姫)

神紋は、「右三つ巴」、「丸に三つ引き両」、「十六弁八重菊」、「五三の桐」
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境内末社
神明、白狐神、稲荷、白山、辨天、子権現、天神。
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末社・金比羅社
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「成長のはかり」というのがあった。
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〇三宮郷土博物館
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残念ながら、時間の関係で博物館には寄れなかった。

ここで、「狛犬一対(伊勢原市重要文化財)について触れておきたい。
第41代持統(じとう)天皇朱鳥(しゅちょう)6年(692)、相模国(現在の神奈川県横浜市の一部より以西)の国司(こくし)・布施朝臣色布知(ふせのあそんしこふち)によって社殿の改修が行われ、木彫り狛犬(こまいぬ)一対が奉納された、とある。
関東最古の狛犬ともいわれている。
692年が確かなら、まず国の重要文化財である。
そうでないのは、伝承のみで証明が出来ていないのか、風化してしまい外観に問題があるのか。
この日は、時間が無くて見ることはかなわなかったが、再訪して確かめたい。


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日河比売命(ひかわひめのみこと)

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『古事記』にのみ登場し、『日本書紀』には登場しない。

須佐之男命の孫の布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)と日河比売との間に深淵之水夜礼花神(ふかふちのみづやれはなのかみ)が生まれ、この神の孫が大国主神である。

『古事記』の「天照大御神と須佐之男命」の巻、「須佐之男命の神裔」の段
(現代語訳)
 そこで須佐之男命は、妻の櫛名田比売と、寝所で夫婦の交りを始めて、生んだ神の名は八島士奴美神という。また大山津見神の娘の、神大市比売という名の神を妻として生んだ子は、大年神、次に宇迦之御魂神の二柱である。兄の八島士奴美神が、大山津見神の娘の、木花知流比売という名の神を妻として生んだ子は、布波能母遅久奴須奴神である。この神が、淤迦美神の娘の、日河比売という名の神を妻として生んだ子は、深淵之水夜禮花神である。この神が、天之都度閇知泥神を妻として生んだ子は、淤美豆奴神である。
この神が、布奴豆奴神の娘の、布帝耳神という名の神を妻として生んだ子は、天之冬衣神である。この神が、刺国大神の娘の、刺国若比売という名の神を妻として生んだ子は、大国主神である。この神のまたの名は大穴牟遅神といい、またの名は葦原色許男神といい、またの名は八干矛神といい、またの名は宇都志国玉神といい、合わせて五つの名がある。

日河比売(ひかわひめ)は水神であり龍神である淤迦美神(おかみのかみ)の娘で、須佐之男命の孫の布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)の妻。深淵之水夜礼花神(ふかふちのみづやれはなのかみ)を生んだ。

親である淤迦美神(おかみのかみ)が水神で、その娘が「日河比売(ひかわひめ)」。
「ひかわ」は島根県の斐伊川のことだと思われます。
斐伊川は、武蔵国の氷川神社の「ひかわ」ともつながりがあります。

大宮の氷川神社のご祭神は、須佐之男命、稻田姫命、大己貴命であるが、鎮座している地形から、もともとは水神を祀った神社であることは間違いがない。
農耕の神とされる須佐之男命や大己貴命でも良いのだが、「氷川神社」の名前からは、「日河比売」が祭神であってもおかしくはない。

「ひかわ」という言葉は(本来は)特定の土地の川の名前というわけではなく、「太陽の恵みを受けた」とか、そういう概念的な名前ではないかと思います。



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花園神社の狛犬

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所在地:東京都新宿区新宿5丁目17−3 花園神社・ゴールデン街側鳥居の前
撮影日:2017年7月27日

新宿の花園神社には、三組の狛犬と狛狐(江戸時代)が居ますが、一番古いのがこのゴールデン街側鳥居の前にある狛犬です。

年代:延享2年(1745)
材質:石造
型式:はじめ型(尾立ち)

花園神社拝殿
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ゴールデン街側入り口から石段を上がった鳥居の前にあります。
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右側が阿形の獅子
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左側も吽形の獅子
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。
・顔は、ギョロ目、耳は垂れ、口は大きく、牙が目立ち、顎髭がかなり大きく目立つ。
・いかつい顔だが、表情はユーモラス。
・前足は、前方に出して真っ直ぐ。脇に巻き毛の表現
・後足は蹲踞。
・尾は、立っていて、たけのこ型で脇に巻き毛あり。

はじめ型の特徴で、あまり毛の表現は無いが、肩や膝、そして首もとの部分に渦巻きのような模様が彫られている。
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これもはじめ型の特徴だが、後肢の間が彫られていない。
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はじめ型はたいてい、尾は付き尾だが、この狛犬は尾が立っていて、たけのこ型で脇に巻き毛あり。
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江戸中期のものでもあり、後頭部や後脚などがかなり破損していましたが、なかなか貴重な狛犬です。
いわゆるはじめ狛犬の分類に入るが、尾が立っているのは、江戸狛犬への推移型といえる。
愛嬌があって、とてもいい。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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